2015年9月6日日曜日

感謝ティブ

フォトエッセイ「拝啓 路上ミュージシャンの宮崎奈穂子です」の付録CDに収録されています。「歌・こよみ365」と同時期に出版されたので、「歌・こよみ365」にも収録されるかと思ったら、されませんでした。


拝啓 路上ミュージシャンの宮崎奈穂子です

出版時のご本人のブログがこちら
新しい本を発売させていただきます!!『拝啓 路上ミュージシャンの宮崎奈穂子です。』

「感謝ティブ」は、感謝に「アクティブ」「ポジティブ」などに使われている「tive」を付けた言葉だそうです。英語だと「thankful」っていうところでしょうか。

「ジェイロック」所属時代のブログは「ポジディブ、感謝ティブ、全力ティブ」でしたし、宮崎奈穂子さんがパーソナリティを担当していた文化放送のラジオ番組「言葉ドロップス」でも取り上げていました。

なお、「感謝ティブ」は、実は既に何度か取り上げているので、合わせてお読みください。

曲中に登場する「足下の黄色い花」は、おそらくタンポポです。タンポポについては以下を参照してください。

ところで、このフォトエッセイの付録CDには以下の曲が収録されています。

  • 感謝ティブ(2mix)
  • 感謝ティブ(Vo+Cho+Pad)
  • 感謝ティブ(Vo+Cho+Pf)
  • 感謝ティブ(Vo+Cho+Pf+AGt+Ba+Dr)
  • 感謝ティブ(カラオケ)

括弧内の意味はよく分からない部分もありますが、要するに楽曲パートの一部だけ収録されているということです。

足りないパートを自分で演奏するとか、カラオケで自分が歌ってみるとか、そういう用途を想定しています。作った作品は自由に公開できるそうです。

フル楽曲も入っているので、これにスライドショーをつけるという方法もあります。

ということで作ってみました。路上ライブを中心に、渋谷AXで行われた「武道館単独コンサート1周年記念ライブ」です(AXは珍しく写真撮影が許可されました。)。渋谷AXでのライブについては別のブログ記事「11月23日(土)宮崎奈穂子さんソロライブ(渋谷AX)」をご覧ください。

2015年5月9日土曜日

『服も思い出も人生も』~白洋舍イメージソング~

クリーニング業大手の白洋舍のイメージソングです。私の知る限りCD化されていませんが、ショートバージョンがYouTubeで公開されており、フルバージョンがダウンロード可能です。いずれも、白洋舍のWebサイト内にある「宮崎奈穂子応援ページ」からたどれます。

企業向けに制作した楽曲はCD化されないことが多いのですが、こうしてきちんと公開しているのはいいですね。

▲ショートバージョン「服も思い出も人生も」宮崎奈穂子(白洋舎イメージソング )

軽快で、洋服に対する女の子の気持ちがよく出ていて、なかなかいい曲です。ぜひ聞いてみてください。YouTubeに入っている画像もいい感じです。

インタビュー記事の日付は、2012年8月23日となっていますので、武道館集客への追い込み時期ですね。インタビューの内容も、白洋舍らしいもので、洋服を通して宮崎奈穂子さんの人となりが伝わってきます。

記事のの最後には写真もいくつか出ています。これらはさまざまな媒体で見かけるもので、きちんとしたものです。

そして、フルバージョンの利用許諾がなかなか素晴らしい。

  • 「服も思い出も人生も」フルバージョンのダウンロードは無料です。
  • ダウンロードできるファイルはWAVEファイル32.7MBです。右クリックして「対象をファイルに保存」を選択してください。
  • ダウンロードした楽曲ファイルはPC、携帯電話、デジタル音楽プレーヤー、CD等のデジタルメディアに自由に保存してお楽しみいただけます。
  • ダウンロードした楽曲データをご家族、ご友人に配布したり、SNS等で共有いただくことも許可されています。
  • ダウンロードした楽曲データの編集はご遠慮ください。

ということで、かなり自由に使えます。ぜひ白洋舍のWebサイト内にある「宮崎奈穂子応援ページ」を見てみてください。

2015年5月5日火曜日

『ありがとうを込めて、乾杯』~ノンアルコールワインで乾杯~

「歌・こよみ365完全版」の直後にできた歌のようです。

「ありがとうを込めて、乾杯」は、ノンアルコールワインの曲で、結婚式や、その他のイベントのとき、ノンアルコールで乾杯しようという歌です。

一歩前へ」「あなたと出会えたこの地球」に関わった、株式会社湘南貿易は「湘南ワイン」ブランドでワインとノンアルコールワインも販売しています。おそらく、そのつながりでできた曲です。

