2014年6月30日月曜日

おじいちゃんとおばあちゃんのラブソング(82/365)

結婚60年を迎えたご夫婦のお話。結婚したのは新潟だそうですが、今も新潟にお住まいなのでしょうか。

夫婦愛にあふれたなかなかいい歌詞で、どこかで発表して欲しいですね。

そういえば、近年、日本では離婚率が下がっているそうです。景気が悪くなって家庭回帰か、というと別にそういうことではなくて、若年者の人口が減っているだけだとか。

離婚は結婚後数年以内が一番多く、高齢者の離婚はあまりありません。若年層の減少により、結婚数が減り、結果として離婚数が減ったというだけの話です。

似たような話に「最近の若者は内向的である」という説があります。留学者数の減少がその根拠のようですが、高校生・大学生の留学比率はむしろ増えているそうです。若者が減っているために、留学者数の絶対値が減っているだけなんですね。

2014年6月29日日曜日

心のコントロール(81/365)

感情のコントロールはなかなか難しいものです。

この曲では、感情的になってしまう自分を責めています。また、ときには折れることも必要だと、さらに自分を責めています。

人と議論するとき、自分の意見ばかり通してしまってはうまく進みません。だからといって、相手の意見を通したら自分が満足できません。「折れる」というのは、妥協点を見つけることであって、相手の主張をそのまま取り入れることではないと思います。

アサーティブ(assertive)」という概念があります。攻撃的になるのでもなく、一方的に受け身になるのでもなく、自分の意見を適切に主張することです。

絶対使ってはいけないのは否定疑問(というか反語)「どうして○○できないんですか」と言われたら、「こっちにも事情があるのだ」と相手も怒り出します。
「○○できなかった理由を教えてもらえますか」ならだいぶ印象が変わるでしょう。

「そんなこと聞いてない」というとケンカになりそうですが「次回から注意したいので、あらかじめ言っておいてもらえますか」なら納得しそうです。

アサーティブに自己主張できれば、コミュニケーションはずいぶんと楽になります。単なるテクニック、言葉の言い換えなので、内気な人でも使えます。おすすめします。

たとえば、私の同僚が書いたコラム「“いい人”になれなくていい、“スキル”があればコミュニケーションはうまくいく」なんかはおすすめです。

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2014年6月28日土曜日

耐えるんだ(80/365)

きついことを言われても耐えるんだ、という話。無駄なプライドは捨てた方がいいですね。

プライドや思い込みは、学びの邪魔だと言われます。同じ容量しかないのに、プライドで埋めてしまっては、学習量が限られます。学ぶときはいったんプライドを捨てて、できるだけ多くのものを身に付ける方が得です。

プライド

ただし、いったん学んだ知識を自分のものにすることについての上限はありません。新しいことを学習したら、古いことを捨てる必要はありませんので、プライドを捨てて、どんどん吸収すればいいと思います。

ところで、曲中、「伸びた鼻はいらないの」という言葉が何度も登場しますが、1箇所「重たいだけのしっぽははらないの」となっていて、面白い表現ですね。

2014年6月27日金曜日

夢と虚勢(79/365)

宮崎奈穂子さんと言えば「夢は叶う」というイメージが強いのですが『歌・こよみ365完全版』には「夢なんてない」という曲が意外に多くあります。

これも『歌・こよみ365完全版』によく出てくる話で、若いときは『夢を追え』と言っておいて、大人になると『夢ばかり見るな』と抑えられる現実があります。

こういうダブルスタンダードを見せられると、夢を持たないふりをするという選択肢が出てきます。

実際の「夢」は、そんな大げさな話じゃなくて「なりたい自分になる」という話です。

この曲では、「夢なんかない」と言い張ることが虚勢であって、「なりたい自分になるのが夢」ということを言っています。

もちろん、その「なりたい自分」が一体何か分からない人はたくさんいます。むしろ分からない人の方が普通です。

自分探しにゴールはなく、思い詰めるほど迷い込んでしまいます。

若者よ、自分探すな職探せ

という言葉もありますが、なかなかよくできたコピーだと思います。

人生の目的の多くは「人の役に立つこと」です。自分を見つめても人の役にはたちません。一方、ほとんどの仕事は直接にしろ間接にしろ誰かの役に立ちます。「働く(はたらく)」とは「傍(はた)のものを楽(らく)にする」という語呂合わせもあるくらいです。

何でもいいから仕事をしていると、人の役に立ち、そのうちにやりたいことが見つかるかもしれません。禅寺の修行の多くが掃除や薪割り、炊事など働くことに当てられるのもそのせいでしょう(というのは今適当に考えたことで、禅宗のお坊さんたちからは怒られるかもしれません)。

2014年6月26日木曜日

かげぼうし(78/365)

先に公開した「かげぼうし」を元に若干の修正を加えました。

「歌・こよみ365」に多い、抽象的なお話です。第三者にはあまり分からないんですが、当事者にはストレートに伝わるのでしょうね。

筒井康隆の小説『家族八景』に、抽象画家のエピソードがあります。テレパスである火田七瀬が、画家の心を覗いてみると、抽象的と思われたシンボルが、実は具体的な人を示しているというお話でした。

