2014年10月31日金曜日

それでも 今日も戦いにいく(206/365)

ちょっとした一言でモチベーションが落ちてしまい、仕事する気をなくすことってありますね。それでも翌朝はきちんと出社して、仕事をします。

仕事しているうちに、また気分も変わるものです。

分かってるんだよ 働き始めた時のあの気持ち
どっかで落としちゃったみたいだなあ

とありますが、そこに気付けばもう大丈夫です。

庄司薫の小説『赤頭巾ちゃん気を付けて』では、主人公の庄司薫君は「世界中の人が幸せになるにはどうしたらいいか」を考えているうちに、「僕がこんなに考えているのに、誰も分かってくれない」と世の中に対して憎悪の念を抱きます(実際はそんなストレートな表現じゃないのですが、説明を端折ります)。そこへ、偶然出会った女の子と話すうちに初心に返り、「女の子を泣かせない男になろう」と決心します。

アニメ『魔法少女まどかマギカ』では、どんな願い事でも1つ叶える代わりに魔法少女になる契約をします。何人かの魔法少女が登場しますが、どの子も身近な人の幸福を願って契約します。それなのに、幸福を願った人が自分から離れていったり、誤解されたりして、絶望することになります。

たいていの人は、他人の幸せを願って仕事を始めますが、思うように進めないこともありますし、邪魔されることもあります。その結果、自分を責めたり、相手を非難したりするかもしれません。でも、それはもともとの志を否定することになるでしょう。

落ち込んだら、本当は何がしたかったのかを考え直し、直せるところは直し、交渉するところは交渉するべきなんでしょう。

もっとも、それができれば苦労はないわけですが。

ちなみに、庄司薫の小説については新潮文庫のPR文「薫くんが、新潮文庫にやって来た。」が面白いと思いました。


赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)

2014年10月30日木曜日

未来へ(205/365)

待っていても何も変わらないから、自分で未来へ踏み出すしかないという歌。

コンピュータは高価なので、1台を多数で使うことが常識の時代「個人用のコンピュータ」という概念を掲げた人がいます。

ゼロックスの研究所にいたアラン・ケイは、子供の可能性を伸ばすためにコンピュータが使えるのではないかと考え、「ダイナブック」というコンセプトを提唱します。大ざっぱに言ってしまうと、このコンセプトの一部がMacintoshやWindowsにつながります(MacintoshとWindowsは共通の親を持つきょうだいです)。

そのアラン・ケイがこんなことを言っています。

未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ

未来は誰にも分からない。実現を待っていたら、それはもう未来ではなく現在です。未来は現在の続きにあります。ありたい未来があるなら(またはあって欲しくない未来があるなら)、ありたい未来が来るように現在の努力が必要だということでしょうか。

IT業界では大変有名な言葉なので、ぜひ覚えておいてください。

2014年10月29日水曜日

ななつの星に願いを込めて(204/365)

ななつの星に願いを込めて」の前半に、加筆・修正をしました。転載の転載になりますがご容赦ください。


北海道の農協から依頼された、北海道米の歌です。依頼主「米米北海道のブログ」は、勤務先を説得して楽曲を発注されたそうです。

以前に別のところで書いた記事「北海道で米を作ることと、路上から武道館へ行くこと」の前半と「デジタルカメラの技術と農産物の品質管理」を転載します。


北海道で米を作ることと、路上から武道館へ行くこと

どの国の言語でも、文化的に重要なものや身近なものには、少しの違いを区別するための言葉がいくつもできると言われています。

たとえば、英語では雄牛と雌牛、去勢牛を区別しますし、カナダエスキモーには雪を意味する単語がいくつもあるそうです。

そう考えると、日本人に取って「米」は特別なものであることがよく分かります。

植物としての名前は「稲」、収穫したら「米」、調理したら「飯」と、全部違う言葉だからです。

しかも「米を炊いたもの」と「食事一般」が同じ「飯(めし)」あるいは「ご飯」と呼ばれます。「めし」は「召す」に由来し「食べること」だそうです。米だけが食事ではないでしょうに、驚くべき重要性です。

そういうわけで「調理した米」を指すときは「米の飯」という、「頭が頭痛で痛い」的なまどろっこしい言い方をしなければいけません。

北海道では明治初期まで米がとれませんでした。旧北海道は「松前藩」と呼ばれ、米の生産量である「石高」が設定されていましたが、便宜的なものであって、米ではなかったという話です。

明治以降、品種改良が進み、北海道は質・量ともに全国有数の米産地となりましたが、まだまだ知られていません。私も最近まで知りませんでした。私が子供の頃は「米はとれるが、味は良くない」と解説されていたように思います。

 

●ななつの星に願いを込めて~北海道米応援の歌~

そこで、北海道米販売拡大委員会では、北海道米のイメージソングを作ってもらい、PRにつとめることになったようです。歌うのは、作詞・作曲も担当した宮崎奈穂子さん。

できたのは2曲あるのですが、主テーマ「ななつの星に願いを込めて~北海道米応援の歌~」がwebサイトで聞けます(いきなり曲が流れるので注意してください)。

北海道米「ななつぼし」「ゆめぴりか」にかけた歌詞が並びます。

北海道で米作りをしている人の決意と努力がふんわり歌われていて、ななかないい曲なんですが、ちょっと気になったのが「北海道米なんて、と言われた日もあった」という歌い出し。

ふつう、企業や団体をテーマにした曲ではこういうネガティブな言葉は使いませんが、いきなりネガティブです。

確かに、私の年代では北海道米というのは美味しいイメージがありません(今は魚沼産コシヒカリに匹敵するくらい美味しくなっているそうです)。

そもそも、北海道で米を作らなくてもいいだろうという意見もあったと思います。北海道と言えば、酪農やジャガイモ、それからトウモロコシのイメージですよね。

でも、最初に紹介したとおり、日本人にとって米は特別な作物です。どうしても米を作り、自給し、出荷したいと思ったのでしょう。

もともと米作りに適しているとは言えない気候の土地で、おそらくは多くの人に「米は無理だ」「わざわざ米を作らなくてもいいではないか」と言われたのではないかと想像します。他府県はもちろん、きっと地元の方からも言われたのではないでしょうか。

歌を担当した宮崎奈穂子さんは、昨年11月2日に武道館単独コンサートを実現しました。路上ライブから、せいぜい数百人の箱を経験しただけで、いきなり公称席数1万5,000の武道館です。彼女の著書や講演によると「集客なんてできっこない」「武道館でやる意味があるのか」「やるとしても段階を踏むべきだろう」と言う人もたくさんいたそうです。

それでも、子供の頃からの夢だった武道館というのは、彼女にとって特別な意味を持っているのでしょう。最終的に6,000人を集めてコンサートを成功させます。

北海道米の曲を聴きながら、そんなことを思いました。

宮崎奈穂子さんは、「武道館の感謝の気持ちを形にするため、1年で365曲、あなたの歌を作ります」というプロジェクト「歌・こよみ365」に取り組み、1年弱で完成させました。このブログ『Annoutated 「歌・こよみ365」』は、それらの曲すべてにコメントを付けるのが目的です。

「歌・こよみ」には個人の曲も企業の曲もありますが、だいたいにおいて個人の曲の方が盛り上がります。企業だとどうしてもドラマ性が薄まるので、それは仕方ないと思います。そのかわり、安心して聞ける曲になるので別に悪いことでもありません。逆に、個人の曲だと緊張が高まりすぎて疲れることもあります。

北海道米の歌は、企業(団体)対象にしてはドラマ性の高い曲になったのは、冒頭のネガティブな言葉があるからでしょう。

北海道米の歌は、シングルCDとして発売されています。ほとんどは北海道内で配布されるそうですが、先日の「Birthday Eve闇市」で売っていたので購入しました。

シングルには3曲入ってます。3曲目は「夢を歌えば」で、これは「歌・こよみ365曲」のテーマ曲ですから実質2曲です。1曲目が今回紹介している「ななつの星に願いを込めて」、2曲目が「日本一の米所を目指す北海道米の歌 Rice Land Hokkaido」です。この2曲目がさらに衝撃的でした。これについてはまた後日書きたいと思います。

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▲PR用に、こんな携帯ストラップも作っているそうです
「ふかがわまい」とあります。深川市は北海道の北空知に位置します。
北空知の風の中(196/365)」もあわせてお読みください。

2014年10月28日火曜日

後回し病(203/365)

しなければならないことを後回しにすることは、誰でもよくあると思います。タグは「仕事」としましたが、子供の頃からの話が登場します。

この歌の偉いのは、後回しするのを1日だけやめてみたら、楽しい日になったというところです。普通はそんなことできません。

たいていの人は「特にやりたいわけではないけど、大事なことに取りかかる前に、気になることを片付けよう」ということになります。実際は「本当は気にならないこと」なんですけどね。