湘南ワイン
▲「湘南ワイン」販売サイトより(楽天市場)

CDは一般販売されていませんが、湘南ワインのブログ「湘南ワインのノンアルコール繁盛記 」の記事「できました!ノンアルコールワインの歌!」「ベルギー大使館にてパーティーを開催いたしました!その2」から聞くことができます。

このブログに埋め込むのはマナー違反だと思うのでやめておきます。

ところで、ノンアルコール飲料を買うときも、販売店で年齢確認されることはご存じでしょうか。

もちろん、法的には未成年が飲んでも問題ありません。しかし、製造元では「未成年が飲むことは望ましくない」としています。たとえば、サントリーの「お客様センター」サイトでは以下のように記載されています。

Q:『オールフリー』を子供が飲んでも大丈夫ですか?

A: あくまで当製品は20歳以上の方の飲用を想定して開発しています。

法律上問題はありませんが、ビールテイスト飲料のため、本物のビールや各種アルコール類へ誘引するきっかけとなる恐れもあるため、お勧めいたしません。

思春期にアルコールを飲み始めると、酒におぼれやすくなる」という説もあります。これを受けて、販売店でも年齢確認の対象としているということです。

ノンアルコール飲料は、アルコールに耐性のない方や、妊娠中の方が宴席に参加するとき、午前中に商談が成立しランチで乾杯したいときなど、本来はアルコールを飲みたいところ、さまざまな事情で飲めないあるいは飲みたくないときの利用を想定しているそうです。

要するに「アルコールがあるべき場所で飲む」「アルコールがふさわしくないところでは飲むべきではない」ということです。当然、お祝いでも何でもないのに勤務中に飲むことも不適切ということになります。

ちなみに、アルコール依存症の人も、酒を飲みたい気持ちが高まる可能性があるので「医師と相談してください」ということです。

2015年4月29日水曜日

「歌・こよみ365」マイベスト

さすがに365曲もあると、好きな曲とそれほどでもない曲が出てきます。しばらくシャッフルして聞いていたんですが、好きな曲がなかなか出てこないのでベスト盤を作ってみました。

20曲を目安にしましたが、21曲になりました。「夢に歌えば」はテーマソングなので、これを除外したら20曲ですね。

  1. Disc01 夢に歌えば
  2. Disc01 まっすぐ行こう
  3. Disc01 りらの花
  4. Disc02 がんばる勇気
  5. Disc03 たとえば
  6. Disc04 夢を叶えること
  7. Disc05 生きる力
  8. Disc06 新しい日へ
  9. Disc09 西麻布の街
  10. Disc12 あなたなら そう言うのでしょうか
  11. Disc14 愛を歌う人
  12. Disc16 大人になってできなくなること。
  13. Disc16 逆上がり
  14. Disc17 北空知の風の中
  15. Disc18 わかってるんだけど
  16. Disc18 音楽の力
  17. Disc20 人の本当のあたたかさ
  18. Disc22 母から子へ
  19. Disc23 宝石箱
  20. Disc24 家族のように
  21. Disc25 ようこそ パパとママのもとへ

各曲へのリンクは張りません。さすがに面倒なので。

こうして見ると、ディスク1が3曲、ディスク16と18に2曲入っていますが、見事にばらばらです。しかも、テーマ曲の「夢に歌えば」を除けばディスク1、16、18に2曲入っているだけで、その他は全てCDごとに1曲です。

「歌・こよみ365」は、楽曲依頼者の意向でシングルカットされたものがあります。こちらは、作成順らしき番号が入っていますが、この番号は「完全版」の数字とは違います。

関係者の話によると、当初はアルバムの形で出すかどうかは決まっていなかったようです。それで単純に発表順に番号を付けていったのでしょう。

しかし、全曲30枚組のセットにすると、前後の曲でバランスを取る必要があるのでしょう、並び順が変わったのだと思われます。

こうして、ベスト盤を作ってみると、その試みは成功しているようですね。

365一歩前へ
▲たとえば、シングル「一歩前へ」は協栄産業株式会社の意向で作られたようです。
シングルの番号は「231/365」ですが、完全版では122曲目です。

