2014年12月31日水曜日

9月13日 (266/365)

『歌・こよみ365』のチャレンジ表明は2012年12月1日、完成発表が2013年11月23日です。この歌のタイトル『9月13日』は、2013年9月13日と考えるのが自然です。

2013年9月13日は金曜日、歌詞に「金曜日の22時過ぎ」とありますので間違いありません。

「今歌ってた 青い空のCDちょうだい」
金曜日の22時過ぎ 背広の男性

という始まりです。

何度か紹介しているとおり、この曲は『優しい青』、宮崎奈穂子さんのデビュー曲です。


▲優しい青(2014年7月26日名古屋)

この日の路上ライブを最初から聞いていた仲間の情報によると、足を止める人が誰もおらず、寂しい状況だったそうです。

路上ライブ仲間から「早く来い」と連絡があったくらいです。

私が到着したときは人も増えたいたのですが、最初は本当に誰もいなかったということです。

ここ数年の宮崎奈穂子さんは、ファンを含めて5人から20人くらいは人が集まるので、1人だけというのはかなり珍しい状況です。

歌詞には、22時過ぎの男性の台詞

「今日は最低だっんだ」にかっと笑って

とか

私だけだめなんだって 嘆いていたって違うんだって
あなたが教えてくれました

という言葉の意味が、ちょっと違って聞こえます。

9月13日は写真を撮っていなかったようなので、9月12日の写真を紹介します。同じ場所です。

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2014年12月30日火曜日

私の身体にありがとう (265/365)

いつも頑張ってくれている私の身体にありがとう、という歌です。

絶対に体調を崩せない大きな仕事が終わった直後に風邪で寝こむという経験は、多くの人が持っていると思います。

やっと息抜きができると思ったのに、寝こんでしまうのはとても残念ですが、「今日まで頑張ってくれてありがとう」と言いたいですね。

精神的な緊張感が、身体に影響するのは事実ですが、永久に続くことはありません。どこかで休めないと本当に身体を壊してしまいます。身体を酷使する状況が続くと、身体を強制的に休めるためにうつ病になるという説もあります。

おそらくは俗説で、根拠のない話だと思いますが、ありそうな話です。

ある程度、心や体に負荷をかけないと成長できないというのは本当ですが、あまりにも負担をかけ過ぎると折れてしまいます。

バランスを取るのは難しいことですが、限度を超える前には必ず身体のサインがあるそうですから、注意したいものです。

「女性の方が負荷に強い」という説があります。これ自体が俗説で、あまり根拠はないのですが、その理由は「女性は、身体が危機に陥ると、月経が止まるため、問題に気付きやすい」ということがあるそうです。俗説の、さらに俗説なので、かなりいい加減な話ですが、これもなんとなくありそうな話です。

2014年12月29日月曜日

続いていきますように (264/365)

満州から引き上げてきて、苦労してきた母親のことを思い、その思いが次の世代に続いていきますようにという歌です。

「満州」は、本来「満洲」と書き、もともとは民族の名前で、「カリフォルニア州」とか「ニューヨーク州」のような地名を示す言葉ではないそうです。

現在の中国では、満洲という言葉は使われず「東北部」と言います。また民族名としての満洲は「満族」と呼びます。これは、旧「満州国」が日本による傀儡(かいらい)政権であり、中国政府が満州国を認めていないからだということです。

実際、日本の植民地としての役割もあり、多くの日本人が移民し、生活していました。

なお、建国理念としては「民族自決の原則に従い、満洲民族、蒙古(モンゴル)民族、漢民族による民族自決の原則に基づき、これに朝鮮人(韓国人)と日本人を加えた「五族共和」をうたっていました。ちなみに、清朝は満洲民族の国家であり、満州国の元首には清朝最後の皇帝である溥儀(フギ)がつきました。

第二次大戦末期、ソ連(当時)が進攻し、多くの日本人兵士がとなり、シベリアなどで過酷な強制労働が課せられ、多くの命が落とされました。

やむを得ず、子供を置いて(預けて)脱出した人も多く、これが「残留孤児」問題になっています。どれだけ生きられるか分からない状況で、幼い子供を連れて行くか、中国人に預けるか、どちらを選ぶにしてもつらかったことだと思います。

無事に日本にたどり着いた人も、多くは日本に生活基盤がなく、終戦直後の混乱の中、大変な苦労をされたようです。

この歌に出てくるお母さんは、こうした引き揚げ者のひとりだったのでしょう。昭和21年8月に引き上げたということですから、昭和20年(1945年)の終戦から1年です。

終戦から翌年の4月まではソ連の軍政下にあったそうです。その後、中華民国に返還されたのですが、共産党軍による対中華民国ゲリラが活発化し1948年に共産党が満州を制圧、1949年に共産党による中華人民共和国が成立します。

満州は、日本の植民地としての側面があったため、裕福な暮らしをしていた人も多かったようですが、もちろんそうでない人もいますし、裕福であっても、終戦で財産を奪われたり、家族を亡くしたりした人も多かったようです。

それは、ソ連が悪いとか、満州族が悪いとか、中華民国の責任とか中華人民共和国の責任とか、そういう話ではなくて、(個々の事件は別として)全体としては戦争の結果ということになるのではないかと思います。

今の日本では、家族が散り散りになって逃げる必要もなく、突然財産を募集される心配もありません。本当に幸せなことです。

2014年12月28日日曜日

しなきゃだめかな症候群 (263/365)

みんながしてるからダイエットしなきゃ、大人が言うから夢を持たなきゃ、音痴だと笑われうから上手に歌わなきゃ。

人に言われて「こうしなきゃだめ」と思うことは良くありますが、最近はそのプレッシャーがちょっと強すぎるように思います。あるいは、若者が言うことを聞きすぎるように思います。

新人研修をしていても、昔はちょっと斜に構えた奴がクラスに1人か2人いて、隙あらば揚げ足を取ってやろうという奴がいたものです(すみません、私がそうでした)。

ここ何年かは、本当によくできた若者が多くて、こちらが失敗してもなぐさめられる始末です。

むしろ尊敬するくらいですが、よくよく聞いてみると、自分たちも気配りに疲れているそうです。

最近は就職活動が激化しているようですが、これは良くないなと思うのは「自分らしく生きない」「自分を生かせる仕事を見つけなさい」という指導です。「自分らしく」なんていうのはそう簡単に分かるものではないし、分かるとしても何年か仕事をしてからの話です。