その結果、どうなるかというと、徹夜するってことになり、睡魔と戦う『人には 戦わなくちゃいけない時がある(174/365) 』に続きます。

「後回し病」の解決策は「これが終わったら楽しいことをしよう」と、やりたいことを後回しにすることだそうです(直感的に分かりますね)。でも、そんなことができれば苦労はありません。

かつて、宮崎奈穂子さんと同じ事務所にいた田中亜弥さんに『言い訳達人~明日やろうは馬鹿野郎』という素晴らしい歌があります。タイトルがいいですね。


▲振り付き路上ライブ(田中亜弥)

田中亜弥
▲田中亜弥さん(この頃はFighting AYAと名乗ってました)

2014年10月27日月曜日

伝えておきたいこと(202/365)

40年勤めてきた人が、先輩に教えてもらったことを振り返り、次の世代に伝えたいことを語ります。会社勤めのようですから、おそらく定年なのでしょう。これも恩送りのひとつです。

自分に嘘を 決してつかないで生きてください
仕事に厳しく 人に優しくあってください

教科書通りじゃ 人の心は動かない
失敗を恐れずに めいっぱい暴れてください

ひっくり返りそうなくらい 背伸びをしたら疲れるだろう
着飾らないで あるがままの自分で戦ってください

これが伝えたいメッセージですが、言葉にするとどうということはないですね。大事なことは、どういう仕事をしてきたか(見せてきたか)でしょう。

必ずしも尊敬される人にならなくてもいいと思いますが、矛盾した行動はとらないようにしたいと思います。

「メラビアンの法則」という有名な、でも多くの人が間違って解釈している説があります。ベストセラーになった新書『人は見た目が9割』でも、おそらくは意図的に誤った解釈が採用されています。

正しい「メラビアンの法則」はこうです。

感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたとき、受け手の影響は以下の比率である。

  • 言語情報(話の内容など)…7%
  • 聴覚情報(口調や言葉の早さなど)…38%
  • 視覚情報(見た目など)…55%

つまり、「あなたが好きです」と言っているのに(言語)、ぞんざいな言葉遣いで(聴覚)、よそ見していると(視覚)、その言葉は信用できない。あるいは「嫌いだ」と言っているのに、じっと見つめていたら、「ほんとは好きなんだな」と思うでしょう(いわゆるツンデレ)。

矛盾しないメッセージを送っている場合、メラビアンの法則は成り立ちません。常識的に考えて、態度と言葉が一致していたら、言葉から得られる情報が一番多いと思いますよね。

2014年10月26日日曜日

セレンディピティ(201/365)

「セレンディピティ」は、思わぬものを偶然に発見する才能を意味します。

この曲は、幸せになりたい女の子が旅の途中で転んだ時、「痛いの痛いの飛んでいけ」というおまじないを教えてもらったことから始まります。

おまじないの効果があったので、偶然見つけた怪我をしたウサギに試したら、やっぱり効果があって、それが嬉しくて、誰かの痛みを治すことが目的になり、女の子の夢は、幸せになることから、幸せに気付いてもらうことになった、という話です(そして、その夢はかないました)。

この話で大事なことは、女の子の目的は変わったものの、結果として「幸せになる」という最初の目的は達成されていることです。

人間は、もともと自分の快楽より、人が喜んでいる姿を見ている方が楽しい性質を持っているようです(「大人って(118/365)」や「ACTION ~あなたが背中を押してくれたから~」で書いた通りです)。

思わぬものを偶然発見したけれど、結果としては当初の目標が達成されているのが面白いと思います。

旅に出て欲しいものを得るといえば、「オズの魔法使い」です。何度か映画やドラマになっていて、ラストは微妙に違うのですが、ストーリーは同じで、ドロシーという少女とともに、脳みそがない(だから考えることができない)カカシ、心のないブリキの木こり、勇気のないライオンとともに旅をする話です。

旅の途中、さまざまな困難なことがありますが、みんなで協力して切り抜けます。最終的に、オズの魔法使いから、粘土の脳、スポンジで作った心臓(英語では心と心臓は同じheartです)、勇気が出る薬と言われたオレンジジュースをもらいます。すべて偽物ですが、全員が旅の途中で、それぞれ欲しいものを手にれていたという話です。

『セレンディピティ』の女の子も、幸せになりたいと思いながら、当初の目的とは違う道に進みますが、結果として幸せになっています。

ちょっと寄り道をしていると思っても、最終的には思いがかなうという話じゃないかと思います。

そもそも、人間のキャリアは偶然の産物であるという説があります。これについては、別のブログで「【読書日記】路上シンガー宮崎奈穂子」という記事を書きました。その一部を抜粋します。


人間のキャリアの多くは偶然作られると言われる。目の前のことに全力で取り組み、できることをやっているうちにキャリアが自然と作られる。1つの目標に固執すると、かえってキャリア形成を阻害する。スタンフォード大学のクランボルツ氏はこれを「計画された偶発性理論」と呼んだ。

クランボルツ氏によると、予想しない偶然的な出来事を活かすには以下の5つの要素が必要だという。

  1. 好奇心
  2. 持続性
  3. 楽観性
  4. 柔軟性
  5. 冒険心(リスクテイキング)

面白いことに、宮崎奈穂子にはこれらの要素がすべて備わっている。彼女は「歌手になる」という目標を立て、一直線に進んでいったように見えるが、本書を読むと案外寄り道の多いことが分かる。小学生のときは、合唱部とブラスバンド部の両方に所属していた。どちらかを選びなさいと迫る母親に対して「両方やる」ときかなかったという(好奇心)。

中学では吹奏楽部に入り、肺活量を付けようとサックスを担当したかったのに、担当したのはパーカッション。しかも最初の半年はメトロノームに合わせて1日3時間机を叩き続けた。もともと「同じことを継続する習慣があった」というが、本意ではないことをこれだけ続けられるのは普通ではない(持続性)。

後になって「この経験が基礎的なリズム感を養うことができた」と振り返るわけだが、当時は「なんでこんなことやっているのだろう、選択を失敗した」と思ったこともあるに違いない。しかし、ここで「歌手になるには無駄な作業だ」と思って、1日30分しか練習しなければ本当の無駄になってしまったかもしれない。3時間やったからこそ役に立ったと言える。

高校では弾き語りができるようになりたくて、ギターをマスターするために軽音学部に入ろうとしたら、マンドリン部に誘われ、そこでクラシックギターを弾いていたという(ギターとマンドリンはセットで演奏されることが多い)。

こうして列挙してみると「歌手」という目標から微妙にずれていることが分かる。本人は大まじめだったと思うが、知らないうちに「目標にとらわれすぎない」という原則を満たしていたことが分かる。


路上シンガー宮崎奈穂子 武道館公演への軌跡 ~Birthday Eve~

2014年10月25日土曜日

笑う 泣く(200/365)

いろいろ難しいことを考えて、分からなくなるけど、結局の所「笑う」「泣く」の繰り返し。

そういえば、娯楽作品もだいたい「笑う」か「泣く」です。芸術作品には「考え込む」というのはありますが、エンターテイメント性の硬いものは「笑う」「泣く」のどちらかです。

犬は時々笑いますし、猫も(犬ほど分かりやすくありませんが)笑います。馬も笑いますね。

でも、「笑うためにストーリーを作る」のは人間だけのようです。

俗に「喜怒哀楽」と言いますが、喜びと楽しみは笑い、怒りと悲しみは泣きます。そう考えると、人間の感情は笑うことと泣くことに集約されるのかもしれません。

でも、笑いが多い方が楽しそうですが、親しい人が亡くなったときなど、ときには泣くことも必要かもしれません。

2014年10月24日金曜日

振り向かない(199/365)

自分では一所懸命やっているのだけど、どこかで逃げている。

私、変わりたいと思いながら
変わることを恐れていたんだ

今することがたくさんあって、毎日の仕事は頑張っているけど、長い目で見た場合に、その先はあるのかと思うことがあるでしょう。そういう歌なんだと思います。

ここに、壊れかけのテレビがあるとします。何かの接触が悪く、時々写らなくなります。軽く叩くと、一時的に回復してまた写るようになります。

この時、どういう風に叩けば、より確実に写るのかを練習する人がいます(たとえ話です)。でも、そこで頑張るよりは、中を開けて配線をチェックするなり、買い換えるなりする方が長い目で見たら得策です。

中を開くことで、壊れかけのテレビが、完全に壊れるかもしれません。新しいテレビを買うには費用もかかります。それでも、壊れかけのテレビは、ほとんど壊れているわけですし、もしかしたらいつかショートして火事を起こすかもしれません。

テレビが写ればいいと祈りながら毎日叩いてみるより、リスクをとったり、費用をかけて新しいテレビを買う方がずっと確実です。

そういう歌なんじゃないかな、と想像してみました。

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2014年10月23日木曜日

ほんとは ほんとは(198/365)