2015年4月10日金曜日

『歌・こよみ365完全版』全曲コメント終了しました

『Annotated歌・こよみ365』について

以上で『歌・こよみ365完全版』の紹介は終わりです。1年間お読みいただいた方(おそらく数名ですが)ありがとうございました。

1年間続けるのは結構大変だろうと思ったので、あまり無理せず、本当に簡単な紹介しかしていないものもたくさんあります。

「毎日メルマガは、打率三割を目指せ」と言うそうです。毎日読み応えのある記事が続くと疲れるので、気合いの入った記事は3本に1本くらいでいいということです。

実際に書いてみて、「これは」というのは10本に1本か、それ以下だと思います。「宮崎奈穂子」という名前を見たらほとんどなんでもリツイートするファンの方も、このブログの告知をリツイートしていただいたのは数回しかないように思います。それだけつまらなかったのでしょう。

具体的な内容に言及していただいた感想は1回だけですし、コメントをもらったのも1回だけです。銀座いちご倶楽部の方、どうもありがとうございました。

ページビューも、ブログの管理画面で見る限り、最初の半年くらいはほとんどが5から10未満で、ほぼ誰も読んでいない状態でした。

それでも1年経った今、おかげさまで10人くらいは読んでいたいているようです。

ちなみに、一番読まれたのは「わかってるんだけど」で、約300のPVがありました。誰かに紹介していただいたはずです。数字が入っていないので、「完全版」出版前の記事ですね。加筆したものが「わかってるんだけど(212/365)」ですので、こちらも読んでいただければ幸いです(が、この記事自身が10人くらいにしか読まれていません)。

「わかってるんだけど」は、「歌・こよみ365」の割に初期の曲で、なかなかいい歌なんですが、すぐあとにできた「がんばる勇気」と似たモチーフのせいか、あまり歌われません。残念です。

2番目に読まれたのが「少しだけ気付き始めてるのは (271/365)」で、これは、この曲の題材となったかもしれない風見穏香(かざみしずか)さんに紹介していただいたおかげです。ありがとうございました。

『歌・こよみ365完全版』について

さて、365曲をかなり一所懸命聞いて思ったことがいくつかあります。

短期間で作成されたため、似たような曲や歌詞が含まれるのは仕方ないでしょう。予算の都合でしょうか、バンド編成のアレンジで聞きたい曲もたくさんありました。

一番面白かったのは、ブログの内容や、普段離していることがストレートに歌詞に反映していたことです。また、新曲のモチーフが含まれていたこともありました。

短期間で作ったため、題材と作品の落差が少ないようです。後世の研究者に対して貴重な資料となるはずです。

「歌・こよみ365完全版」は完全受注生産ですし(発売数非公開)、発売元の事務所が活動を停止しているので、同じものが出ることはないでしょう。音源や楽譜は残っているでしょうが、そのまま出版される可能性は低いと思います。

本当に貴重な作品なので、なんとか広く公開する方法を検討していただきたいと思います。

『Annotated歌・こよみ365』の今後

昨日で、一応の目的は達成したのですが、せっかく作ったブログですし、ドメイン名ももったいないので、このブログは継続することにします。

更新頻度は大幅に落としますが、宮崎奈穂子さんの楽曲を順次紹介していければと思います。何しろ、彼女の曲は事務所移籍後に発売された1枚のミニアルバム、1枚のシングル、2枚のベスト盤しかありません。

このブログを使って、今まで発表された150曲ほどの曲を順次紹介していきたいと思います。

iTunes
▲iTunesの再生リスト

『歌・こよみ365完全版』は、主にiPad miniで聞いていました。よく分からない場合はとにかく何度も聞いていたので、最大70回くらい聞いたようです。途中で止めて繰り返し再生したものもあるので、実際にはもっと多く聞いたものもあります。

とにかく1年中聞いていたので、一番少ないものでも9回は再生していたようです。飽きることはなかったのですが、ちょっと違うのも聞いてみようというときは、『歌・こよみ365』以前の宮崎奈穂子さんの曲を聞いていました。

もちろん、他の曲も聞いていましたが、結局ここに戻ってくる感じです。

先に書いたとおり、このブログは継続しますので、引き続きよろしくお願いします。

そして、本日4月10日は宮崎奈穂子さん29回目のお誕生日になります。おめでとうございます。これからも素敵な歌を聞かせてください。

2015年4月9日木曜日

バイバイ (365/365)