では、その抽象画が他の人にとって意味がないかというと、そういうわけではなく、誰もが自分の中の何かに置き換えて解釈することで、芸術として成立するのでしょう。抽象画のことを英語で「abstract」と呼びますが、これは「要約」という意味でもあります。自分の考えていることを抽出して目に見える形(象)にすることが「抽象」なのでしょう。

内容も、「まあるい気持ち」と同様、何かに思い悩んでいるようです。ときどき、何か大きな不安がやってくる、という経験は、特に若い頃は誰にでもあるのではないかと思います。

そして、この曲の最後はこう結ばれます。

これは不安で、幸せなんだ ここにいていいよ、って受け入れて
手をつなごう

宮崎奈穂子さん、あるいはエピソード主がどう思っているのかは分かりませんが、私は「不安に思うというのは、自分が一所懸命生きているということ」だと解釈しました。

最後の「手をつなごう」は、どんな不安があっても仲間がいれば乗り切れるというメッセージではないでしょうか。

メロディは、宮崎奈穂子さんらしい感じに仕上がってます。文章で伝えるのは難しいのですが、たとえば最初の1フレーズはこんな感じです。

寂しいわけじゃないんだけど 心がぽっかり
いつだって前を向いていたいのに (*)ずっしり

2つのフレーズは、ほぼ同じリズムで「寂しいわけじゃないんだけど」と「いつだって前を向いていたいのに」が対応します。そして次の「心がぽっかり」と「ずっしり」を対応させるため、(*)の部分「心が」に相当する文字が入るべき所に休符が入ります。

このパターンは、宮崎奈穂子さんの曲にしばしば見られます。もし宮崎奈穂子検定があれば、きっと試験に出ます。

前に、K-POP歌手の「Kさん」という方のラジオ番組「K-Style」に出演したとき、Kさんから「子供の時からピアノをやってて、たくさんの曲をピアノで作っていると、手の癖みたいなものが出て、似たパターンになってきませんか?」と聞かれていました。「まさしくその通りだ」と答える宮崎奈穂子さんに対して「だから、ぼくは(ピアノの手の癖が出ないように)最初はピアノに向かわないんですよ」とアドバイスをしていました。

その時のブログ記事が「「K-style」ありがとうございましたっ!!」ですが、作曲のエピソードについては書かれていませんでした。

ちなみに、このKさん、ゲストのことを本当によく勉強されていました。質問も的確で、今まで見聞きしたテレビやラジオの中で、一番よく出来ていたインタビューだと思います。放送後、しばらくオンデマンド配信されていたのですが、もうありません。リンクが切れているだけかもしれませんが、取り下げたURLを公開するのもマナー違反な気がするのでやめておきます。

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▲癖なのか、意図的なのか、御礼のお辞儀は合掌

2014年6月25日水曜日

寂しい(77/365)

地方から東京に出てきたのでしょうか。ひとりぼっちで終わっていく日曜日の気持ちを歌っています。

寂しい 寂しい 寂しい
パソコンで検索しても
この気持ち重たいまま
時間だけ過ぎていく

実は「寂しい」で検索する人は結構多いそうです。

nanapi「けんすう」が語る、ユーザー投稿サイト運営でやってはいけないこと」にはこんなことが書いてありました。

例えば、寂しいという悩みは、「寂しい」と検索してもいい情報が得られないんですね。我々のサービスの検索キーワードを見ても、寂しいで流入する人がベスト3くらいに入っていたんですよ。人は寂しいと思うと寂しいと検索するんだと。

寂しい人は、寂しさを紛らわせて欲しいわけではなくて、寂しい気持ちを分かって欲しいんじゃないかと思います。

ひとりでいても、自分と同じ思いをしている人がいると思うだけで楽になります。

「歌・こよみ365」は、寂しさを歌った曲が大量にあります。365曲の中の1曲1曲が、誰かの気持ちだと思えば、寂しいと思っているのは自分だけじゃないと思えるのではないでしょうか。

2014年6月24日火曜日

自信がないから(76/365)

優劣を付けるのではなくて、そのままを受け入れて欲しいという気持ちと、自分に自信がないという気持ちが歌われています。

特に因果関係については書いてないのですが、1曲の中に歌われているのですから、当然何か関係があるのでしょう。

SMAPの「世界に一つだけの花」が流行ったとき、こんなことを言う人がいました。

「オンリーワン」というのは、自分が勝てる範囲にまで世界を狭めた状態
広い世界では負けるから、他と比べられないくらい狭い世界に閉じこもること

これはちょっと言い過ぎだと思いますが、製品に対しての「オンリーワン」には、「世界最小(ただし○○において)」みたいな言い訳を感じる場合もあります。

「世界に一つだけの花」は、そういう意味ではなくて、人間は本質的に唯一のものであって、人と比べられるものではないということなのでしょうが、「ありのままの自分」という言葉に、ちょっと言い訳っぽいものを感じてしまうことも確かです。