強いとか弱いとか(74/365)」は、「君は/私は強いから」「私は/君は弱いから」って簡単に言えるものじゃないよ、っていう歌でした。

この曲は「あなたは強い」って言われるけど、本当は逃げ出しそうな自分を必死で引き留めているという歌です。

ちょっと分からないのは途中にある

人の心の痛みが分かるには
自分が痛みを経験することだと
昔から言われるこの言葉もきっと
腑に落ちるには経験しかないんだ

です。

あなたは私のことを「強いね」って言うけど、
あなたは経験していないから、私の気持ちは分からないでしょう

という意味なのか、あるいは

あなたは私のことを「強い」と思うことで、自分の弱さを知って傷つく
そのことを私は気付かなかった

という意味の、どちらでしょう。

もっとも、どちらであっても生き方は大して変わりません。

小説家の庄司薫が、長編評論『狼なんか怖くない』でこんなことを書いています。

美人ちゃんは、美人というだけで人を傷つける

美人かどうかは持って生まれた要素が強く、本人の責任ではありません(美人の素質を生かすかどうかは本人の努力ですが)。けれども、他の人から見ると「あの人は美人だから」とねたみの対象になり、「それに引き換え私は」と(勝手に)傷ついてしまうという話です。

じゃあ、生きていても人を傷つけるだけだから、自殺しようと思っても、「他人を傷つけるのを恐れて自殺する」ということ自体が美談になり、結果として他の人を傷つける。しかも、死んでしまった以上、償うことすらできないという事態になってしまいます。

庄司薫の結論はこうです。

成長の過程で他者を傷つけたとしても、成長の結果で恩返しをすれば良い。
すれば良い、というより、それしか方法が無い。

人の痛みが分からず、人を傷つけてしまった場合、その傷を癒やせるくらい大物になって恩返しをするということです。

だからといって、積極的に他者を傷つけていいというわけではありませんが、確かに他に方法はないと思います。

2014年10月22日水曜日

今この場所で学ぶべきもの(197/365)

宮崎奈穂子さんにしては珍しい調の曲です。歌詞のストーリーは以下の通りです。

  • 努力しているのに、思うように成長できない
  • 今この場所での努力が大切
  • 自分で感じられなくても、環境が変わったとき、自分の成長を実感できる
  • 今ここですべきこと、出会うべき人がいる
  • タイミングは予測できないから、常に準備しておこう

今まで、当たり前だと思っていたことが、実は並外れた能力だったということはあります。ある環境では当たり前の能力が、別の場で重宝される経験を持つ人も多いでしょう。「私なんて」と謙遜するのは必ずしも美徳ではありません。

先日、宮崎奈穂子さんのずいぶん古い動画を見つけました。予想に反して大変下手くそでした。本人の名誉のため、どこで発見したかは書きません。

私が出会ったときは、路上ミュージシャンとしては上手な方だったと思いますが、昔のライブの動画を見ていると、今の方がずっと上手くなっていることが分かります。

特に、武道館コンサート以降の進歩が著しいという評判です。

毎日のように曲を聞いていると分からないことでも、時間が経つと進歩が分かることもあります。だから、毎日の積み重ねが大切だという話です。

そして、タイミングが予測できないというのもその通りで、『歌・こよみ365完全版』には「タイミングの神様」という曲もあるくらいです。

もっとも、いつ起きるか分からないタイミングのために、毎日準備するというのは、なかなかできることではないのですが。

2014年10月21日火曜日

北空知の風の中(196/365)

『歌・こよみ365完全版』17枚目の最初の曲です。どうやら、仕事をテーマにしているようです。この歌はあまり仕事っぽくありませんが、調べてみるとしっかりしたお仕事でした。

タイトルの通り、北空知(きたそらち)の歌です。私の好きなメロディラインで、ゆっくりしたリズムで地声から裏声に切り替わるところが素敵です。

北空知は北海道の地域で、深川市などが含まれます。北海道の地域区分は、他の都道府県と違うのでしばしば混乱します。

学校で使う地図(検定済教科書)では「支庁」という区分を習いましたが、日常的にはあまり使われていないそうです。しかも、さっき調べたら「支庁」は「振興局」に変わってました。北空知は、空知総合振興局に所属するようです(振興局と総合振興局の違いもよく分かりません)。

地理的には、札幌と旭川の中間にあり、石狩平野の一部を含むそうです(空知総合振興局は石狩振興局と隣接しています)。

北空知には、深川市があり、深川市と言えば深川米です。そして、深川米といえばアイドルユニット乃木坂46の深川麻衣。2012年に、JAきたそらちが深川米のPRに起用したそうです。

このブログを読んでいる数人の方ならお気づきでしょう。この曲も北海道米つながりでできたようです。詳しくは「ななつの星に願いを込めて」をお読みください。

この曲には、北空知の観賞用植物が登場します。

最後は「北空知の風の中 育てられたお花は」で始まるフレーズが繰り返されるので、どうやら「北育ち元気村」の仕事を扱った歌のようです。

最初聞いたときは、「スターチス」は北空知に自生しているのかと思いましたが、「ハロウィンのかぼちゃ」というのがどうも不自然で、検索したら以上のことが分かりました。

前に書いた「苺一愛(いちごいちえ)」では、歌詞の不自然さに気付きながら、検索をしなかったのですが、読者の方から指摘していただきました。

このブログのページビューは、記事あたり5人くらいなので、読んでいる方から指摘されることは少ないかと思います。ちょっとでも不自然に思ったら検索するつもりです。

Limonium imbricatum
▲スターチス(観賞用に出荷されるものとはちょっと違う感じがします)
呼称変更が行われ、植物学的にはスターチスではなくリモニウムと呼ばれることが多いそうです。

2014年10月20日月曜日

あなたの星(195/365)

「あなたの星」に加筆・修正したものです。


『歌・こよみ365~秋編~』のEXTRA Trackの曲です。

この曲は、親しい人が亡くなったことを歌っています。

『歌・こよみ365完全版』16枚目のテーマは時間とか成長のようです。「命とは時間のこと」という言葉もあるそうで、16枚目の最後は命の話です。

『歌・こよみ365』には、結婚式の歌や、誕生の歌は何曲か収録されていますが、死を扱った曲はほとんどありません。少なくとも、直接的に扱ったのはこの1曲だと思います。

伴奏やアレンジを他の人にお願いするよりも、自分だけですべてを担当することで追悼の意を表明したのではないかと思います。後述するように、弾き語りでないと制作工程に間に合わないという問題もあったかもしれません。

多くの人の手をかけることで、完成度を高めて追悼するという方法もあるでしょうが、宮崎奈穂子さんは、すべてを自分の手で作って贈りたかったのでしょう。歌詞が印刷されていないのも、他人の手をかけたくないということかもしれません(こちらも後述の通り、単に間に合わなかっただけかもしれません)。

ただ、タイトルくらいは入っていないと本人にも伝わらないので、EXTRA Trackという形で収録し、ジャケットにタイトルと詞書きを付けたのだと想像します。

全部想像なので、真相は分かりませんけど。

歌詞によると、どうやら急に亡くなったようです。死の前日まで私を励ましてくれたのに、伝えてきれていいない「ありがとう」がたくさんあったと歌詞にあります。

亡くなった人のことを思いながら「あの人ならどう思うだろう」と考えながら生きていくしかないんですよね。

さて、ここからはExtra Trackとして習得されたことを想像してみます。

『歌・こよみ365』のタイトルが付いたアルバムは、完全版を除いて、以下の5枚が発売されました(秋編は直販のみ)。

  • 早春編
  • 春編
  • Women
  • Real Intention
  • 秋編

どれも最後の曲が「夢に歌えば」です。

1枚目「早春編」は、10曲収録されていて、最後が「夢に歌えば」です。その他は11曲収録されていて、最後が「夢に歌えば」、つまりオリジナル曲が10曲で構成されます。

ところが5枚目の「秋編」他のアルバムと同じく、11曲目が「夢に歌えば」ですが、その後に今回紹介する曲が入っており、全部で12曲構成となっています。

また、通常レコーディングでは歌と演奏は別々に収録されますが、この曲は弾き語りだそうです。ブログにもこうありました。

そして一番最後の最後に、この6年間で初めて、
弾き語りでCDに収録させてもらった楽曲。。。

【「歌こよみ365】第5弾ニューアルバム「秋編」、WEBSHOPに登場しました^^」より

さらに、この曲は歌詞カードに収録されていません。

「秋編」の発売は、2013年11月23日、1年ぶりの単独ライブの日でした。どうしてもこの日に発売したいために、作業工程を省略したわけではないでしょう。レイアウト変更を考慮しても、そこまでぎりぎりの日程ではないはずです。