自分を生かせる仕事を探すのではなく、人から求められる仕事を見つけることが大事だと思います。そもそも仕事というのは、他人を幸せにするための行為であって、自分のためにするものじゃありません。

さすがに、嫌いな仕事を続けることはできませんが、嫌いでなければ(特に好きでなくても)とりあえずやってみればいいと思います。

2014年12月26日金曜日

凛 (262/365)

「凜とした人になりたい」という決意の歌です。

最初は、状況描写で始まります。

空は 悲しいほど青くて
ねこじゃらしは 風に揺れる
木漏れ日 きらきら踊って
夕焼けが 空を染めていく

天頂近くは青く、西の空が赤くなっていく様子がうかがわれます。

「青い空」と「オレンジの夕焼け」は、宮崎奈穂子さんの曲によく出てきます。デビュー曲は「優しい青」つまり、青空の歌ですし、夕暮れの情景を描いた「オレンジ」という曲もあります。

その他、言葉として登場する曲が多くあります。一度数えてみたいと思っていますが、さすがに手で数えるのは面倒です。昔の言語学者や文学者はやってたことですし、今でもやっている人は多いでしょうけど。


▲優しい青
ちょうど私が初めて宮崎奈穂子さんを見かけた頃のようです。


▲オレンジ
先の「優しい青」の少し前、同じ場所です。

2014年12月25日木曜日

母から子へ (261/365)

『歌・こよみ365完全版』22枚目には、母親についての歌が多くあります。この曲もそのひとつで、離れて暮らす子を思う母の気持ちを歌います。

母親と父親に優劣を付けられるものではありませんが、日常的なことは母親に頼ることが多いのではないでしょうか。私の実家は自営業だったので、両親ともに家にいて、2人とも仕事をしていたわけですが、母からは生活する態度を、父からは仕事する態度を学んだように思います。

特に印象的な歌詞があります。

疲れたら 空を見上げて
あなたの大好きな空は ちゃんとそこにある
あなたの幸せを 誰より祈ってる
お母さんがいること 忘れないで

「空がそこにあるのと同じようにお母さんがいる」というのは、考えたら大変なことです。もちろん、実際には空がなくなる可能性よりも、お母さんが突然亡くなる可能性の方がずっと高いわけですが、そんなロジックを越えた母の存在感があります。

そして、この「疲れたら空を見上げて」のメロディが本当にいいんですが、これはお伝えできません。

2014年12月24日水曜日

生まれたからには (260/365)

仕事に行き詰まったり、疑問を感じながらも

生まれたからには 意地でも人生 楽しみます

と前向きな姿勢です。

世の中には、悲観的な人と楽観的な人がいます。無意識のことが多いのですが、どちらも人生を楽しく過ごす戦略だと言います。

楽しく過ごすために悲観的になるというのは不思議ですが、うまくいかなかった時のダメージを最小限に抑える戦略と考えられます。

最初から「駄目だ」と思っていれば、本当にうまくいかなかったとき「やっぱり」と思えます。上手くいけば儲けものです。

一方、楽観的な人は将来に希望があって楽しいのですが、うまくいかなかった時のダメージが大きくなります。

悲観-楽観-1

しかし、よく考えてみると悲観的な人は結果が出るまでずっと心配です。

「うまくいなかったらどうしようどうしよう... やっぱりだめだった」では全く楽しくありません。

一方、楽観的な人は結果が出るまでずっと楽しんでいます。

「多分うまくいく、うまくいったらどうしようかな... あ、だめだった」だと、確かにだめだったときのダメージは大きいのですが、結果が分かる直前までは楽しく過ごせるはずです。

悲観-楽観-2

結果が出る時というのは一瞬ですから、そう考えると、楽観的になった方が人生楽しめるのではないかと思います。

「生まれたからには意地でも人生楽しみます」は、仮にうまくいかなかった時に大きなダメージを受けたとしても、いつも楽観的で過ごしたいということではないかな、と思いました。

2014年12月23日火曜日

ちょっとだけポジティブになれる方法 (259/365)

「ちょっとだけ」っていうのがミソかもしれません。

胸を開こう 背筋伸ばそう 口角を上げよう 目線も上げよう
気持ちが盛り上がったら 目を閉じてつぶやく
「今日もきっと素敵な一日になる」

2014年7月に発売されたミニアルバム『なりたい自分になるまで』の表題曲には、以下のようなフレーズが登場します。

顔を上げて、背筋伸ばして、口角を上げて深呼吸して

対比させてみましょう。

ちょっとだけポジティブになれる方法 なりたい自分になるまで

胸を開こう

深呼吸して

背筋伸ばそう

背筋伸ばして

口角を上げよう

口角を上げて

目線も上げよう

顔を上げて

メロディが違うので、順序も変わっています。「胸を開こう」と「深呼吸して」は、一見違う言葉ですが、やってみると同じことだと分かります。あとから出来た分だけ、より具体的で分かりやすくなっているのかもしれません。

気持ちを切り替えるのは難しいことですが、行動することは簡単です。気持ちが伴わなくても、とりあえず行動することで気持ちが変わっていくこともあるでしょう。

顔を上げて、背筋伸ばして、口角を上げれば、元気に見えますし、元気な人にの回りには元気な人が集まり、チャンスが巡ってきます。そうしたら、自分も元気になります。

『ちょっとだけポジティブになれる方法』のラストはこうです。

胸を開こう 背筋伸ばそう 口角を上げよう 目線も上げよう
人間は結構単純でした 幸せ感じた者勝ちです
「明日もきっと素敵な一日になる」


なりたい自分になるまで

2014年12月22日月曜日

あなたの言葉 (258/365)

ちょっと意味が分からないのですが「鳴らない携帯」「空っぽの左手」「思い出す」という言葉から、大切な人がどこかに行ってしまった、もしかしたら亡くなってしまったような感じがします。

いなくなったらしい人の言葉として、

「みんなほんとは さびしいんだよ」

「みんな 笑いながら泣いてるんだよ」

が登場します。こんな言葉を残して去って行かれるのは、ちょっとつらいですね。

この季節が来たら(177/365)」と少し似ているので、もしかしたら同じ話かもしれません。

2014年12月21日日曜日

こんなに頑張ってるのに (257/365)

デスクワークの人のようですが「こんなに頑張ってるのに」結果が出ないことに悩んでいる様子です。デスクワークでここまで悩む人は結構珍しいように思います。そうでもないのでしょうか。