自分は誰にも代え難い存在だと思いながら、それは自信がないから言い訳に使っているだけじゃないかという気持ちを歌ったのではないかと思っています。

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2014年6月23日月曜日

変わりたい(75/365)

ついみんなの前で言ってしまった言い訳、素直に謝れなくて人を傷つけたかもしれないと思った時、後悔している自分の話。 自分を守るために言ってしまう言葉だけど、そんな自分が変わりたいという歌です。 いつかの宮崎奈穂子さんのブログで「格好つけることが格好悪い」ということが書いてありましたが、分かっていてもなかなかできないことです。

2014年6月22日日曜日

強いとか弱いとか(74/365)

「君は/私は強いから」「私は/君は弱いから」って簡単に言えるものじゃないよ、っていう歌。

「強いって人に言われるけど、本当は弱い」という曲はいろいろありますが、この曲のポイントは、「私は強いから」と自分を奮い立たせることも、「私は弱いから」と逃げることも批判していることです。

考えてみたら、人間は誰でも強いところと弱いところがあって、状況に応じていろいろな面が出てくるわけです。そして、そこが人間のいいところだと思います。

宮崎奈穂子さんも、表面的にはふわふわして、時々逆方向の電車に乗ったりするわけですが、梅雨時なのに「毎日路上ライブをやります」ってうっかり言ってしまって、撤回せずに本当に雨の中やってました。

ライブ自体は屋根のある所とは言え、家から駅までは雨の中ですし、ホームも濡れています。これを「強い心」と簡単に言ってしまえるものかな、と思います。

強い面もあるし弱い面もある、強い時もあれば弱いときもある。「私は強い/弱い」とか「あなたは強い/弱い」とか決めつけずに、多様な面を持ったひとりの人間として付き合いたいものです。

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▲雨の日の宮崎奈穂子さん

2014年6月21日土曜日

地球(73/365)

環境問題の歌のような感じもしますが、社会的な曲ではなく個人的な歌詞です。

1970年代、人権運動が盛り上がっていた頃

個人的なことは政治的なこと
(The Personal is Political)

という言葉がありました。

たとえば「(他の人のことは知らないが)わたしは出産しても働きたい」と思う女性がいたとします。

働きたいという希望は個人的なものですが、実現するには夫か両親か近所の人か、それともベビーシッターを雇うか、いずれにしても誰かの助けが必要です。

経済的負担を考えると、できれば出産休暇と保育制度(特に病児保育と夜間保育)などの社会基盤が欲しいところです。

そうすると個人的に解決するのは難しく、どうしても政治的解決が必要になります。

これが個人的なことが政治的なことになる瞬間です。

この曲は、そこまで個人的なことは書いていませんが、「地球に愛があふれたら私が楽しい」というような歌詞になっています。

環境問題というと、難しくなりがちですが「自分が楽しい」というのはとても大事な視点だと思います。

2014年6月20日金曜日

Golden Eagles(72/365)

複数形なので、野球チーム(楽天ゴールデンイーグルス)かと思ったのですがそんな歌詞じゃありません。なお、タイトルは複数形ですが、歌詞は単数になっています。

レースと言うから競馬かと思ったけど「車のことばかり考えてきた」とあるので、違うようです。

正解は、ソーラーカーで、オーストラリアでの大会があったそうです。Facebookで検索すると、国井正貴さんという方のご縁が出ています。これが歌になったようです。

金沢工業大学(KIT)のニュース記事「夢考房ソーラーカープロジェクトが自作ソーラーカーでオーストラリア大陸縦断3000kmのレース「World Solar Challenge2013」に12年ぶりに参戦」になっていました。

この記事、大学のリリースなんですが、妙に専門的でさすが工業大学です。ある程度の前提知識がないと全部理解するのは難しいかもしれませんが、前半は一般記事ですのでぜひ読んでください。

2014年6月19日木曜日

言霊(71/365)

言霊の力で、すばらしい人と出会ったという歌。

つながりがよく分かりません。

出会ってから もう何年経つだろう
端から見たら 全然違うタイプなのに
話すとなんだか 似ているところもあって
不思議に思うほど 仲良くしてくれた

「仲良くしてくれた」ということは、アーティストとかではないのでしょうか。

ところで、「言霊」というのは日本人の特性だと思っている人が多いようですが、米国人の方が敏感です(「言霊」に相当する言葉はないようですが)。

ビジネスでは、原則としてネガティブな言葉は使いません。

  • (プロジェクトなどの)失敗→lessons to learn(学ぶべきところがあった)
  • (顧客からの)クレーム(不満)→feedback(フィードバック)
  • もう無理、できません→tough(タフ)

日本人の方がよっぽど言葉に鈍感です。

2014年6月18日水曜日

じゃあどうしようか? (70/365)

頑張っているけど認められない市結果も出ない。「じゃあどうしようか」という歌。

じゃあ、どうするか、歌詞から抜き出しました(説明の都合で、順序は並べ替えてあります)。

  • とりあえずやってみよう とりあえず信じてみよう
  • とりあえずやってみよう とりあえず動いてみよう
  • とりあえずやってみよう とりあえず続けてみよう
  • 負けん気をエネルギーに 悔しさをガソリンに