「歌・こよみ365完全版」の最後にふさわしいタイトルです。

不安や悩みからバイバイできたらいいのに、と思うものの、良いことと悪いことは表裏一体なので、悪いことにバイバイしたら、いいことも失ってしまうという歌です。

闇があるから 光だと気づくように
全てバイバイしたら 光さえ失っちゃう

まだまだ 夢は遠いな (360/365)」と似たようなモチーフです。

最後はこんな風に終わります。

手をつないでみよう 手をつないでみよう
そしたらとっても しなやかな心になれるから

嫌なことからバイバイするのではなく、他の人と一緒にいることで(手をつないでみよう)気持ちが変わると言っているのでしょうか。

「歌・こよみ365」は「武道館コンサートの感謝を形にする」がスタートでした。

何度か書いたように、武道館は得たものも多くありましたが、失ったものもたくさんあるのではないかと思います。直接の原因ではないにしても、間接的なきっかけになったと思われる事件があったことも、武道館前後のファンなら想像していると思います。

いいことと悪いことは一体であり、分離できません。だとしたら、気持ちを切り換えたり、見方を変えたりするしかありません。その時に助けてくれるのは、一緒にいる仲間なんだろうと思います。

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▲最後はやっぱりこれ「ありがとうございました」

2015年4月8日水曜日

ゆだねる (364/365)

「自分のことは自分でしなさい」っていう言葉が、子供に対してではなく、青年期の男女に使われるようになったのはいつ頃からでしょうか。特に、最近は強調されているようです。

明治から戦後にかけて活躍し、大学で数学を学んだ人は誰でも知っているくらい有名な数学者、高木貞治氏は

微分のことは微分でせよ (自分のことは自分でせよ)

と言ったそうです。単なる駄洒落なんですが、当時既に、若者に対して「自分のことは自分で」という価値観があったことが分かります(「微分学の定理は、微分だけを使って証明すべき」という意味を含んでいたという説もあります)。

この曲は、なんでも自分で決めて、考えて、意見を通して、そういうことをしていると疲れてしまうという歌です。

それは大事だけど、あんまり疲れてしまっては身体が持ちません。

ゆらり ゆらり 人生という海に浮かぶ
がんばって がんばって がんばったら
ときには ゆだねる ことも大事です
心の力 ぷしゅう 抜いて

最後はこんな風に終わります。

人生の目標を明確に決める人は、何かの事情でその目標が達成できなくなったとき、大きく落ち込む傾向があるようです。

目標が達成できなかったことは残念ですが、そのおかけで別の目標が見つかることもあるし、そもそもその目標が無意味なこともあります。

目標達成の過程は無駄にならないとしても、目標の意味がなくなることはしばしばあります。

たとえば、四則演算だけで平方根を求める技術があります。業種によっては、長方形の二辺の長さが分かっているとき、対角線の長さを知りたいことがあるでしょう。

2辺の長さをそれぞれa、bとした場合、三平方の定理により対角線の長さは√(a2 + b2)となります(図)

root

ここで、ルートの計算が簡単にできれば便利です。ルートを計算する公式はあるので、ちょうど割り算と似たような形で求めることは可能です。

でも、多くの電卓にはルート計算の機能がありますから、そこで努力しても結果が報われることはほとんどないでしょう。ほとんど使いもしないルート計算機能が電卓についているのは謎ですが。

目標設定は大事ですが、過程も同じくらい大事にしてください。そういう歌は「歌・こよみ365完全版」にはたくさんあります。宮崎奈穂子さんが、自分で設定した目標を達成できなかったことが何度もあるからかもしれません。

ところで、歌詞には「ぷしゅう」という特徴的なオノマトペが登場します。「心のストレッチ(101/365)」には「ぷしゅ~」という言葉(歌詞カードによる)が出ているので、あわせてお読みください。

2015年4月7日火曜日

いつまでもこんな私じゃ (363/365)

「こんな私じゃだめだ」と自分に対してネガティブな評価をする人の歌です。

おごらないのはいいことですが、必要以上にネガティブな発言をするのは周囲を不快にさせます。むしろ「オレってすごいやろ」くらいの方がいいくらいです。本当に傲慢なのは勘弁願いたいのですが、言葉として発するだけならいいと思います。