頑張って成果が出ないのは、頑張り方が足りないか、頑張り方が間違っているか、もともと不可能か、どれかでしょう。

真面目な人は、頑張りが足りないと思ってしまいがちです。確かに、頑張り方が足りないことは多いでしょうが、単に根性で乗り切れないこともたくさんあります。

物理学者アインシュタインも

今までと同じこと繰り返して、異なる結果を期待するのは狂気である

と言っています。

うまくいかないときは、やり方を変えてみるのもひとつの方法です。

でも、そもそもできないことかもしれないので、あんまり焦らない方がいいかもしれません。

頑張りが足りないからできないのか、そもそも無理だからできないのか、この2つを区別するのは難しいんですよね。

2014年12月20日土曜日

きゃべつ畑 (256/365)

飲食店が続きます。今日は、広島風お好み焼き屋さんを歌った「きゃべつ畑」を再掲します。


たまプラーザのお好み焼き屋さん「きゃべつ畑」の歌です(最寄り駅は、東急田園都市線・横浜地下鉄「あざみ野」駅)。

2013/11/23に渋谷AXで行なわれた宮崎奈穂子さんのライブでもスタンドフラワーが出てました。

宮崎奈穂子さんのブログ記事『最近の振り返り。「きゃべつ畑」さんと、レーサー谷口信輝さん!』から

レジの前に、私が載せて頂いた朝日新聞一面の記事が
お客様によく見えるように置いて下さっていました(;;)
CDや本、DVDも置いて頂けることに。。!!(;;)

ありがとうございます。 きゃべつ畑さんのブログ記事『へへへっ きゃべつ畑♪』にも出てました。 そして、実際に行ってきました。日曜の昼だったので、お客さんはそれほど入っていませんでした。

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歌詞の通り、平崎橋の交差点曲がれば
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灯りがともるお店が見える(昼に行ったので灯ってませんでしたが)

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店内には、いろんな人のサイン色紙がありました。

宮崎奈穂子さんのはサインだけでなく、CDや書籍もありました。
ご夫婦でなさっているお店です。

リーズナブルな値段で美味しいお好み焼きをいただきました。

2014年12月19日金曜日

Dream Catcher 1985 (255/365)

おそらく、名古屋のスポーツバー「Dream Catcher 1985」のことです。2012年末にオープンということなので、ちょうど『歌・こよみ365』のプロジェクトが始まった頃ですね。

食べログ「Dream Catcher 1985 (ドリームキャッチャーイチキューハチゴ)」によると、ピザが食べ放題だそうです。

Facebookページ「Dream Catcher 1985」もありますが、あまり更新されていないようです。紹介ブログに「ドリームキャッチャー1985」があるくらいで、あまりよく分かりません。

食べログの口コミは1件のみ、写真を掲載しているのはレビューしている人とは別の1人だけです。写真はちょうど100枚、かなり多くの写真を載せていらっしゃいますが、この方食べログに掲載している全写真がこの100枚だけ。不思議に思って調べたらオーナーさんみたいです。

ブログ「私もうすぐ、社長になる・・・
プロフィール「

機会があれば行きたいと思います。

2014年12月18日木曜日

今見ている景色は自分の心の鏡 (254/365)

他人の悪いところは気になりますが、自分についてはなかなか分からないもの。人に対して思ったことを、自分がしていないかどうかを確かめたいものです。

他人の行動(今見ている景色)は、自分の心を移す鏡です。

景色は変えられないけど 私の心は変えられる

という言葉があります。

実際の話、自分の心はそう簡単に変えることはできません。相手の心はもちろん変えられませんし、行動だって、よほどの権力を持っていないと無理です。それに強制的に行動を変えさせたら、心はもっと離れてしまい、余計に問題が悪化します。校内暴力が減ったら「いじめ」が増えたようなもんです(この因果関係は証明されていません)。

本当に変えられることは「自分の行動」だけです。意識しているのかしていないのか、この直後のフレーズが

行動しよう まずひとつずつやってみよう

でした。まず、自分の心は置いておいて、形だけでも変えてみる、行動してみることで、自分の心も変わってくるし、周囲の行動も変わってくるかもしれません。

2014年12月17日水曜日

ドライ(253/365)

感情の起伏があって、でもそれを抑えないといけない状況がある。ドライにならざるを得ない環境で、いっそ感情なんかなければいいのにと思ってしまうことはあるでしょう。

この歌では結論は出ておらず

ドライにならざるを得ない この世界で
置いてきた感情 気付かないふり続けたまま

で終わります。

私は、この結論ははっきりしていて、どんな場合でも感情を優先します。理屈は感情を生かすためのツールに使うものであって、感情を殺すことに使ってはいけません。

SF作家の新井素子は「.....絶句」という小説で、人間が文明を発達させたのは感情の力が強かったからだというストーリーを展開します。あまりにも強い感情のために、一度は世界が滅びるのですが、もう一度やり直した姿が現在の人類だという話です。

これはSFですから、あり得ない展開にはなっていますが、感情というのはそれくらい強いものですし、人間の力の源です(小説の内容にはあまり触れていませんが「SF小説『.....絶句』(新井素子)について」)。

感情と感情がぶつかることもあるでしょう。感情をそのままぶつけると喧嘩になるので、いったん感情を論理に置き換えてからぶつけます。そうするとダメージは少ないのではないでしょうか。

でも、あくまでも主役は感情。素手で喧嘩するとお互い痛い思いをしますが、道具を使えば痛さを感じないで喧嘩ができます。論理はそのために使いたいものです。

もっとも、素手で人を傷つけるのは意外に難しいのですが、道具を使うと簡単に傷つけたり殺せたりします。主役は感情であること、必要以上のダメージを与えないこと、それだけは気を付けるようにしています。

2014年12月16日火曜日

肩の力抜いて (252/365)

完璧じゃなくても大丈夫、肩の力抜いてという歌です。

真面目な人ほど、やるからには完璧にしようと思うようです。でも、新しいことをしたり、難しいことをしたり、チャレンジを伴う場合は完璧は無理です。そもそも完璧にできる言葉かりしていては、なかなか人間成長できません。

もちろん、手を抜いていいわけではありませんが、駄目なときは駄目と、肩の力を抜いて臨みたいものです。

できれば、失敗したときにフォローする体制が欲しいですね。会社の場合は、本来上司がその責務を負うべきです。社員が成長することは会社の利益ですから、そのために多少のリスクは取るべきなんです。