宮崎奈穂子さんの著書『路上から武道館へ』のサブタイトルは「普通の私が夢を叶えたたった3つの方法」です。具体的には以下の3つ。

  • 信じること
  • 動き続けること
  • ご縁を大切にすること

「動き続ける」を「動く」と「続ける」に分けると、最後の項目を除いて一致していることが分かります。

歌詞にある「負けん気をエネルギーに 悔しさをガソリンに」は、著書の「コンプレックスは力に変わる」という章に相当します。

そういえば、自分で衣装を作って(制作の請け負いもして)自分で歌う「デザイナーシンガー」のMOBACO.さんも「切羽詰まったときは悔しかったことを思い出して奮い立たせる」と書いています(ドル魂&悔しい思い出が私を救った)。

クリエイターの特徴なのかもしれません。

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MOBACO.さん


▲路上から武道館へ

2014年6月17日火曜日

雲の上(69/365)

地上が雨でも、飛行機に乗ると青空が広がっています(昼間なら)。どんなにつらいことがあっても、その上には明るい世界があるというお話。

何でも宮崎奈穂子さんはそのことを知らなかったそうです(ブログ記事「(・ω・)ノ☂」より)。

この雨雲の向こうの、
もっともっと高いところには、
青空が広がっている。
それを、去年27歳にして
ようやく知りました。
初めて雨の中飛行機に乗って、
雨雲の上の青空を見て、
「えええええええ!?」って。笑
感動しました。

大丈夫でしょうか。雨雲の上は真っ暗だと思っていたのでしょうか。それじゃ成層圏です。

とぼけておいて、その後はこんな感じ。

本当はそこにあるのに、
遮るものが邪魔して、
目に見えないだけ。
目に見えないから、
心が信じられないだけ。

歌詞になりました。さすが、転んでもただは起きない。

このブログは2014年6月7日ですが、事実を知ったのは「去年27歳にして」ということなので、歌詞に反映されている可能性は十分あります。というより、明らかに反映されていますね。

2014年6月16日月曜日

おかえりなさい(68/365)

1日仕事に頑張って疲れた帰り道でしょうか。

誰かのためにがんばったこと
やっとの思いで言葉を飲み込んだこと
愚痴をこぼさなかったこと
人の悪口を言わなかったこと

そんな今日のあなたをどうか褒めてください

「あなたをほめてください」と言っている相手は「あなた」なので、これは「自分で自分をほめてください」という意味でしょうか。

タイトルが「おかえりなさい」なので、「あなた」に言っている「私」は家族なのでしょうか。それとももうひとりの自分なのでしょうか。

歌の最後はこうです。

あなたの行動で作り出していく
あなたが向かう未来は 明るいに決まってる

自分で思っているにしても、誰かに言われたにしても、「明るいに決まってる」と思い込むことは結構大事で効果もあるのじゃないかと思います。

2014年6月15日日曜日

元気印のあの子(67/365)

いつも元気で、明るい笑顔の人っていますよね。どうせ付き合うならそういう人と一緒にいたいと思います。

でも、人間だからいつも元気なはずはないでしょう。どうしているのでしょうね。

そういう歌です。

歌詞では、人知れず努力して培った強さが原因だとしています。確かに、自分に対する自信があれば、自分に対するたいていの非難は流せるでしょう。

でも、自分が努力してきた人は他人に厳しいこともあります。「私がこれだけやってきたのに、あの人は何もしてない」とか。そういうとき、どうするのでしょうね。

宮崎奈穂子さんの著書『路上シンガー宮崎奈穂子』には、昔の自分は世の中に不満を持ったり、愚痴を言ったりしたということがそれとなく書いてあります。それが抑えられるようになったのは、誰もがみんな自分の「立場」があると理解したからだと書いています。

路上ライブで警察に止められても、酔っ払いに絡まれても、しなやかに受け流す姿しか私は知りません。

古参のファンに聞くと、昔は顔がこわばったこともあったということですが、今は全く見られません。それだけ自分に自信が出て、強くなったのでしょうか。

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▲深いお辞儀(ときどき頭がキーボードに当たります)

この日は、演奏と演奏の間で酔っ払いが絡んできました。チラシを配るとき、普段は切らないマイクのスイッチを切っていました。酔った勢いで歌い出す人もいるのでしょうか。

2014年6月14日土曜日

新しい日へ(66/365)

埼玉から練馬区を経由して、池袋から新宿、渋谷へ向かう地下鉄副都心線の通勤ラッシュがテーマです。

歌詞では「池袋行き」となってますが、おそらく埼玉方面から向かっているのでしょう。

満員電車は不快なものですが、発想を転換します。

  • 1番のサビ

平日の朝 ここにいる 誰もが戦士
僕らの明日のため 力を合わせていこう

  • 2番のサビ

平日の朝 ここにいる 僕らは仲間
僕らの明日は この手にかかっている

  • ラスト

それぞれの夢 それぞれの家族 守るために
今日も乗り込んでいいくんだ これから始まる 新しい日へ

平日の朝、ラッシュ時間帯の乗客は基本的に仕事をしている人です。仕事というのは、基本的に人のために働くことで、広い意味では世界のために力を尽くしているわけです。

そう考えたら、満員電車の乗客は全員「同志」という感じがしてきませんか(次のラッシュを体験するまでの間かも知れませんが)。

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▲副都心線終点の渋谷駅

ちなみに、副都心線の終点は渋谷駅ですが、そのまま東急東横線へ直通運転をしていて、横浜方面まで同じ車両で行けます。終着駅は「中華街」という分かりやすい名前です。埼玉から乗って、寝過ごすと、気付いたら中華街ってことになってしまいます。