謙虚になることは必要ですが、あまり卑下すると自分が嫌になってしまいます。

この曲も

いつまでも こんな私じゃ
自分のこと 好きになれない

と繰り返しています。

ごまかさないで ほんとは誰より
胸を張れる人になりたい 私に

で終わります。「私に」というのがとても大事な所です。自分に対して胸を張れる生き方をしていれば、たいていのことは乗り越えられます。

独りよがりの評価は良くないので、そこは難しいところです。自分の良心にしたがって、現状を受け入れ、次のステップに進みたいものです。

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2015年4月6日月曜日

わからないけど (362/265)

ふたつの気持ちの間で揺れる気持ちを歌います。

秋が来ると 心のどこか奥の方 締め付けられる

これは分かります。暑い夏から涼しくなると、いろいろ考えるものです。

その後「どこに進んでいるのか分からない」と続くのですが、急に

嘘のない まっすぐなあの人に 惹かれはじめてる

と、他の人が登場します。その後はまた

何かが後ろから ひっぱってるような感じ
でも前にもぎゅっと 引っ張られているような

と、迷う心が歌われます。その後は、ずっと迷う気持ちが描かれ、最後は

どこに行けばいいのか どこに進んでいるのか
わからないけど 生きている今 だから真剣でいたい

で終わります。

季節の変化が感情に影響するのは自然ですし、後半の自問自答も分かるのですが、「あの人」が何なのかがよく分かりません。

もしかしたら、現在の仕事で満足しているところに、「あの人」から別の仕事に誘われたのでしょうか。現在の同僚との関係が「後ろから引っ張っているような」、「あの人」から「前にもぎゅっと引っ張られている」じゃないのかと想像していました。

誘われた転職が良かったか悪かったのかは、最後まで分かりません。たとえ転職先が倒産したとしても、その経験は次に生きるかもしれません(無駄かもしれません)。

「だから真剣でいたい」ということなのでしょうか。

2015年4月5日日曜日

優しさ (361/365)

初対面の人に対する態度には2種類あります。

  • まず疑ってみて、しばらく付き合ってから信用する
  • まず信用して、問題があったら疑う

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方」(山岸俊男)によると、「まず信頼して」の方が人からだまされにくい傾向にあるのだそうです。「まず信頼」の方が神意を見抜きやすいのか、人を見る目のある人が「まず信頼」となるのかは分かりませんが、そういうデータがあるそうです。

この歌は

何の躊躇い(ためらい)もなく 人のために行動する
あなたの姿を見て あの日の私は驚きました
優しさとは行動なんだと まさしく行動で
私の教えてくれたのはあなたでした

で始まります。

歌の途中では「裏切られるようなことだってあったはずなのに」とありますから、それほど親しくない人のためにも行動しているようです。

にじんでいった世界が いつか線を持って
それでもこの道を 歩きたいと思うのでしょうか

ちょっと分かりにくい表現ですが、想像してみます。「にじんでいった」は涙が出るようなこと(おそらく裏切られたこと)、「いつか線を持って」は、涙が途切れず線になったことでしょうか。

あなたの背中に理由を探してみたけれど何も書いてない」という言葉もあります。他にも「あなた」の行動を不思議に思っている言葉が続きます。「あなた」のようになりたいと、はっきりは言っていませんが、どうやらなりたいようです。

「いい人」とは、人当たりはいいけど、何もしない人を指すことがしばしばあります。行動が伴えば、誤解されることもあるし、一方から見れば裏切られたように見えることもあります。でも、行動がなければ単なる話し相手です。行動する優しさを持っている人だけが尊敬される人になれるのでしょう。

私も、どんな行動が出来ているかを考えるようにします。


安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)

2015年4月4日土曜日

まだまだ 夢は遠いな (360/365)

自分の思い描く未来になかかな到達できないので、いっそ

ときどき ひとおもい
すべてを 手放したら
どうなるだろ と考える

という歌です。

でも、そうすると今まで出会った人が、なかったことになってしまう。それは嫌だ、と続きます。

2番では、「歩みを止めたら」と考えますが、そうすると「自分のことを嫌いになる」と思い直します。

結局は頑張るしかないという歌です。

でも、たまには休んでくださいね。

2015年4月3日金曜日

ヒリヒリ (359/365)