「もっと頑張っておけばよかったな」(213/365)」 では、「徒然草」150段を紹介しました。もう一度掲載します(要旨のみ)。

「下手なうちはこっそり練習して、上手くなってから披露しよう」などと考えている人は決して芸を習得できない。

上手な先輩の中に交じって、怒られようが笑われようが、平気で練習するものだけが芸を習得できる。才能や素質なんかなくても、休みなく、自分勝手なやり方をせずに練習すれば、きっと成功する。

名人と言われる人でも、最初は無能と言われたり、恥ずかしい思いもしているものだ。

だから、肩の力抜いていきましょう。

2014年12月15日月曜日

カタクナじゃなくて、やわらかく。(251/365)

部活動や仕事をしていて気付くのは、「人によって得手不得手がある」ということです。学校の勉強の場合は、得手不得手と言っても実際には勉強量の差に過ぎなかったりします。

もちろん、勉強量の差が生じるのは得手不得手があるからですが、そもそも授業内容は個人の資質の差によって変化しないように考えられているから当然です。

しかし、部活動になると、決まった学習手順があるわけではないので個人差が大きくなってきます。社会に出ると、その差はもっと広がります。

ただ、そこで「私は、この仕事苦手だから」と避けていては成長できません。

心理学者のキャロル・ドゥエック氏は、能力観(自分がどれくらいの能力があるかの認識)を「固定的能力観」と「拡張的能力観」に分類しました。

固定的能力観は、自分の能力を固定されたもので、進歩しないものだと考えます。一方、拡張的能力観は、自分の能力は変化するもので、これからも伸びていくと考えます。

ドゥエック氏の著作の邦訳『「やればできる!」の研究―能力を開花させるマインドセットの力』では、それぞれ「こちこちマインド」「しなやかマインド」と表現しています。

こちこちマインド(固定的能力観)」の人は、「今ある能力」で物事に取り掛かろうとするため、予想外の出来事や難しいことに直面するといった逆境に弱いそうです。

一方「しなやかマインド(拡張的能力観)」の人は、「今の能力ではできないかもしれないけど、とりあえず挑戦してみよう」と思うそうです。

面白いのは、子供をほめるとき「100点取ったね」と言うのはあまり良くないそうです。結果の評価は「現在の自分の能力が素晴らしい」と思ってしまい、能力を固定されたものと考えやすいからです。

そうではなく「頑張った結果が100点という評価になったね」のように、過程(プロセス)をほめると「そのプロセスを繰り返すことで、もっと高い能力が得られる」と思うそうです。

この曲のタイトルは「カタクナ」と「やわらかく」ですし、歌詞にも「『嫌だ!』って言って止まっちゃう」と「とりあえずやってみよう」が対比されています。ドゥエック氏の著書を読んだのでしょうか。

2番では、ものの見方が紹介されます。自分と異なる意見を出されても

「そっか、確かにそういう見方もあるよねえ」って
やわらかく受け止める方が 前に進めること分かってる
さあ、どうしようか

とあります。受け入れることがいいのに決まっているのに「さあ、どうしようか」というのは、次のフレーズで分かります。

カタクナじゃなくて やわらかくありたい
これが実際なかなか難しくて困る でもそうなりたいな

このフレーズのメロディが、ほんとに困っている感じがしてなかなか素敵です。

ところで、宮崎奈穂子さんを紹介するときにはこういう文章がよく使われます。

サポーター(ファンクラブ会員)を1万5,000人集めて、武道館コンサートを実現
今までに売ったCDは5万枚(武道館直後は4万枚と言ってました)

数字による結果は分かりやすい指標なので、よく使うのですが、ファンは1万5,000とか5万という数字は大して気にしていないでしょう。おそらく宮崎奈穂子さん本人もそうだと思います。

1万5,000人集めるのにどれだけの工夫と苦労をしたのか、武道館に人を呼ぶためにどんなことをしたのか、そこが大事なことだと思っているはずです。

宮崎奈穂子さんが以前に所属していた事務所では、期間を区切ってCDの販売目標がよく設定されました。一番有名なのが、彼女の最後の数値目標となった「50日間で5,000枚のシングル」ですが、これは未達でした。

とは言え、最後まで粘る姿に心を打たれた人は多く、私も生まれて初めて同じCDを2枚買ったくらいです(著書に「(CDを)上げる人を思い出したから」と戻ってきた人のことが書かれています。他にも同じような人がいたかも知れませんが、私がそうでした)。

もし「50日間で5,000枚のシングル」が達成していたら、結果だけが評価されてしまったかもしれません。そうしたら、武道館の集客が6,000人(主催者発表)しかなかったことで、自分の限界を感じてしまったかもしれません。

武道館を満席にすると1万5,000(これがサポーター人数の根拠)、音楽イベントだともう少し減るのですが、実際にアリーナ席から後方を見渡すと、2階席に相当な空席がありました。「失敗」と思ってしまっておかしくないくらいです。

もちろんプロですから結果は大事ですが、それがすべてではありません。もし、結果だけで評価していたら、もしかしたら今の宮崎奈穂子さんはなかったかもしれませんね。

似たような話を「「も」(239/365)」でも書きました。あわせて読んでいただけると幸いです。


「やればできる!」の研究―能力を開花させるマインドセットの力

2014年12月14日日曜日

鍵はどこにあるんだろう? (250/365)

セレンディピティ』と同様、何かの寓話を元にした歌です。

「夢の扉」を前にするものの、扉は開かない。鍵が必要なのだろうが、どこにあるか分からない。途方に暮れて助けを求めたら、手伝ってくれる人がいた。その数がどんどん増えていって、とうとう扉は開いた。鍵は最初からなく、みんなで力を合わせることで「夢の扉」が開いたという内容です。

詳しいことが、宮崎奈穂子さんのブログの中で質問に答える形で紹介されています。
*「ナチュラルにお返事します(*´∀`)~質問コーナー~」お返事①*

私の解釈では、この寓話の教訓は3つあります。

  • 1人では何もできない
  • 真剣に取り組むことで協力者が現れる
  • みんなで協力すれば夢の扉は開く

評論家の岡田斗司夫さんが『悩みのるつぼ』という書籍の中で、真剣に取り組んでいない「夢」を「ナルナル詐欺」と呼んでいます。

「まんが家になりたい高校生の孫にどう言って聞かせればいいか」という相談に対する回答です。要約すると以下の通りです。

それは「ナルナル詐欺」、なにも我慢せず、単なる夢想や逃避が「夢」。保護者が応援すべきなのは「夢」ではなく「目標」。やりたいことを我慢して日々積み上げて到達を目指すこと。