写真に写っているのは銀座線渋谷駅の高架です。渋谷は、文字通り谷になっていて、地下を通すよりもいったん地上に出した方が工事費用が安かったそうです。地下鉄が高架っていうのも変な話です。

地下鉄丸ノ内線の四ツ屋駅が地上にあるのもおそらく同じ理由です。東京は「○○山」「○○代」「○○谷」「○○坂」という地名から分かるように、起伏のある地形です。高い山はないのですが、京都や大阪なんかよりもよっぽど勾配があります。

2014年6月13日金曜日

胸を張ってね(65/365)

自信がなくて、何もできなかった人の話みたいです。

それでも「あの頃はがんばったね」と、過去を振り返り、「がんばってくれてありがとう」と認めています。

最後はこうです。

今どうしようもないこと
未来の私がなんとかするから
だから 胸を張ってね

この声がもし届くなら
今その瞬間の自分に 胸を張って ね

ところで、最後の2フレーズがちょっと分かりにくいです。

前段は過去にどうしようもないことで悩んでいたことは意味がないと思い、今どうしようもないことは、先送りして未来の自分に託そうとします。

後段は、未来の自分から「今その瞬間」の自分にあてて「胸を張ってね」と言っているのでしょうか。

人間の性格、そう簡単に変わりませんから、過去に悩んでいた人はきっと現在も悩むでしょう。日々、自分で自分を励まさないと。

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2014年6月12日木曜日

ただ優しくなりたくて(64/365)

優しくなりたいのに、優しくなれない人の歌。

優しくなる唯一の方法は
その人の背景の悲しみを 想像すること

と歌っていますが、これはかなり難易度が高いです。

しかも、普段から優しくない行動をしている場合は、仮に相手の立場を想像しても優しく振る舞えないことが多いようです。

「優しくする」というのは行動なので、練習しないとできません。

評論家の岡田斗司夫さんに『超情報化社会におけるサバイバル術 「いいひと」戦略』という著書があります。

内面を変えていくのは難しいから、「いい人」と思われる行動をしていこうという内容です。

ここでは「たとえ腹の中で何を考えていても、行動が『いい人』だったら、自分にとって『得』である」という発想で書かれています。

異論のある人も多いでしょうが、どんなに優しい気持ちも行動で示さなければ伝わらないことも事実です。ぜひ読んで欲しい本です。


超情報化社会におけるサバイバル術 「いいひと」戦略 増補改訂版

2014年6月11日水曜日

雨(63/365)

日曜の雨の昼、ひとりでいることの寂しさを描いた歌。

ひとりでいるのもいいもんですよ。最後は

手をつなごう 拒まなければ 世界は優しいんだ

ということで、何とか折り合いが付いたようです。

評論家の岡田斗司夫さんが「友だちは要らない、仲間が欲しい」とよく言っています。

「仲間」とは、仕事でもなんでも共通の目標に向かう同志(同じ志を持つ者)です。

友だちと休日を一緒に過ごして自分の気持ちを満足させるより、仲間とする仕事を通して誰か他の人を満足させる方が、満足感は高いような気がします。

今まで、自分が一番嬉しかったことを思い出しても、「他の人が喜んでくれた」という経験を出す人が多いのではないでしょうか。

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▲雨の日も、屋根のある所を探して歌う宮崎奈穂子さん

2014年6月10日火曜日

ずっと ずっと ~Wedding Song~(62/365)

ずっと ずっと ~Wedding Song~」に加筆したものです。

『歌・こよみ365』2枚目のアルバム『春編』には、結婚式の歌が3曲入っています。その1つがこれ。友人代表のスピーチという感じで進行します。

悟(さとる)さんと早央里(さおり)さんに向けた歌なんでしょうが、それ以上のことは分かりません。

悟さんと言えば、宮崎奈穂子さんが武道館コンサートをしたときのギター担当が「白須賀悟」さんですが、偶然でしょうか。

今回の完全版では一部の歌詞が変わっています(歌詞カードは旧版と同じ)。

旧版(春編)

おめでとう 悟さん、早央里さん
ありがとう 素敵な愛のおすそわけ

新版(完全版)

おめでとう 太郎さん、花子さん
ありがとう この場に呼んでいただいて

歌い出しは「おめでとう 悟さん、早央里さん」なので、特に名前を隠そうとしたわけではないようです。

ところで、両歌詞の「悟(さとる)さん」と「太郎(たろう)さん」ではリズムが違い、「おめでとう」と「たろうさん」の間に半拍休符が入ります。

想像ですが、「さトる」は「ト」にアクセントがあり、「タろう」は「タ」にアクセントがあるためでしょう。メロディと言葉のアクセントをそろえるために半拍開けたのだと思います。