それに、CDジャケットの裏にはきちんと「あなたの星」とタイトルが印刷されています。

最初はそう思ったのですが、やはり急に入れたのかもしれません。ポイントは以下の3店です。

  • 通常よりも1曲多い
  • CDジャケットにタイトルが印刷されている
  • 歌詞カードに収録されていない

この時点で『歌・こよみ365』の試みは終盤に入っており、1曲追加するくらいは難しくなかったはずです。

ボーカルと伴奏を別々に録音した場合、ミキシング(トラックダウン)工程が必要ですが、弾き語りなので、その必要はありません。そのため通常の工程よりも短時間で完成します。

CDジャケットは1枚ものの印刷なので、文字変更は比較的簡単です。一方、歌詞カードは製本されているため、ジャケット印刷よりも多くの日数が必要になりますし、ページ数の変わる変更はかなり面倒です。

そして、このアルバムが音楽事務所Birthday Eve最後の作品になりました。この機会を逃すと、CDが出ないかもしれないという危機感があったかもしれません。実際「秋編」は一般流通しておらず、事務所の営業活動が低下していた可能性もあります。

こうした背景を考えると、この曲の印象も少し変わってくるのではないでしょうか。

2014年10月19日日曜日

ひとりひとり(194/365)

ひとりじゃ何もできないけど、ひとりひとりが自分のできることを頑張れば大きなことができるという歌です。

先の「逆上がり」なんかにも通じるところがありますね。

また、「楽しいことないかな」って自分のことだけ考えていたり、失敗したりしても、そばにいてくれたり、叱ってくれたりした人がいたという歌詞もあります。

人を育てるのは根気がいることですが、それだけ価値のあることです。

バカな人はいない、バカな行動があるだけ

という言葉があります。バカな行動をしても、言って聞かせ、やってみせれば、何が悪かったかを理解し、改めることもできるでしょう。短い曲ですが、そういうストーリーを感じました。

『歌・こよみ365完全版』の16枚目は、時間的な流れ表現した曲が多いようです。この曲も、単に「ひとりひとりが頑張ろう」というだけではなく、失敗してもやり直せるということを示しているのではないかと思います。

ところで、この曲は歌詞もいいんですが、「ひーとりー ひとーりがー」というメロディも素敵です。例によってお伝えできないのが残念です。

2014年10月18日土曜日

逆上がり(193/365)

前に書いた「逆上がり」に若干の加筆をしました。そもそもが別の記事の転載なので、転載の転載になってしまいました。

また、動画を付けたので、ぜひ聞いてください。


▲私の出版記念パーティに来てもらったときに歌っていただきました。

CDはもう少し速いテンポで歌っています。また、CDでは「できる」となっている歌詞の一部が「やれる」に変わっています。以前、ライブで聞いたときも変わっていたので聞いたら意図的に変えたということです。

おそらく「できる」よりも「やれる」の方が強い意志が感じられるからだと思います。


これは本当にいい曲で、今まで聞いた「歌・こよみ365」50曲あまりの中での傑作だと思います。

以前書いた別のブログ記事「宮崎奈穂子「逆上がり」」から転載します。

オチを言ってしまってますが、まあ別にいいでしょう。


宮崎奈穂子さんの新譜「歌・こよみ365~Women~」の収録曲の歌詞が、ご本人のブログで少しずつ公開されています。

歌・こよみ365~Women~」は、主に仕事がテーマです。
6/26(水)に公開されたのは「逆上がり」。

この曲は(この曲も)、よく聞き込むと本当に素敵な歌詞で、4分ちょっとの間に3つのテーマが入ってます。

表面的な内容は、小学生時代に逆上がりの練習をしている話ですが、逆上がりを人生の目標に置き換えて語っています。

全歌詞は、宮崎奈穂子さんのブログ記事『【歌・こよみ365第3弾アルバム「Women」リリース御礼!!】歌詞公開*「逆上がり」』を読んでいただくとして、ここでは大事な箇所を抜き出して紹介します。きっと試験に出ます。

その1: あきらめないこと

最初からできる 人なんていない
夢を叶える方法は たったひとつ
「叶えるまで諦めないこと」

もちろん、「あきらめないこと」が一番難しいのですが、「やりたいと思わないことはできない」のは確かです。

本当の逆上がりにはコツがあって、練習量を減らすことはできるでしょうし、自然にできる人もいるでしょうが、全く練習なしにできる人はおそらくいません。

宮崎奈穂子さんも、幼い頃からピアノを習い、マンドリン部でギターを弾き、ボーカルスクールに通っていたそうです(なぜマンドリン部でギターなのかは、著書「路上シンガー宮崎奈穂子」をどうぞ)

その2: 人の力を借りること

どうしても逆上がりができずあきらめようと思ったときに、先生が手伝ってくれます。

華奢な腕なのに背中を えいって押してくれた
その瞬間 知らなかった世界が見えた

表面的には逆上がりをするために添えた手のことですが、この後に続く歌詞を読めば「自分の夢(やりたいこと)を助けてくれた」という意味が分かります。

あの日先生が教えてくれたこと 大人になってやっと分かった
ひとりじゃできないことも ふたりならできること

自分がやりたいことを実現するのに、人の力を借りるのは恥ずかしいことでも何でもありません。助けてくれる人がどれだけいるかが本人の力量です。

宮崎奈穂子さんも、ひとりで「武道館単独公演」を実現したわけじゃありません。バンドメンバーや事務所の人はもちろん、一緒に行く人の当てもないのにチケットを2枚買った人、ことあるごとに宣伝してたら「うるさい」と怒られた人、こういう人の力があったから実現したのだと思います。まあ、あんまり大きな力でもなかったかも知れませんけど。

その3: 恩送り

一番感動したのが最後のフレーズです。

ランドセルが揺れる 職員室から眺めた空
私あの日の先生みたいに なれてるかな

「恩送り」という言葉があります。
受けた恩をその人に返すのが「恩返し」、別の人に送るのが「恩送り」。

恩返しは大事なことですが、当事者同士で完結してしまいます。
恩送りは、送られた人がさらに別の人に送ることで、どんどん広がっていきます。

恩送りと恩返しは、宮崎奈穂子さんの著書「路上から武道館へ」の最終章のテーマにもなっています。

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▲恩返し

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▲恩送り

宮崎奈穂子さんのブログ記事『「歌・こよみ365」という挑戦を始めます」』によると「歌・こよみ365」というのは、

(武道館の成功を)恩返しの気持ちを込めて、
皆様のドラマを、代わりに歌わせて頂き、
広めさせて頂きたいと思います。

ということだそうです。

実際には、武道館後に知り合った人も対象ですので、恩返しというよりも恩送りに近いのですが、いずれにしても「他人の歌を作る」というプロジェクトです。

でも、そこはやはりシンガーソングライターですので、どうしても自分が出てしまいます。楽曲を依頼する方も、それを期待していることでしょう。

「逆上がり」も、こうして見ると見事にご本人の思いが込められています。
ぜひ、多くの人に聞いて欲しい曲です。

歌こよみ365 Women~夢に歌えば~」は、Amazon.co.jpなどで購入できます。
(既に出荷は停止しているので、もうないかもしれません)

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2014年10月17日金曜日

きっと大丈夫(192/365)

必要なタイミングで必要な人に会える、だからきっと大丈夫という歌です。

今度は、根拠のある「大丈夫」ですが、その前提となる「必要なタイミングで必要な人に会える」に根拠はありません。

根拠はありませんが、実際にそういう経験をした人は多いはずです。

たとえば、宮崎奈穂子さんとローソンの方の出会いは前に書きました(出会いの奇跡(143/365))。

この歌では、偶然再会した人が言ってくれた言葉にあてられたメロディが印象的です。

「どんな時も 環境や人のせいにせずに
前を向いて笑顔でいれば
きっとすべてが上手くいくよ」

環境や人のせいにしたら、改善しようという気にならないからかもしれませんね。

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▲文化放送と縁の深いアイドルユニット「トーキョーチアチアパーティ」に楽曲提供をした縁なのか、文化放送の1階サテライト広場でレコード発売ライブがありました。

2014年10月16日木曜日

人間はめんどくさい(191/365)

嫉妬したり、取り繕ったり、自分に嘘ついたり、人間はめんどくさいという話。

ほんとにめんどくさいですが、それも大人になったということでしょうか。

実は、宮崎奈穂子さんの曲には「めんどくさい」詞がとても多く出てきます。特に、武道館コンサート前後に出た2枚のアルバム「路上から武道館へ~Birthday Eve~」「My Way~就職は武道館で~」には「存在意義」とか「ほんとの価値」とか、めんどくさい言葉がたくさん並びます。