この一年は捨てるつもりで、以下のことを実行する。

  1. 孫に「マンガ家になるという目標を応援する」「そのために一年間、鬼のスパルタ家族になる」と宣言する。ちゃんとコマを割ってセリフを描いてるか、毎日どれぐらい描いてるのか進行具合をチェックする。
  2. 運動部を辞めさせて、自由時間はすべてマンガを描かせる。毎月16ページの短編を完成させて、東京の出版社に持ち込みに行かせる。部屋で描いてるのは落書き、持ち込んだ原稿のみがマンガ。
  3. 期間は1年。ダメなら普通の大学に行く。1年やっても編集から注文が来なければ「10代でデビューする才能」がないので「マトモに就職して、仕事しながらマンガ描いて持ち込み続ける」という戦略に切り替える。

面白いエピソードなのでぜひ読んでください。全文は「[悩みのるつぼ]漫画家になりたい孫

でも、実際にはデビューしてからが大変です。まんが家は1人でもなれますが、継続するには多くの人の協力が必要です。仮に1人で全部出来たとしても(非常に難しいことですが)、作品にお金を払ってくれる読者が必要です。

宮崎奈穂子さんの曲も、武道館コンサート以降は「チームで仕事をする」という内容が増えているように思います。小さなライブハウスでは1人で歌えるでしょうし、大きめのライブハウスでも小編成のバンドがあれば十分です。でも武道館くらいになると、大舞台に負けない演出も必要ですし、さまざまなスタッフも必要ですし、第一客席が100人程度では格好がつきません。

結果的に、路上シンガーのステージとしては素晴らしい演出で、6,000人の観客はみんなが満足して帰ったことだと思います。

ところで、「悩みのるつぼ」は、絶妙な回答が多い上、悩み相談の考え方まで書いてあっておすすめです。ぜひ読んでみてください。電子書籍版もあります。


悩みのるつぼ〜朝日新聞社の人生相談より〜

2014年12月13日土曜日

インスタント(249/365)

インスタントなものではなく、本物を大事にしたいという曲ですが、冒頭だけ

インターネットをつなげば
いらない情報まで飛び込んでくる

と、インスタントとは直接関係ない言葉で始まります。もしかしたら「インターネット=検索=手軽」というつながりかもしれませんが、「いらない情報まで飛び込んでくる」というところに実感がこもります。

人の前に立つ仕事をしていると、評判が気になるものです。多くの人に満足してもらうのが仕事ですから、個人のブロガーが気にするのとはちょっと違います。

さて、本題のインスタントですが、原義は「近くに(in)立って(st)いる(ant)」の意味で、「近くに立っている」から転じて「すぐの」とか「緊急の」を意味する形容詞意味になったそうです。

名詞形は「instance」で、こちらは「実例」とか「証拠」とか「実体」という意味になります。「すぐ近くにある」ということなのでしょう。

インスタントコーヒーやインスタント味噌汁はすぐ飲めますし、インスタントラーメンは手軽にできます(実際にかかる時間はそんなに変わりませんが、手軽さが違います)。

手軽ではありますが、やはり代用品です。たとえば、インスタントコーヒーには分量を正確に測ればなかなか美味しいものもあります。スターバックスのインスタントコーヒー「VIA」は、店頭で売っているコーヒーの味をかなり忠実に再現していて驚きました。しかし、コーヒーを入れているときに広がる香り雰囲気までは再現できていません。

ちなみに、VIAは日本でも米国でも売っていますが、お湯の分量が違うので注意してください。日本で売っているものはスターバックスでいうショート、米国で売っているものはトールです(米国は基本的にショートサイズがありません)。

このように、インスタントは基本的に代用品ですが、独自の存在感を示すものもあります。たとえば、インスタント写真(インスタントカメラ)です。これは、ポラロイド写真(ポラロイドカメラ)を意味する言葉として生まれました(ポラロイドはポラロイド社の商標です)。

ポラロイド写真は、デジタルカメラが出る前、プロの写真家が照明のチェックをしたり、撮影前の現場を撮って原状復帰させるために使ったりしていました。

写真家のアラーキーこと「荒木経惟(あらきのぶよし)」氏は、一時期ポラロイドカメラに凝っていて「これでエッチな写真も簡単に撮れる」とエッセイに書いていました。

アラーキーは、現像過程に無頓着な人で、自分の撮った作品も街の写真屋さんに現像処理をお願いしていたそうです。彼の写真はエロチックなものが多く、当然のようにプリントを拒否されたそうです(フィルム現像はしてくれます)。

ポラロイド写真なら、その場で像が現れるため気兼ねなく撮れるというわけです。画質は決して良くありませんが、独特の雰囲気が出て、アラーキーの作風とは合っていたように思います。

デジタルカメラが普及し、「撮ったその場で見える」という利点が特別なものではなくなったためでしょうか、ポラロイド社は経営破綻しました。

入れ替わるように登場したのが、富士フイルムの「チェキ」です。ポラロイド写真と同様の使い勝手ですが、判型がかなり小さいことと、画質の良いことが特徴です。

画質については主観的なものですが、私の友人は「3割増しできれいに写る」と言っていました。おそらく、DPE店にあった店頭写真現像機のノウハウが詰め込まれているのでしょう。

デジタルデータと違い複製ができないことが、希少価値を生み、アイドルライブでは物販の定番商品となっています。同じCDを何枚買っても同じものですが、チェキは毎回違うものが入手できます。そもそもCDを出していないライブアイドル(地下アイドル)もたくさんいます。判型が小さいことで、保管しやすいという利点もあります。

インスタントなものよりも、本物を求めたいものですが、インスタントから生まれた本物もあるということですね。

2014年12月12日金曜日

歩き続けよう(248/365)

人と比べても意味がない、私は私の人生を歩き続けるという歌です。

『歌・こよみ365完全版』には、この種の歌詞が多く見られます。そういう応募があったのかも知れませんが、「エピソードを募集」にしてはちょっと抽象的な感じがします。具体的なエピソードをもとに、宮崎奈穂子さんの想いが入ったのではないでしょうか。

「歌・こよみ365」の開始宣言は以下の通りです。

ブログ記事「「歌・こよみ365」という挑戦を始めます。」より

「武道館の感謝をどうやったら伝えられるんだろう」
「どうやったらちゃんと恩返しをしていけるんだろう」
と、ずっと探してきて、ひとつの答えにたどり着きました。
私にできることは、「歌を歌うこと」と「路上で広めること」