詞先(シセン、歌詞が先にある)で歌を作る人にとっては常識なのかもしれませんが、最初に気付いたときは新鮮な感じでした。

さて、この曲が発表されるだいぶ前に『【今日の歌こよみ】結婚式の歌♪』というブログが上がりました。

そして、その頃、Facebookのグループでこんな質問が。

私たちの結婚式で、宮崎奈穂子さんの曲を流せるでしょうか?
流せるとしたら何がいいでしょう
そこで、
  • 公の場で曲を流すには権利者の許可がいる
  • 結婚式の歌は制作中だが未発表

ということを伝えました。

その後発売された『早春編』に結婚式の歌は収録されず、結婚式には(事務所の許可を得て)別の曲を流したそうです。

『春編』が出たあと、気になって連絡したら、結婚式はまだだけど、もう曲は決めてしまいましたということでした。

あれから1年、お幸せでしょうか。

2014年6月9日月曜日

RIE ~笑って~(61/365)

RIE ~笑って~」の再掲です。

RIEさんは、ANA創立60周年記念特別塗装機(ボーイング767)のデザインコンテストに入賞した方です。

ANAのニュース

オンラインインタビュー

2013年の朝日新聞の記事からリードを引用します(手元のコピーには、日付部分が切り取られていて、メモもしていないという失態)。

子供たちの笑顔のイラストが大空を飛んでいる。全日空の「ゆめジェット」。デザインしたのは、中野区在住のアーティストRIE(間弓莉絵)さん(30)だ。20代で挫折、逃げるように渡った東南アジアの島で、人の温かさに触れた。その思いをデザインに込めた。就航後初めての個展を、小金井市で12月1日から開く。

最後の文は「12月1日から小金井市で就航後初めての個展を開く」の方がいいような気がしますけど。

19歳の時に「飛行機の機体に絵を描く」と宣言したそうですが、機体デザインの公募は年中やっているわけではありません。

中断期間はあったようですが、なんでも思い続けてみるものです。

2014年6月8日日曜日

大人ダカラ(60/365)

大人ダカラ」を再構成しました。

この曲は、アルバム「Real Intention」の最後の曲でした。「Real Intention」は「本音」という意味だそうですが、そのアルバムの最後にふさわしい曲です。

今までの「歌・こよみ365」の単独アルバムのパターンだと、最後は仕事でお世話になった人の歌が来ます。そうすると、同アルバムに収録されている山岸伸さん(写真家)の曲が最後でもおかしくないのですが、この曲が最後になりました。

スポンサーでも仕事でお世話になったわけでもないようなので、よほど大事な人なのか、よほど思い入れのある曲なんだと思います。

「大人だから、何でもできるし、悲哀怒の感情はあまり表に出さないけど、本当は違う」

という曲です。Real Intentionにふさわしい曲です。

2014年6月7日土曜日

怖かったから(59/365)

人間関係の歌です。

何がほんとで 何が嘘なのか
何を信じて 何を疑えばいいのか
もう全然分からないから
もう全部信じないことにした

歌い出しがこれで、ちょっと深刻です。

最後は少し救われます。

全部小さな プライドのせい
手放したら 笑顔になれるかな

でも「かな」ってことで、半信半疑です。

第一印象で人を信じる人は、全体としてだまされにくい
第一印象で人を疑う人は、結局だまされることが多い

という調査があるそうです。「だまされやすいこと」と「人を信じること」の因果関係は不明ですが、そういう傾向は何度かの条件を変えたテストの結果、確実だろうということです。

最初から疑っている人は、ちょっとでも良いことを見つけたら「いい人」と思ってしまうのに、最初から信じている人は、ちょっとでも悪いことを見つけたら「信用できない」と思ってしまうのかもしれません。

ちなみに日本人は、米国人に比べて第一印象で疑う人が多いそうです。印象とは逆の感じですが、「よそ者は信用されない」というのは確かにありそうです。

ちなみに、芸能関係は詐欺が多いそうです。芸能事務所やジャーナリストを装って近付くらしいですね。ひどい話です。

2014年6月6日金曜日

まあるい気持ち(58/365)

まあるい気持ち」の再掲です。

「歌・こよみ365」は特にそうなんですが、宮崎奈穂子さんの歌詞は割に散文的なものがたくさんあります。特に、武道館コンサート以降にその傾向が強いように思います。

そこがストレートに心を打つわけですが、表現が強すぎてあまり好きではないという人もいます。

この曲は、寂しい気持ちを歌いつつ、でも、あまり具体的にならない、絶妙な歌詞になっています。

それにしても、こういう歌詞が、何か具体的なエピソードから出てきたということに驚きます。たぶん、これはもうエピソード主と宮崎奈穂子さんにしか分からない内容なんじゃないかと思います。