2010年に発売された『仕事と結婚と私』という曲にも、いろいろめんどくさい話が出てきます。想像するに、高校時代からめんどくさいことを考えていたのではないかと思います。

大人になるというのは、めんどくさいものです。若い頃からめんどくさいことを考えてきたとしたら、それだけ早く大人になったのかもしれません。

『歌・こよみ365完全版』16枚目では、大人になる話がたくさん出てきますが、どれもいいことばかりではありません。それでも頑張って生きているのは、若い人と変わらないのかもしれません。年を取ったから悩みがなくなるわけでもありません。

小学生の頃、大学生は大人だと思っていましたが、実際に大学生になったら大したことありませんでした。大学生の頃は、30代は一人前だと思っていましたが、実際にはそうでもありませんでした。50代になると、めんどくさいことには慣れてきましたが、思っていることはあまり変わりません。

それでも「慣れてきた」ということが、大人になったということかもしれません。

2014年10月15日水曜日

笑顔のペイフォワード(190/365)

英語のpayには「報いる」という意味があります。「pay back」だと「恩返し」という意味になります。「ペイフォワード(pay forward)」は、恩を返すの出はなく、(別の人に)送る、つまり、日本語で言う「恩送り」と同じ意味になります。

別のエントリで紹介した図をもう一度出します。

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▲恩返し(pay back)

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▲恩送り(pay forward)

恩返しは人として大切なことですが、恩送りは文化を作ります。

人の一生は、たかだか数十年、恩返しをするいは相手が生きている必要があります。つまり、恩返しの有効期間は数十年に過ぎませんし、さまざまな制約もあります。

しかし、恩送りをするには、恩を受けた相手が生きている必要はありませんし、世代を超えて伝えることもできます。これが文化というものです。

ところで、この曲には「あの女将さんに会いに行こう」「暖簾をくぐったら」という言葉が出てきます。

実は、東京都練馬区の小竹向原にある居酒屋「樽見のことを歌った曲です。このお店、食べログのランキングにも入ったそうで、なかなかいいところでした。

宮崎奈穂子さんとも縁のあるお店で、入口には宮崎奈穂子さんの著書とチラシが置いてありました。時々、ファンの集まりにも使っています。

小竹向原は、住宅地なんですが、副都心線が開通してから各種路線の乗り換え駅になりました。そのため、駅名だけは有名ですが、特別な商業施設ができたわけでもなく、駅周辺は相変わらずの住宅地です。「樽見」も住宅地の真ん中にあり、結構分かりにくい所にあります。地図をよく見て行ってください。

2014年10月14日火曜日

私ならできる(189/365)

今までの努力を振り返って「私ならできる」という歌です。

今度は「根拠のない自信」ではないようです。ちなみに、根拠のない自信の既出曲は以下の2曲です。

よく聞くと「ともに戦ってきた」「支え続けてくれた」というフレーズがあり、1人ではないことが分かります。

このブログで繰り返し書いているように、1人ではできないこともみんなならできるかもしれません。

ところで「今日の日を迎えた」という言葉があるのですが、何のことでしょうね。何かが終わった感じではないので、会社の創業か何かでしょうか。

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▲この場所は坂になっていて、自動車のライトがきれいに当たるので好きです。

2014年10月13日月曜日

片想い(188/365)

片想いの相手にメールを送ろうと思って、3行に20分考えて、やっぱり送るのをやめたという、若いときにはよくある話。いや、若いときは、そのまま送ってしまって後悔するかもしれません。

歌の中では「この歳になっても、中学生みたいな片想い」と自嘲していますが、実際には大人になってもよくある話じゃないかと思います。

宮崎奈穂子さんは、これだけ曲を作っているのにラブソングはほとんどありません。CDになっているものでは、「Love Songs」のサブタイトルがついている『Acoustic 2』の他は、アルバム『Acoustic 1』の『息を吸うように』『おやすみなさい。』『さよならしなきゃ』『たんぽぽ』と、アルバム『路上から武道館へ〜Birthday Eve〜』に収録されている『5分だけ泣いて帰ろう』くらいじゃないかと思います。しかも『息を吸うように』は、表現が微妙すぎて、言われるまでラブソングだと気付かなかったくらいです。もしかしたら、他にも微妙な曲を見落としているかもしれません。

その他は、アイドルユニット「トーキョーチアチアパーティ」に提供した『好き…好き。』くらいでしょう。シングル曲には、ラブソングはもっとあるのですが、いずれも宮崎奈穂子さんは作詞に関わっていません。

ちなみに、『Acoustic 1』の『オレンジ』はラブソングとしても聞けるのですが、実際には同性の友人を思いながら書いたそうです。

Acoustic 2』は「Love Songs」のサブタイトルが付いていますが、提供曲が半数程度あります。以下、Wikipediaの宮崎奈穂子ディスコグラフィーから引用します。

  1. カサブランカ(作詞作曲: 立石賢司)
  2. サヨナラ(作詞: 伊吹唯&立石賢司)
  3. 小さな恋(作詞作曲: 立石賢司)
  4. 悲しみよこんにちは(作詞: 宮崎奈穂子&立石賢司)
  5. 春が来た(作詞: 宮崎奈穂子&立石賢司)
  6. 今夜の風に乗って(作詞作曲: 宮崎奈穂子)
  7. 恋文(作詞作曲: 立石賢司)
  8. 沈黙の夜(作詞作曲: 宮崎奈穂子)
  9. あなたと(作詞作曲: 宮崎奈穂子)
  10. ねぇ…(作詞作曲: 立石賢司)
  11. 3つの星(作詞作曲: 宮崎奈穂子)
  12. あなたに会いに行かなくちゃ(作詞: 宮崎奈穂子&立石賢司)
  13. カンバン娘とあなたが私を呼んでくれるなら(作詞作曲: 立石賢司)
  14. ジャンケンポイ(作詩: 宮崎奈穂子&立石賢司)
  15. 二人はずっと素敵な恋をしていました(作詞: 伊吹唯&立石賢司)

赤字が、作詞に宮崎奈穂子さんが関わった曲です。いずれも、あからさまラブソングはほとんどなくて、かなり抑えた表現になっています。

特に、武道館コンサート以降に限ると『5分だけ泣いて帰ろう』だけという希少性です。そもそも、これは失恋の歌なので、恋愛中の曲は皆無ということになります。

宮崎奈穂子さんは、著書の中で「別に、私がラブソングを歌わなくても」という意味のことを書いており、自分の夢や仕事についての曲が増えています。

人生にとって、恋愛は非常に重要なことではありますが、恋愛をしている期間は意外に短いものです、それに対して、仕事をしている期間はかなり長い、「仕事」の範囲を賃金労働以外まで広くとらえると、学生時代から死ぬまで続きます。にも関わらず、仕事を歌った曲は意外に少ないように思います。

だから、私は今の路線はとてもいいことだと思います。

しかし、ラブソングを望むファンも多いことですし、期間は短くても恋愛は人生の一大事ですから、こんな風に時々は作ってもらえるといいのかな、と思います

そして、次回こそは片想いではない曲をお願いします。

2014年10月12日日曜日

大人になってできなくなること(187/365)

大人になって、パソコンやスマホや、その他難しいことはできるようになったけど、声を上げて泣いたり、自分の夢を語ったり、素直に感情を表せなくなったことを歌います。

思ったことをすべて口に出したら、人間関係が成り立ちませんが、素直になっていいところで、素直になれないということはあるかもしれません。

歌詞もいいのですが、でも、この曲の一番いいのはメロディだと思います。

悲しいとき 声を上げて泣くこと
怖がらずに 失敗をすること

同じメロディが何度も繰り返されますが、歌詞と合わさってとてもいい曲に仕上がっています。メロディを言葉で伝える技術が私にないのが残念です。

特に「悲しいとき」のワンフレーズがほんとにいいメロディで、一時期、この曲だけをずっとリピートしていました。

法的にも道義的にも、引用は自由に出来るので、機会があれば公開したいと思います。

2014年10月11日土曜日

「好き」って何だっけ?(186/365)

「歌・こよみ365」16枚目のテーマは、どうやら時間とか、成長とか、大人になるとか、そういうことみたいです。

好きで始めたことなのに、時間が経つにつれて、それが負担になることがあります。

評論家の岡田斗司夫さんは、著書『プチクリ!―好き=才能!』で、こう書いています。

好きだと思う気持ちこそが一番の才能

天才と呼ばれる人は、ほぼ例外なく努力をしています。しかし、その努力を苦痛だと思っている人は聞いたことがありません。野球選手のイチローは

練習しても駄目なときはあるし、練習しなくてもラッキーなこともある。
だから、練習そのものを楽しむことが大事。

と言ったそうです(又聞きなので、どこかで変わっているかもしれません)。

ところが、好きで始めたことなのに、嫌になることは確かにあります。目標を決めたことで、目標そのものが目的になってしまい、嫌になるような場合です。

この曲は、好きで始めたことが、どうやら嫌になったようです。

そこで、

今日はもう さぼっちゃえって
やりたいこと やるようにした
そしたら 心が喜んで
さぼるのも悪くないんだって 分かった

ということです。

最後は

そしたら なんだかわくわく
これが「好き」の感じだって 思い出した

ということです。

大前提として、普段から頑張っていることが大事ですが、自分の設定した短期目標にとらわれず、好きの気持ちを大事にしたいものです。

音楽が好きで、もっと自分の曲を聞いて欲しい、そのためにはライブにたくさん来て欲しい、CDをたくさんの人に受け取って欲しい、目標を決めよう、50日で5000枚。ここまではいいと思います。数値目標を設定するのはとてもいいことです。