だけです。
これまでは、私自身の歌を歌ってきました。

でも、どんな方の人生にも、素敵なドラマがあります。
これからは、恩返しの気持ちを込めて、
皆様のドラマを、代わりに歌わせて頂き、
広めさせて頂きたいと思います。
「歌・こよみ365」は、
365日、毎日一曲ずつ、全部で365曲を発表していくという挑戦です。

実際には、応募ではない曲も若干は含まれるようです。この曲がどうだったかは分かりませんが、未熟でも力不足でも「歩き続けよう」という決意は彼女らしい歌詞になっています。

2014年12月11日木曜日

17:30(247/365)

タイトル通り、夕方の情景を描いた曲です。

自分のやりたいことを目指して一人暮らししている、おそらくは女性。

「頑張るって決めたなら どこまでも頑張りなさい
でもつらくなったら休みにおいで」よぎる母の言葉

やりたいことができて、帰る場所もあって、幸せなはずなのに、どこか不安で寂しいようです。

ところで、この曲には多くの単語が羅列されています。

17:30を指す時計 後ろに伸びる影
髪揺らす風 踏切の音
コインランドリー スーパーの買い物袋
誰かの家の明かり 銀杏(ぎんなん)の匂い

という感じです。

宮崎奈穂子さんの曲でもときどき使われている手法ですが、これだけ多用されているのは少ないかもしれません。

続くと耳に付きますが、たまに聞くと新鮮で、想像の余地があって、なかなかいい感じです。

ちなみに、銀杏は「ギンナン」とも「イチョウ」とも読むので、漢字で書くとどちらか分かりません。歌は「ギンナン」でした。

イチョウは、ありふれた街路樹ですが、中生代から新生代にかけての種で、「生きた化石」として絶滅危惧種に入っているそうです。ちょっと不思議な感じがします。

ちなみにシーラカンスの仲間は中生代に絶滅したので、こちらの方がちょっと古いようです。

2014年12月10日水曜日

寂しがり屋の恥ずかしがり屋(246/365)

寂しがり屋なのに「寂しい」と言えず、恥ずかしがり屋だから「ありがとう」「ごめんなさい」が言えないときがある。そんな時は、「あったかい愛で包めたらいいな」だそうです。

最後の「みんなもあなたも私もおたがいさまだから」のメロディは伸びがあってとてもいい感じです。

「ありがとう」「ごめんなさい」といえば、昔、文化放送で放送されていた「セイヤング」で、落合恵子さんが担当していた曜日に「愛の伝言板」という人気コーナーがありました。

検索しても見つからなかったので、記憶に頼って書いてみます。

たったひとこと「ありがとう」
たったひとこと「ごめんなさい」
そのひとことが言えないあなたに代わって
愛の伝言板

1978年には終了しているので、宮崎奈穂子さんはご存じないかも知れませんが、エピソードを送った方が覚えていたのかもしれません。

このコーナーのオープニング曲が、ローレンス・ウェルク楽団演奏の「Happy Heart」ですが、探せませんでした。一般には、アンディ・ウイリアムスが歌う曲として有名で、こちらは映像がありました。


▲アンディ・ウイリアムス「Happy Heart」

2014年12月9日火曜日

あなたの声 言葉を聞きたい(245/365)

頑張ったとき、他の誰でもなくて「あなた」のにほめてもらいたいという話。他の誰よりも「あたな」にほめてもらいたい。ほめてもらいたいから頑張るのでもないけど、「あなた」の声で言葉を聞きたいという歌です。

若いときに、そういう精神的な支えになる人を見つけられるかどうかは、その後の職業人生を大きく変えるように思います。

否定されたり阻害されて育った子供より、認められた子供の方が高い能力を発揮するように、大人でも認められた方が成長するようです。

直接言葉をかけられなくても、自分で目標を設定するだけでも違うそうです。この人を師と仰ごうと思う「仮想メンター」でも効果があるそうなので、目標のない人は試してみてください。

「こんな人になりたい」という思いを具体化したものが「ロール(役割)モデル」です。全く新しい仕事をしている人は、ロールモデルを見つけにくく、目標が定めにくく、なかなか能力も発揮できないようです。

上級職に就く女性が少なかった頃は、「(仕事における)女性のロールモデル」が見つけにくいと言われていましたが、ようやくちらほら出てきたようです。

ロールモデルは、単に頑張っているだけとか、能力が高いだけでは駄目で、自分と近いところを含まないといけないし、何より「なりたい自分」の要素を含まないといけないみたいです。そうでないと「あんな人には(要求が高すぎて)なれない」「あんな人には(大変すぎて)なりたくない」となってしまいます。

今までの女性は、特に上級職の女性は男以上に働いてきた人が多いため「あんな風にはなりたくない」と思ってしまう人が多かったようです(「名誉男性」という言葉があるくらいです)。でも、これからはもっと力を抜いて「ふつうに」仕事をする人が増えてほしいものです。そうしたら、男性の働き方ももう少しゆったりできるかもしれません。

1組の男女で、男性が120%働いて女性が40%働くより、男女ともに80%働いた方が人生楽しいと思います。

2014年12月8日月曜日

なりたい自分になるには(244/365)

『歌・こよみ365完全版』には「なりたい自分」という言葉が頻繁に登場します。この曲はそのものずばり『なりたい自分になるには』。

近道はないし、リスクを取りながら着実に進もう、という歌詞です。

ちなみに、宮崎奈穂子さんが2014年7月に発売したミニアルバムのタイトルが『なりたい自分になるまで』です。曲調は全く違いますが、「なりたい自分」は、彼女の最近のテーマのようです。


▲『なりたい自分になるまで』プロモーションビデオ

『なりたい自分になるまで』は、タワーレコードなどで購入可能です。表題曲以外にも『歌・こよみ365』に歌詞が一部出てくる曲が入っています。『歌・こよみ365完全版』は、きっと後世の研究者に貴重な資料を提供するはずです。

2014年12月7日日曜日

電車は走る(243/365)

夕方に帰宅して、故郷の母を思い帰ろうか迷う一人暮らしの人でしょう。帰宅と帰郷に電車をかけているのでしょうか。

夕方の情景は、宮崎奈穂子さんの歌ではおなじみのオレンジ色です。「オレンジ」という夕方の歌まであります。


▲オレンジ

歌詞ノートには「Station Melody by H. Shiozuka」とありました。調べたら、塩塚博さんのことのようで、多くの発車メロディを作曲している方です。