断片的にはなんとなく分かる部分もあります。ちょっと引用してみましょう(各行は連続している歌詞ではありません)。

なんだか いろいろ うまくは いかない
誰かに 会いたい 誰にも 言えない
電話を かけたい 勇気が 出せない

よく分からないんですが、最後は落ち着いたようです。

まんまる 満月 見てたら なんだか
私も まあるい 気持ちに なれそう

良かったですね。

曲の方は、ちょっと変わったエンディングで、メロディが最後でふっと消えます。
ちょうど村上春樹の小説みたいです(って通じるかどうか分かりませんが)。

ついでに、歌詞も切ってしまって「まあるい 気持ちに」でメロディと一緒に切ってしまっても前衛的で良かったかなと思います。

『路上から武道館へ』に代表される、ストレートな表現ではありませんが、今までにない、なかなか面白い曲で、静かに心に残る曲です。

2014年6月5日木曜日

笑顔も涙も(57/365)

今あるものを受け入れて生きていこうという歌です。

僕ら意味があって生まれてきた
その意味をこの手で果たすため

というフレーズが何度か繰り返されます。

もっとも「生きる意味」というのは最初から分かっているわけではありません。

僕らは「今」に生きている
今しかないもの 決して逃さないで

とあるように、今できることをしているうちに、なんとなく分かってくるものだと思います。場合によっては自分では気付かず、人に言われて初めて分かることもあるでしょう。

宮崎奈穂子さんが、武道館コンサートは決まったものの、思うようにチケットも売れず、自分で設定したCDシングル売り上げ目標も達成できず、どうしたらいいのだろうと思っているとき「そういう姿を見せることが(宮崎奈穂子の)役割なんじゃないか」と言われたそうです(うろ覚えですが、そんな感じだったと思います)。

たいていの人が「生きる意味」なんて分かっているわけではないのですが、今できることをしているうちに、誰かが見つけてくれるもんじゃないのでしょうか。

宮崎奈穂子
▲武道館コンサートが決まったものの、思うようにチケットが売れなかった頃

「489」はシングルCD売り上げ目標(50日間で500枚)を達成するまでの枚数
撮影は2012年2月26日(日)で、これが50日目(最終日)。結局、4669枚で終了しました。

この時は、大したファンでもなかったので1枚だけ買ったんですが、どうにも気になって引き返し、もう1枚買いました。その時の様子が「5000枚までの壁。。」。現在、主ブログは移転していますので、このブログがいつまであるかは分かりません。

2014年6月4日水曜日

心のビタミン(56/365)

心のビタミン」に加筆し、写真を追加しました。

「ビタミン(vitamin)」は、「バイタリティ(vitality)」と同じ語源で「命のアミノ酸」という意味だそうです。「バイタルサイン(vital sign)」と言えば、脈拍や呼吸など、生きていることを示す証拠です。

明るい曲ですが、例によって結構悩んでいるご様子です。

ここで宮崎奈穂子さんの言葉はいつも決まっていて「うまくいかないときは、自分が動け」です。

無駄な動きというのもありますが、自分ができることを考えて行動し、人と出会うことで道が開けるというのが、ほとんど偶然のようにデビューして以来の持論だそうです。

著書「路上から武道館へ」や「路上シンガー宮崎奈穂子」によると、通っていたボーカルスクールのオーディションに応募して、CD作成が決まったものの、販売は予想していなかった「路上ライブで手売り」。

考えたこともなかった事態に動揺しますが、せっかくのチャンスだからと受け入れます。

面白いのは、事務所と契約し、両親と一緒に先輩歌手の路上ライブを見たときの言葉です。

他人事ではなく、自分のこととして路上ライブを見た感想は「こういうことをやるのか......」というネガティブなものだったのに、両親から「オマエは本当にこういうことがやりたいのか?」と聞かれて「路上ライブをやりたい。こういうことがやりたかった」と即答してしまったそうです。「神様からあたえられたチャンスを無駄にするわけにはいかないと思ったんです」と書いていますが、半分は勢いでしょう。

最後はこう結ばれます。

心のビタミン ほしいなら
待ってるだけじゃ 掴めない

動いて動いて がんばる人を
神様空から 見ていてくれる
だから動きだそう

人のキャリアは、ほとんどの場合偶然で決まると言いますが、ただ待っていれば何とかなるというわけではなく、今できることを一所懸命やった結果、思ったのと違う将来がやってくるということです。これは、スタンフォード大学のクランボルツ氏が「計画された偶発性理論」として発表しています。

詳しくは別のブログ記事「書評『路上から武道館へ』『路上シンガー宮崎奈穂子』」として書いたので、よかったらご覧ください。


路上から武道館へ


路上シンガー宮崎奈穂子 武道館公演への軌跡 ~Birthday Eve~

宮崎奈穂子
▲武道館コンサートのチケットが思うように売れなかった頃
このコンサートも「ファン15,000人集めたら実現」という企画に乗ったもので、完全に計画されたものではない

2014年6月3日火曜日

一番はじめの社員(55/365)