でも、そこで「今日はまだ10枚しか売れていない、どうしよう」と焦り始めるとちょっと危ない感じになります。そして、売るためにはどうするかだけを考え始めると、だんだん嫌になってきます。

こういうことは、会社組織にするとよく起きます。好きで始めたことなのに、継続するにはもっと売り上げが必要で、そのための努力の結果、好きだったことが嫌になる。

こういうときは、少し休んでみるのがいいと思います。そうしたら、自分が何を好きだったのかが思い出せるはず。

普段から頑張っているのが大前提ですが、たまに休むことで、より良い結果が出るのではないでしょうか。


プチクリ!―好き=才能!

「プチクリ(プリ・クリエイター)」については、糸井重里さんと岡田斗司夫さんの対談「プリくりをめぐる歌」もおすすめです。

2014年10月10日金曜日

大人も悪くない(185/365)

「歌・こよみ365」16枚目のテーマは、どうやら時間とか、成長とか、大人になるとか、そういうことみたいです。

この曲は、平日は仕事で疲れているし、休日は洗濯もしないといけないけど「大人も悪くない」っていう歌です。

子供の頃に思っていたようなスーパーマンにはなってないけど、悪いもんじゃない。平日は朝から夜まで仕事して、疲れて休日は昼まで寝ているような生活でも、そん何悪くない。私もそう思います。

実は、社会人は意外に融通が利きます。詳しくは「大人って(118/365)」に書きましたので、よかったらあわせてご覧ください。ここでは項目だけを挙げておきます。

  1. 目標の対象が、自分か他人に変わり、本質的に楽しくなります。
  2. 時間が自由になります(自分で決めることができます)。
  3. お金が自由になります。
  4. 行動が自由になります。

職場によっては成り立たないかも知れませんが、私が学生時代に会った大人の多くは、学生よりもはるかに自由に生きていました。

できれば、私もそう思われたいものです。

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そういえば、路上ライブの常連も、ほぼ全員が社会人です。
社会人の方が時間が自由なんですよ。

2014年10月9日木曜日

私たち きっと大丈夫だよ(184/365)

この曲から「歌・こよみ365」の16枚目が始まります。テーマは、どうやら時間とか、成長とか、大人になるとか、そういうことみたいです。

前に取り上げた「「あなたなら大丈夫」(179/365) 」が、他人に励まされる歌だとしたら、この曲は自分に言い聞かせる歌です。

「あなたなら大丈夫」(179/365) 」でも出てきたように、この曲でも「根拠のない自信」が語られます。歌い出しはこうです。

私たち きっと大丈夫だと
根拠なんてない ないけど そう思う

行きすぎると、単なる無茶になりますが、自分が今できることをやりきったあとなら、こういう自信はあっていいと思います。

そして、「「あなたなら大丈夫」(179/365) 」で紹介した言葉は、とても大事なのでもう一度書きます。

テレビ東京のドラマにもなったマンガ「アオイホノオ」(島本和彦)の名台詞に、

自信というのは、根拠のないものだ

というものがあります。

ところで、この曲のタイトルは「私たち」です。しかし、歌詞には

ひとりぼっちだと 嘆いたときも
…(中略)…
いつだって夜は朝へとつながって
笑える日がやってきた

とあります。

「ひとりぼっち」が、仲間を見つけて「私たち」になったのでしょうか。

だとしたら、あなたたち、きっと大丈夫です。

他の曲では「1人じゃできないことも 2人ならできること」と歌っているくらいです。2人なら大丈夫です。根拠はないけど。

若いときはどうしても、自分で全部やろうとしてしまいます。実際、勢いでできてしまうこともたくさんあります。でも、本当に大きな仕事は1人ではできません。仲間を見つけて、共通の目標に向かうのは、大人の仕事です(体力的に無理がきかなくなる、ということもあります)。

大人としては、チームで仕事をする楽しさを若者に伝えたいものです。

2014年10月8日水曜日

今日も 一日が終わる(183/365)

『歌・こよみ365完全版」の15枚目は、「前進」がテーマのようですが、いつも着実に前進するわけではないようです。15枚目の12曲を、文としてつながるように、一部の表現を変えて並べてみました。

  • 朝の10分で未来を買えて
  • 東京の人混みをかき分け
  • 睡魔と戦い
  • 春夏秋冬、1年中
  • どこまでも進んでいき
  • この季節が来たら
  • 今日も考える
  • 「あなたなら大丈夫」と言われ
  • 幸福駅に行って
  • まほろ横町に住み
  • ここまで歩いて
  • 今日も一日が終わる

朝から始まり、四季を過ごし、いろんな土地を回り、1日が終わるようです。

この曲は、1日の終わりに自分が進む方向を自問している様子です。

印象的なのはこのフレーズ

テレビもスマホもパソコンも
答えは教えてくれない
ただ 情報が溢れては 捨てられてく

1970年代、既に情報化社会の兆候がありました。小説家の庄司薫は「このまま情報が溢れても、価値観がしっかりしていれば恐れることはない」と言いましたが、同時に「多様な価値観が登場し、溢れる情報をどう解釈していいか分からなくなる」と予測しました。

検索は確かに便利ですが、解釈は教えてくれません。2008年の「インターネットウィーク」というイベントのテーマは

集い、語り、拓く、インターネットの4日間~検索で明日はみつからない~

でした。

ちなみに、アニメ「あしたのジョー」で、毎回の予告編の最後の決め台詞が「あしたはどっちだ」でした。主題歌のラストにも使われている言葉です。

かつては、解釈の種類も多くなく、全国紙や総合雑誌が「オピニオンリーダー」として位置付けられていました。しかし、今は誰もがブログを書き、Twitterで拡散し、Facebookの「いいね!」をもらう時代です。特定のマスコミが世論を作ることはありません。

幸か不幸か、その結果、どんなに極端な意見でも仲間を見つけることができるようになりました。以前は仲間を見つけることが難しく、広く知られることはなかったのに、今では簡単にみんなで集まって意見表明ができます。

評論家の岡田斗司夫は、1998年の著書「ぼくたちの洗脳社会」で「高度情報化社会とは情報が多いことではなく、情報の解釈が多いことだ」と主張しました。そして、大事なことは誰もが自分の意見を主張し、その意見を広めることに力を尽くすべきだとしました。「意見を広めること」を「洗脳」と呼んだためか、この本はそれほど売れなかったようです。そして、2011年に、骨子はそのままで内容を大きく変えた「評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている」が出ました。こちらは「洗脳社会」ではなく「評価経済社会」と呼び、最近の社会現象の多くを的確に説明しています。

なぜ、がんばっている人を応援したくなるのか、という説明もあります。宮崎奈穂子さんのファンにはぜひ読んで欲しい本です。


評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている

2014年10月7日火曜日

だからここまで歩いて来れた(182/365)

「なりたい自分」になるために歩んでいても、自分に自信がなくなることはよくあります。

そんなとき

不安になるとき いつだって
私以上に信じてくれる人が

いたから頑張れたという曲です。

何度も書いていますが、「歌・こよみ365」は基本的に他の人のエピソードを歌った曲です。とは言え、エピソードを選ぶのも、それを題材に作詞しているのは宮崎奈穂子さんですから、どうしても彼女の思いが出ます。

「路上から武道館へ」みたいな本当に個人的な曲でさえ、感情移入する人がかなりいるわけですから、「誰かのエピソード + 宮崎奈穂子の思い」で作られた曲は、エピソードを超えて普遍的な価値を持つようになります。

この曲は、2012年以前からのファンなら絶対に武道館単独ライブのエピソードを思い出すはずです。

武道館を予約するのは誰だってできます。お金さえ払えばコンサートだってできます(もし、資格審査があったらごめんなさい、この言葉は撤回します)。

難しいのは、会場に人を入れることです。大きな舞台ですから、舞台装置がないと空間が持たないでしょうし、効果的な演出がないと飽きてしまいます。何より、会場に人を入れないといけません。