言われてみれば、イントロや間奏の他、歌のワンフレーズなどが「JR-SH1-1 」という発車メロディに似ています。ただ、テンポも違うし、アレンジも違うので、別の曲と考えていいでしょう。実際、私は歌詞ノートを見るまで気付きませんでした。クレジットは原作曲者に敬意を表するものであり、そのまま使っているわけではありません。

なお、JR-SH1-1というのは、着メロ配信をするときにJASRACに登録することになり、その時に便宜的に付けたタイトルだそうです。


▲塩塚博さんの作曲した発車メロディのリスト(一番最初が該当曲のJR-SH-1です)

2014年12月6日土曜日

人の本当のあたたかさ(242/365)

人の本当のあたたかさ (先輩アーティスト kado jun さんに贈る歌)」に若干の修正を加えました。


宮崎奈穂子さんが以前所属していた音楽事務所「Birthday Eve」時代の先輩ミュージシャン Kado Junこと、門谷純さんに向けた歌です。門谷はカドタニと読みます。関西では、人名や地名の「谷」は「タニ」と読む方が一般的です。たとえば、京都には「渋谷街道」という道がありますが、これは「シブヤカイドウ」ではなく「シブタニカイドウ」ですし、「鹿ヶ谷」は「シカガヤ」ではなく「シシガタニ」です。Kado Junさんも関西出身のようで、「カドタニ」と読みます。

私、Birthday Eveの方はたいてい路上で見ているんですが、Kado Junさんだけはまだ見たことがありません。積極的に追いかけていなくても、大概どこかでお会いできるものなんですが、なぜか本当に1回もありません。

ライブでは何度かお見かけしています。一応「社会派」ということになっているらしいんですが(実際、社会問題の曲は多いんですが)、私はもうちょっと個人的な曲の方が好きです。たとえば「天体観測」とか。

歌詞には路上ライブのことが書かれていますが、写真がないので撮影が許可されたステージの様子を載せておきます。

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▲2013年4月27日「Birthday Eve祭り」より

もともと、Kado Junさんは大阪で活動されていました。宮崎奈穂子さんとの最初の出会いは、Kado Junさん(当時は門谷純)のライブのバックコーラスを担当した時だそうです。まだ事務所に所属して間もない頃だったようですが、今思えば豪華ですね。

Kado Junさんは、2014年3月末で音楽事務所Birthday Eveを離れ、独自に活動していらっしゃいましたが、2014年10月からは同時期にBirthday Eveを離れた伊吹唯(いぶきゆい)さんとともに、「はなもも」というユニット活動をしていらっしゃいます。

なお、伊吹唯さんは、「歌・こよみ365」制作期間中は「さとなか唯」として活動していらっしゃいました(家族のように (先輩アーティスト さとなか唯さんに贈る歌))。


▲「天体観測」(門谷純)

2014年12月5日金曜日

今はお仕事をがんばるときなんです(241/365)

洋服屋さんの素敵な服を横目に通り過ぎ、パーティや女子会にも参加せず、友人の結婚にも気付かない。でも、今はお仕事をがんばるときなんです、という歌。

そういえば、今は秋の服は秋に売っていますが、昔は違いました。ひとつ先のシーズンの服しか店頭には並んでいませんでした。なぜ7月にバーゲンをするのか分からない人も多いでしょう。ボーナスが出るからではなく(もちろん、それもあるでしょうが)、秋物に入れ換える時期だったからです。

状況が変わったのは、渋谷109に代表される若者向けの店が増えてからです。店長に、客と同年代の女性を起き、慣例のとらわれない店舗運営を任せた結果「今着たい服を売る」という当たり前のことが実行されたそうです。

話によると、店舗の改装を頻繁に行うことで、目新しさを持続することも考えたそうです。改装中は閉店するので、その間、大きな利益を上げた店長はご褒美にハワイに連れて行ってもらえたとか。どこまで本当か分かりませんが、本当だとしたら店長たちもやる気を出したでしょうね。

若い店長たちは、ハワイ旅行を目標に、店舗のレイアウトから仕入れ、販売、販売員の指導まですべて自分で考えて実行したそうです。

実は、この施策、景気が悪くなって、店員の給与を下げるための苦肉の策だったという話も聞きました。店長と言っても、若い女性の給料は安く、大きなコストカットができたそうです。ただ、東急が外食チェーン店などと違うのは、安く雇った店長に権限を委譲し、責任を持ってもらう代わりに、成功したらインセンティブを与えたことです。

実際はどうだったのかは分かりませんが、結果的に109は大きな成功を収めました。そして、その成功は若い店長たちが「今はお仕事をがんばるときなんです」と頑張った結果です。あの「友達接客」を嫌う人も多いのですが、彼女たちなりに考えた結果なのでしょう。

2014年12月4日木曜日

信じる(240/365)

初めて会った人に対して、とりあえず信じる人と、とりあえず疑う人がいます。どちらが悪いということではありません。

この曲は、まずは「人を信じる」と言っています。それは「出会った人みんなが教えてくれた」からだそうです。

「安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方」という書籍によると、「最初は信じる」方がだまされる率が低く、「最初は信じない」方が裏切られることが多いそうです。人を見る目があるから、初対面で信じるか信じないかを判別できるため、結果的にだまされないのかもしれません。

また同書によると、米国人に比べ、日本人には「とりあえず疑う」人が多いそうです。そういえば、日本人はSNSでの匿名率が他国よりもずっと高いのは、初めて出会った人を疑ってかかるからかもしれません。

日本人のモラルが高いのも、他人の目を気にするためであって、見つからないと分かっている場合はぐっと低下するそうです。

著者は、集団作業が重要な農耕が主体だったため同調圧力が強いと推測しています。また、人口の流動性が低かったため、長時間かけて信頼関係を築くことができたのだろうとも書いています。

そういえば、田舎に行くとよそ者はなかなか受け入れてくれませんし、海外旅行のパッケージツアーが始まった頃は、日本人のマナーの悪さが世界的に問題になっていました。「旅の恥はかきすて」という言葉すらあります。

海外のサッカースタジアムで、日本人のマナーの良さが話題になっていますが、これはニュースになることを見越しての行動かもしれません。その証拠に、サッカーのマナーがほめられた直後のハロウイーンは、渋谷の街がゴミであふれていました。