事業を始めた方でしょう。1人でスタートして、最初に入れた大型機器がコピー機で、これを「一番はじめの社員」としています。

その後、社員は増えていたたようで個人営業から会社としての体裁が整っていったようです。

今はKinko'sに代表されるビジネスコンビニが普及しており、コピー機がなくても仕事はできそうですが、その場でコピーを取れるのはやはり便利です。

ところで、このコピー機、レンタルじゃなくて買い取りだったのでしょうか。レンタルの場合、期限が来たら新機種と入れ換えるかレンタル期間を延長するかを選ぶんですが、いずれにしてもあまり思い入れは強くないように思います。

実家は自営の印刷業で、コピー機が来たときのことはよく覚えています。レンタルだと、コピー用紙をレンタル元から購入しなければいけないそうで、買い取りにしたはずです。

何しろ、印刷屋ですから紙は卸価格で手に入ります。よく覚えていませんが、数倍は違ったのじゃないでしょうか。

ただし、当時のコピー機はしょっちょう紙詰まりを起こし、紙と紙の間に空気層を入れる「さばく」という作業が必須でした。さばかないと、2枚一緒に送ったり、中で詰まったりしたものです。私もときどき手伝ったものです。

大量の紙をそろえる場合、さばいて(空気を含ませて)滑りをよくします。コピー機の場合はそのままセットしますが、保存する場合は空気を抜いて、崩れにくくします。コピー用紙の厚さだと、300枚とか500枚を一度にさばけますが、会社で見ていた後輩が感心していました。

親の手伝いは、子供の頃は嫌だったんですが、今思えばとても貴重な経験をさせてもらったと感謝しています。

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▲路上ライブにチラシは欠かせない

2014年6月2日月曜日

平気なんだけど(54/365)

これ、本当に他の人のエピソードなんでしょうか。いや、よくある話ではあるんです。

久しぶりに帰った 実家で
「まだ結婚しないの」って いつものこと

ありがちな会話なんですが、このあと

ううん、なんだかんだ好きなことを
やらせてもらっているんだもん

こう思う人は結構少ないのではないかと思います。多くの人が好きなことを仕事にしていますが「やらせてもらってる」とはふつう思いません。

あるとしたらこれくらいでしょうか。

  • 生活できるほど稼げていないので、仕送りをしてもらっている
  • その仕事に対して、親が反対している

職業に貴賎はないと思いますが、まっとうな仕事とそうでない仕事はあります。まっとうな仕事は「不幸になる人がいない仕事」、まっとうでない仕事は「不幸になる人がいる仕事」です。

技術系の仕事は、しばしば仕事を奪います。「まっとうな仕事」であるためには、仕事にあぶれた人に対して、もっと楽しい仕事を提案できることだと思います。

それにしても、多くの人が結婚したがる(させたがる)のはなぜでしょう。結婚の機能は、子供を育てるのに便利だというだけで、子供を持たない人、子育てを手伝ってくれる人が身近にいる人は、別に結婚する必要はないと思います。

2014年6月1日日曜日

ほんとは(53/365)

本当は多くの人と関わって生きていきたいのに、うまく表現できなくてひとりでいる人の話。

多かれ少なかれ、こういう気持ちは誰にでもあるのだと思いますが、「みんなそうだ」と言っても意味がありません。第1に、自分の悩みが他人と同じだっていう保証はどこにもありません。第2に、みんなそうだとしても、悩みが解消されるわけではありません。

なんの取り柄もなく、人とうまく付き合うこともできなかった人が、ちょっとした自分の才能に気付いて、大きな役割を果たすようになる、というのはアニメやライトノベルの王道ですが、実は次にもっと大きな問題が待っています。

自分が周囲と関係を持てているのは、自分自身の力ではなく、能力のせいではないのか。

この悩みは結構深刻です。たいていの能力は他の人で置き換えることができます。人間の価値は、何にも変えられない唯一の存在だという点にあるのに、置き換え可能な存在だとすれば、人間としての価値はないことになってしまいます。

これに対する答えは難しいんですが、ひとつの回答がこれです。

そんなことより野球しようぜ
(いや、別に野球じゃなくてもいいんですが)

不特定多数が書き込む掲示板によく登場する言葉で、議論の流れを断ち切るときに使います。

考えてもしょうがないことを考えてしまうときは、とにかく身体を動かしてみるのがいいようです。スポーツをしない人は(私はスポーツをしません)、散歩に出るのもいいようです。本を読んだり音楽を聞くのはさらに考えてしまいそうで、あまりおすすめしません。

だいたい、1人の人間から、人格と能力を分離することは不可能なので、「置き換え可能」と言っても実際に置き換えられるわけじゃありません。

逆のこともあります。

私の歌を聞きに来てくれるのは、私の歌が気に入ったのではなく、
私の頑張っているところを応援したいからじゃないだろうか。

能力(歌)を評価するのではなく、努力する姿(人柄)が評価されているのではないだろうかという話です。

これも意味のない悩みです(と決めつけられると、悩んでいる本人は悲しく思うでしょうが)。

いい曲を歌う人が頑張っているから応援するのであって、頑張っている姿だけを応援しているのでもなければ、歌だけを応援しているのでもありません。

大事なことなのでもう一度書きます。

いい曲を歌う人が頑張っているから応援する

のです。

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▲珍しいポニーテール(横から撮るの忘れました)