仮に、舞台装置や演出がなかったとしても、満席で1万5,000をある程度埋めないと意味がありません(コンサートの場合は1万5,000席に満たないそうですが)。

一介の路上ミュージシャンが、いきなり武道館に立つことに意味はあるのか。

いきなり武道館ではなく「ライブのたびに集客が増え、入りきらないから武道館」という流れだろう。

こうした声は、ファンの耳にも入っていたくらいですから、本人はその何倍も忠告や中傷があったと思います。武道館コンサート直後に出版された著書にも

「こんな私が武道館に立っていいものだろうか」

と悩んだ話が出てきます。

それを支えたのは、スタッフであり、集客に走り回ったファンだったと思います。友人にお願いしたり、宣伝してもらったり、中には自腹でチケットを余分に買った人もいます。

そもそもなんで武道館?」という批判には答えられませんが、こうしたスタッフとファンの努力に対する感謝がこの曲なのだと思います。

「武道館の感謝を形にする」という「歌・こよみ365」のコンセプトに直結する、いい曲だと思います。

●タイトルについて

ところで、宮崎奈穂子さんの曲の多くは、いわゆる「ら抜き言葉」です。この曲のタイトルも「ら抜き言葉」です。

今のところ、これは「誤用」ということになっていますが、そろそろ認めてはいいのではないかと思います。現在の30歳代以下は「ら抜き」しか知らない世代になっています。

平安時代、清少納言は「枕草子」で、若者の「ト抜き言葉」を嘆いています。これは「言わんとす(る)」を「言わむずる(言わんする)」という具合に略した言葉だったそうです。

この用法は、その後定着し、新しい文法ルールになったと言うことです。

「ら抜き」もすっかり定着しており、間違いを指摘しても何が問題なのか理解してもらえないようになっています(Wikipedia:日本語の乱れ:ら抜き言葉)。私の同僚は報告書に「しゃべれる」と書いたら(報告書に登場しそうな単語ではないので、違う言葉だったかもしれません)、お客様から「ら抜きは避けてください」と指摘されたそうです。

「しゃべる」は五段活用の動詞であり、可能動詞として使えますから、文法的には全く問題ありません。おそらく「食べる/食べれる」からの想像で、「しゃべる/しゃべれる」が間違いだと思ってしまったのでしょう。

国語学者の金田一春彦氏によると「ラ抜き」は日本語の自然な進化の過程なのだそうです。本来の日本語は「可能」と「受身」を同じ助動詞で表現するため、区別が難しい場合があります。

たとえば、動植物を指さして「これは食べられる」言ったら、食材として利用可能という意味になります。

しかし、アフリカの草原で、お腹をすかしたライオンの前に丸腰で「これは食べられる」と言ったら、これはもう観念して捕食されてしまうことを受け入れようという意味になります。

帰ってきたウルトラマン」に登場する怪獣「ツインテール」を指している場合はどちらか分かりません。ツインテールには人間を捕食するという設定はありませんが、食べられてもおかしくはないでしょう。一方、「帰ってきたウルトラマン」放送当時の児童誌や怪獣図鑑などでは「肉はエビに似た味で美味」と書いてあり、円谷プロも公式設定として認めているそうです。

そのため、ツインテールを指さして「これは食べられる」と言ったら、食うか食われるかはっきりしません。

その点「これは食べれる」だと食材だということがはっきり分かります。受身の「食べられる」を厳密に区別する方法はないので混乱は残りますが、全く区別しないよりはマシでしょう。

なお、「ラ抜き」が問題になったのは1990年代前半からのようですが、40年前には用法として既に登場していたように思います。これだけ長い年月をかけて普及しているのだから、単なる流行ではなく、日本語の変化と考えた方がいいと思います。

2014年10月6日月曜日

まほろ横町(181/365)

この記事は「まほろ横町」に若干の加筆をしたものです。


「まほろ」というと、なんとなく北海道の地名みたいですが東京都町田市です(ちなみに「ホロ」はアイヌの言葉で「大きい」という意味)。そして、地理的位置関係から神奈川県だと思う人が多いようですが、東京都です。

宮崎奈穂子さんが主題歌を担当した短編アニメ『嫌われ者のラス』のスタッフが町田・デザイン専門学校の出身であること、以前は「ネクストスタンダード」と題して、同校で頻繁にイベントを開催されていたことから、町田ゆかりの歌を作ったのだと思われます。

2013年2月16日には町田・デザイン専門学校で開催された「産学ネットワーク展」(卒業展という位置付けのようです)にゲストとして出演されています。

ご本人のブログ
明日は10:30から町田・デザイン専門学校にて!遊びにいらしてくださいー★

私個人の話で恐縮ですが、このときの「産学ネットワーク展」で、偶然見つけたのが「わたなべなな」さんで、強烈な個性を出す絵が強く印象に残っています。

彼女はしばしばとんでもなくネガティブなことを書く人で、こっちがはらはらします。現在は「さいあくなな」ちゃんとして活動中ですが、ネガティブな感じが出ていていい名前だと思います。

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▲わたなべななさん(左)の展示、部屋になっている(同行した友人はひと目見て逃げました)
卒業してから、イベントではピンクのセーラー服をいつも着ているので貴重な写真です。

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▲こんな感じで細部にも凝っている

●まほろ横町に行ってきた

小説『まほろ駅前多田便利軒』(三浦しをん)に登場する架空の地名「まほろ市」が、町田市をモデルにしているそうです(「幻(まぼろし)」に由来するのでしょうか)。そこから「まほろ市」を舞台にした映画やテレビドラマが生まれたようですね。

残念ながら、私は映画もドラマもさっぱり記憶にありません。「なんでもいいから、とりあえず現地に行け」と、友人のジャーナリストも言っているので、行ってきました。

検索してみると、町田駅北口の通りを「まほろ横町」と名付けたそうです。とりあえず北口に出てみましたが案内板は何もありません。さらに検索すると「ぽっぽ町田」という施設の近くに映画のロケ地があるそうなので、東口からそちらへ向かいます。

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▲ぽっぽ町田

中に入ると観光案内所がありました。

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▲町田観光案内所

まほろ横町ってなんですか?

と尋ねたら

商工会議所が、新しい通り名を提唱しているようです、平日に商工会議所に聞いてください

との答え。

場所くらい教えてくれるのかと、一瞬待ったのですが返事はありません。観光案内所がきっぱりと「(うちではなく)商工会議所に聞いてください」と言うのだから、教えたくないのかもしれません。

ぽっぽ町田からすぐのところが、映画のロケ地で、ポスターにもなったところだそうです。

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▲なんかのロケ地らしい

北口に回って「横町」にふさわしそうな通りに入ってみると、ありました。

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▲これが通りの入口

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▲居酒屋さんの張り紙も雰囲気が出ています。

●「まほろ横町」の歌詞

歌詞にはこんな言葉が並びます。なお、町田滞在時間は30分くらいなので、見落としているか旺盛はおおいにあります。

  • 新聞配達の音…きっと新聞配達はあるでしょう
  • 焼きたてパンの匂い…パン屋さんは見つけられませんでした
  • 八百屋のおじさん…八百屋も見当たりませんでした
  • バスを待ちながら…まほろ横町は道幅が狭く、バスは通っていません
  • 小学生…たぶんいるでしょう
  • 改札の前で誰かの帰りを持ってるお母さん...改札の写真は撮りにくいので北口付近
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    ▲町田駅北口
  • カフェの店員さん...「Cafe & Dining」の看板がありました。ビル壁面のコピーは
    狙っているあの子に「センスありますね」と思われたい男子の店
    (2階の喫茶店のようです)。
    いいコピーだと思いますが、こんなに大きく書いてあったら、連れてきた女の子にばれてしまいます。
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    ▲学習塾じゃなく、カフェを見つけてください

「まほろ横町」、商店街と住宅街が一緒になっていて、ちょっと懐かしい感じの街でした。

2014年10月5日日曜日

幸福駅の歌(180/365)

幸福駅は、現在のJR北海道管轄区域の広尾線にある駅です。

広尾線が廃線になったのが国鉄(日本国有鉄道)時代の1987年2月2日、国鉄からJRに移行したのが同年4月1日なので、民営化に伴う不採算路線廃止の方向に沿ったものでしょう。

1973年には、テレビで紹介されたのをきっかけに、名前の縁起の良さからブームになり、入場券を求める人が大勢訪れました。特に、同じ広尾線にあった「愛国駅」から「幸福駅」行きの乗車券に人気がありました。

何しろ「幸福行きの切符」ですから、縁起はいいですね。

ブームを反映して、芹洋子による楽曲「愛の国から幸福へ」も作られています。


▲「愛の国から幸福へ」カバーですが、ほぼオリジナルです。

元々乗降客数は少なかったため、ブームの終了に伴い駅は忘れられ、国鉄民営化のタイミングで廃線となったわけですが、その後整備され、現在では観光地となっているようです。