交通や通信が発達し、多くの人と会うようになると、昔のように長時間かけて相手の人となりを評価するわけにはいきません。そうすると、

難しいことは置いておいて
理屈や理論はいったん忘れて
とにもかくにも「人を信じる」ということを

心がけた方がいいのかもしれません。


安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)

2014年12月3日水曜日

「も」(239/365)

効率も大事だし、がむしゃらさも大事、結果大事だし、過程大事。

最近、企業の人事考課は「MBO (Management by Objectives)」つまり、「目標による管理」が増えてきています。これは、最初に決めた目標(通常は数値目標)を設定し、その達成のための手順は社員自らが主体的に管理するという者です。

ただし、実際には「目標さえ達成すれば良い」ということになりがちで、懐疑的な見方も多くあります。実際に、単純なMBOは既に主流ではないという説もあります。

児童の発達過程では、結果をほめると「結果さえ良ければ」と思ったり、「能力だけが評価され人格は評価されない」と誤解してしまい、失敗すると人格を否定されたかのように落ち込むという例があるそうです。

大人の場合は、もう少し理性が働くでしょうが「結果だけ評価されてもなあ」という人は多いと思います。

宮崎奈穂子さんの、武道館ライブへのチャレンジは「サポーターを1万5,000人集めた」という結果に注目されがちですが、実際に武道館に行った人は「サポーターを集める過程に感動した」という人が多かったようです。

とは言え、やはり1万5,000人という数字の意味は大きく、「結果も過程も大事」ということになります。

一般に、プロの仕事は結果だけで評価されます。お客様に向かって「頑張ったので許してください」と言っても通じるわけがありません。だからこそ、同僚やサポーター(あえてファンとは言いません)は、過程を評価してあげないといけないのじゃないかと思います。

幸い、今は各種SNSで簡単にメッセージを伝えられますから、単なるファンを超えたサポーターを目指すなら、過程に対する評価をしたいものです。

悪いところ、改善すべき点は、通常は言う必要はありません。本当に気付いていない場合もありますが、たいていの場合、悪いことは自分たちが一番よく分かっているものです。

ところで、タイトルの「も」ですが、カギ括弧が含まれるようです。宮崎奈穂子さんの楽曲で最も短いタイトルは「手」ですが、こちらはカギ括弧を含まないので、依然として最短記録保持曲は「手」です。

これ以上短いタイトルはあり得ないのですが、将来「目」とか「歯」という曲ができればタイ記録になります。


▲‎2011‎年‎10‎月‎6‎日武道館コンサートが決まったあとの路上ライブ
雨ですが屋根のある所で歌っていました(当時は眼鏡をかけていません)

2014年12月2日火曜日

WISH UPON A STAR (238/365)

このフレーズは、1940年のディズニー映画「ピノキオ」の主題歌『星に願いを』の原題『When You Wish upon a Star』として知られています。ディズニーランドでも流れているそうです。

多くの人がカバーしていますし、「星に願いを」という日本語訳も定着しています。「When You Wish upon a Star」という表現は意外に知られていないような気がしますが、音楽に興味を持っている人なら当然知っているでしょう。

この曲は「星に願いを」と、曲が似ているわけではないのですが、雰囲気は似ていて、どちらも同じくらいの名曲になっています。

内容は「誰かの笑顔を作れる私になりたい」というフレーズがあるように、星に願いを込める歌です。

星といえば、宮崎奈穂子さんの初期の曲に「ステラ」という作品があります。ステラ(stella)は恒星の意味です。「星が光るのは、微妙なバランスの上に成り立っている」と聞いて、人間の気持ちのバランスとリンクさせたそうです。

もっとも、実際の恒星は安定しており、「微妙なバランス」というのは、何か別の条件があるのを、宮崎奈穂子さんが聞き落としたのだと思います。こうした技術的な問題は、歌の価値には何の影響もないので誤解のないようにお願いします。このブログは、そういうどうでもいいところを取り上げるようになっているから書いているだけです。

WISH UPON A STAR』には「何億光年の向こう」という表現が登場します。言うまでもなく「光年」は距離の単位で、時間の単位ではありません。真空中で(宇宙はだいたい真空です)光が1年間に進む距離が「1光年」です。

実は、「何億光年の向こうの光」を日常生活で体験することはありません。そのため、科学的な説明ではなく、詩的な表現と解釈してください。ただし、繰り返しますが科学的に不正確な表現があったとしても、歌の価値には何の影響もありません。

「宇宙の距離」について例を挙げましょう。

有名な「夏の大三角」を構成するベガ(こと座)は25光年、アルタイル(わし座)は17光年、デネブ(はくちょう座)はちょっと遠くて1,400光年ですが、それでも億にはとうてい及びません。

ちなみに、銀河系の大きさがざっと10万光年、アンドロメダ銀河(星雲)までが250万光年、裸眼で確認できる最も遠い天体までは314万光年です。

このように、何億光年も離れた星は一般には知られていません。何しろ肉眼で見えないのですから、望遠鏡が発明される以前は知られようがありません。

なお、そんなつまらないことを言っていると、人間関係に支障が出るかもしれませんのでご注意ください。

出典: 光年 (Wikipedia)


▲When You Wish Upon A Star

2014年12月1日月曜日

一生分の恋~Wedding Song~ (237/365)

『歌・こよみ356完全版』には、結婚式の歌が9曲入っています。

  • ずっと ずっと~Wedding Song~ (Disk 6)
  • ふたり 歩いていこう~Wedding Song~ (disk 12)
  • ありがとう~Wedding Song~ (disk 12)
  • お父さんとお母さんへ~Wedding Song~ (disk 12)
  • 春夏秋冬~Wedding Song~  (disk 15)
  • 愛が支えるウエディング~Wedding Song~  (disk 18)
  • 一生分の恋~Wedding Song~  (disk 20)
  • 誓いの言葉~Wedding Song~ (disk 26)
  • 家族~Wedding Song~  (disk 28)

『一生分の恋』は、20枚目に収録されています。

同じ結婚式の歌でも、それぞれに特徴があって、どれもいい曲に仕上がっています。

この曲の特徴は、ラストにも登場するフレーズ

今日から恋人のまま 家族になるね
一生分の恋だと「この人だ」と聞こえたから
今日結婚します

にあります。

もっとも、心理学的には恋愛感情は3ヶ月から3年しか継続しないことが分かっており、愛の質は異性愛から家族愛に変わっていくものだそうです。子供を育てるには、その方が都合がいいからかもしれません。

愛の変質を「恋が覚めた」と感じるか、「より高いステージの愛に到達した」と考えるかは本人次第です。