愛国・幸福両駅のある帯広市でもPRをしています(「愛の国から幸福へ」愛国駅・幸福駅)。愛国から幸福行きの切符も、復刻したものが記念品として販売されているそうです。

ちなみにWikipediaの「幸福駅」によると、近隣を流れる川は水量が少ないためアイヌ語で「乾いた川」を意味する「サツナイ」と呼ばれていたそうです。

サツが付く地名としては「札幌」が有名です。これは「乾いた大きい」の意味だそうです。また、「ナイ」の付く地名は「稚内」などに見られます(「ヤム・ワッカ・ナイ」が語源で「冷たい飲み水の川」だそうです)。川を意味する単語にはベツ(登別など)もあります。ナイが小さな川を意味するのに対して、ベツは大きな川を意味するそうですが、習慣的な例外も多いそうです。

北海道の開拓民は、「サツナイ」に「幸震」の字をあてたそうです。地震のことを古語で「なゐ」と呼んだからだそうですが、ちょっと読めません。そこで、音読みで「コウシン」と呼ばれるようになったそうです。さらに、この地には福井からの移住者が多かったことから「コウシン」の「コウ」と「福井」の「福」から「幸福」になったそうです(幸福駅の歴史より)。

つまり、語源的には「幸せ」とは特に関係ないそうです。

幸福駅と一緒にブームになった愛国駅は「愛国青年団」という名の開拓団に由来するそうで、こちらも期待に反して夫婦愛や恋人愛とはあまり関係ないようです。

しかし、語源はどうあれ、幸福や愛を願う気持ちが消えるわけではありません。駅名や地名は単なるきっかけです。幸福になりたい気持ちを持った2人が、お互いに相手を思い遣る気持ちを表現するきっかけとしてはいいのではないでしょうか。

愛国駅と幸福駅は2008年7月に「恋人の聖地」として選定されたそうです。これはNPO法人地域活性化支援センターの「恋人の聖地プロジェクト」において、各地域を代表する観光施設・地域を中心に選定する、プロジェクトのシンボルということです(2014年10月時点でで127箇所あるそうです)。

幸福駅では、「幸福駅ハッピーセレモニー」という体験ができるそうです。写真を見ると、カップルが2人で鐘を鳴らしています。歌詞にある「聖なる鐘が鳴る」はこのことを指すのでしょう。

2014年10月4日土曜日

「あなたなら大丈夫」(179/365)

名前も知らない人から「あなたなら大丈夫」と言われ、「私なら大丈夫」と言い聞かせながら頑張る話。

私だったら、そんなこと言われても「あなたに何が分かるのですか」と言ってしまいそうです。

テレビ東京のドラマにもなったマンガ「アオイホノオ」(島本和彦)の名台詞に、

自信というのは、根拠のないものだ

というものがあります。

自分のことをよく知らない人から「あなたなら大丈夫」と言われたら「何の根拠があって、そんなこと言うんですか」と反論してしまいそうです。

でも、そもそも「自信とは根拠のないもの」だとしたら「そうか、私なら大丈夫なのか」と納得する方が、どちらかというと得です。

知っている人から「あなたなら大丈夫」と言われたらどうでしょう。

無理な仕事を頼まれたとき、自分ではできないと思っていても「あなたなら大丈夫」と言われたらどうしますか。

「あなたなら大丈夫」と言われたのだから、きっと自分では気付かない潜在能力を認めてくれているのだろう。

そう思えれば、チャンスは広がると思います。

でも失敗したらどうするか。友人はすごいこと言ってました。

「あなたなら大丈夫」と判断したのはこの人なんだから、
出来なくいのは私のせいじゃない。責任はこの人だ。

さすがに、それはどうかと思いますが、ひとつの考え方ではあります。

失敗しても、命まで取られるわけじゃありません。言われたら、何でもやってみたいと思っています。

2014年10月3日金曜日

今日も考える(178/365)

雑踏の中を、人をよけながら進むことと、障害をよけながら送る人生をかけています。

ちょっとぶつかっただけで舌打ちされ、嫌な気分になることもあります。とは言え、自分も雑踏を作っている原因の1人ですから、気落ちしないで、前向きに生きていきましょう。

駅の雑踏から、人生まで発展させるのはすごいですね。

この歌に登場するのは池袋駅です。池袋は、JR山手線(始発電車があるので他の駅よりホームが多い)、JR埼京線、東武東上線、西武池袋線、地下鉄丸ノ内線、地下鉄有楽町線、都営地下鉄副都心線が交差する、東京でも有数のターミナル駅です。

乗降客数日本一の駅は新宿です。JRだけでも山手線、中央線(特急含む)、埼京線があり、同じ駅構内に京王線、小田急線、地下鉄丸ノ内線、都営地下鉄新宿線、都営地下鉄大江戸線があります。また、ちょっと離れて西武新宿線の駅もあります。

ただし、新宿駅は西武新宿線が徒歩5分以上かかる所にあるため、一般的な乗り換え経路にはなっていません。また、都営新宿線と都営大江戸線は同じ駅で、その他の駅はかなり近い距離にあります。そのため、混雑しているのは意外に狭い範囲に収まります。

これに対して、池袋は駅構内が全体に広く、混雑しているエリアが新宿よりも広くなっています。駅の歩きにくさから言うと、新宿よりも池袋の方が疲れるでしょう。

地下からの出口も大量にあり、よく迷います。主な出口だけでも、東西南北そろっていますし、西口だけでも広範囲に何か所もあります。

池袋は、路上ライブも多く行われています。私が路上ライブを聞き始めた頃「池袋駅西口」と言われても、探し当てるのに苦労しました(定番のスポットがあるので今は迷いません)。

ミュージシャンの方も、ライブ機材を持って、あの構内を歩くのはかなり大変だと思います。

それも人生だと思って頑張りましょう。

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2014年10月2日木曜日

この季節が来たら(177/365)

何か複雑な事情がありそうですが、よく分かりません。

桜のシーズンになると、「あなた」のことを思い出すということです。

他の楽曲の傾向から考えて、エピソード主は女性だと思います。

一般に

女性の恋は上書き保存
男性の恋は名前をつけて保存

と言われるので、歌詞に何度も登場する

来年も 再来年も 10年後もきっと
この季節が来たらあなたを思い出す

という状況はちょっと考えにくいものがあります(もちろん個人差はあります)。

考えられるのは、彼氏が死んでしまったなどの理由で、自らの意志で別れたのではない場合です。

ただ「いつかあなたに会えたとき」というフレーズもあるので、亡くなったわけでもなさそうです。

いずれにしても、切ない歌です。アレンジも、宮崎奈穂子さんの他の楽曲とはちょっと違っていて、メロディは軽快ですが、寂しい感じが伝わってきます。

2014年10月1日水曜日

どこまでだっていける(176/365)

「歌・こよみ365完全版」ディスク15は、「前進」がテーマのようです。

この曲は、誰より練習した「あなた」を思いながら(お手本にしながら)、「どこまでだって(進んで)行ける」と努力する歌です。

ちょっと面白いのは

ひとりで叶えられる夢は きっとないんだと思う
誰かの励まし ときにはたった一言が 支えになる

という一節です。ただし、それに頼ってはいけないとも歌っています。

でもそれに甘えるんじゃなくて
現実を動かしていくのは
私のエネルギーなんだ

ひとりでできることは限られていますが、ひとりが頑張れば幸運も呼べるでしょう。

宮崎奈穂子さんは

「全身全霊のときのみ、神意が働く」

という言葉を紹介しています(「ミスターGT-R」水野和敏さんにお会いできました!)。

成功した人にはさまざまな偶然がつきものですが、それは全力で努力しているから、チャンスを逃さないのでしょう。

宮崎奈穂子さんの武道館単独公演は「有料サポーターを1年間で1万5千人集めたら、武道館を予約して単独コンサートをする」というチャレンジでした。

実際には、1年間で1万5千人集めた後、武道館のチケットを売るという仕事の方がハードルが高かったようです。サポーターになる費用は3,150円、年会費ということでしたが、武道館後にサポータークラブは活動停止していますので、支払いは1回限りです。

また、サポーターには過去の全楽曲のダウンロードサービスが付いてきたので、CDを買うより安いというメリットもありました。

ところが、武道館は2012年11月2日に東京にいなければいけませんし、チケットはアリーナ席が6,000円です。サポーターになっただけでチケットを買わない人も多かったでしょう。

どのようにしてチケットをさばいていったかは、彼女の著書に詳しいので省略しますが、簡単に言うと「努力と偶然が重なった」ということです。おそらく、その偶然は努力がなければ呼び込めなかったことでしょう。


路上から武道館へ

 
路上シンガー宮崎奈穂子 武道館公演への軌跡 ~Birthday Eve~