ものととには、何事にも裏と表、光と闇があります。

手に入れるということは
失うことでもあるんだ

という歌い出しで始まるこの曲も、そんな言葉で始まります。

全体に弱っていて、心が「ヒリヒリ」する感じはあるものの、具体的には分かりません。そこで、勝手に想像して、宮崎奈穂子さんの武道館単独コンサートについて書いておきます。

2013年に書いた「武道館の祝福と呪い~11月23日(土)宮崎奈穂子さんソロライブ(渋谷AX)の意味」を最後に転載しておきます。

あとで思えば、この時点で事務所の移籍を発表するはずだったのが、事情で(内容は想像できますが書きません)延期になり、中途半端な発表になったのでしょう。

また、記事の最後「これからも、どうか宮崎奈穂子をよろしくお願いします」は、武道館の最後の台詞です。

話をこの曲に戻します。

おそらく、何かちょっとした成功をしたのでしょうが、かえって面倒なことになったのかもしれません。

掴むものがないこの左手 心もとなくて
空(くう)を握って 大きく息を吐く

どうやら、左手に持っていたものを失ったようです。でも、おそらく右手は何かを掴んでいるのでしょう。

さて、ここで解釈が難しいのは左手の意味です。一般に、右と左では右の方が優勢です。日本語でも(中国由来だと思われます)「右に出るものはいない」と右が優位ですし、英語でも右(right)は「正しい」、左(left)は「残り」です。

つまり、普通に読めば「本当に大事なことは右手に残している」となるのですが、宮崎奈穂子さんは左利きです。大事なものは利き手で持つ可能性が高いので、歌詞からはどちらが大事なのかよく分かりません。

実際は大した意味はないのかもしれませんが、ちょっと気になりました。


11月23日(土)宮崎奈穂子さんソロライブ(渋谷AX)」から続く

評論家の岡田斗司夫は「祝福と呪い」という話を良くする。大きな仕事を成功させて、高い評価を得ることは「祝福」だが、成功に縛られて新しい体験ができなかったり、周囲の期待が大きすぎたりするのが「呪い」である。

辞書によると「祝」と「呪」はほぼ同じ意味だったらしい。「兄」は祈りを捧げる人の意味がある。示(しめす)偏が付くと祈りを捧げる場所を示す意味になり、口偏が付くと口から発せられる祈りの言葉そのもの意味になるという。

アニメ「機動戦士ガンダム」では、ほとんど引きこもりだった少年アムロがガンダムのパイロットになることで周囲から評価されるようになるが(祝福)、高すぎる期待に応えられず逃げ出してしまう(呪い)。

オリンピックで金メダルを取った選手が、その後の期待に応えられず悩む話もよく聞く。

歌手の森山良子は、時間がなくて適当に作った曲「この広い野原いっぱい」がヒットしすぎて嫌だったという。

イルカはシンガーソングライターなのに代表曲が「なごり雪」。実はイルカの作詞作曲ではなく、それどころかイルカへの提供曲ですらなくて、「かぐや姫」が1974年に発表した曲を翌年1975年にカバーしたものだ(作詞作曲は伊勢正三)。発表当初から「オリジナルを越えた」と言われているし、今となってはオリジナルみたいなものだが、イルカが作詞も作曲もしていないことには変わりない。イルカ本人としてはかなりつらかったのではないだろうか。

 

●武道館の祝福と呪い

さて、路上ミュージシャンの宮崎奈穂子さんは、1万5,000人のサポーター(ファンクラブ会員)を集め、武道館での単独公演を成功させた。さすがに1万5,000人集客というわけにはいかなかったが、6,000人(主催者発表)は立派なものである。

「武道館に立った」ということで、知名度も多少は上がり、取材も増えた。どこに行っても大きな顔ができる。相変わらずスタッフと間違えられているような気もするけど、それなりのステータスができただろう。

私自身、友人に「路上ミュージシャンのライブに行く」と言っても「ふん」と言われただけだが「武道館アーティスト」と言えば「へえ」くらいに格上げされた。10月に行なった出版記念パーティも「武道館に立った人を呼んだ」と聞いて驚いた人も多かった。こうした効果も「祝福」の一種と言っていいだろう。

しかし、祝福の裏には呪いがある。

宮崎奈穂子さんをゲストに呼んだからといって、イベントがすぐに満員になるわけではないし、CDの売り上げがインディーズチャートに入るわけでもない。

私が一番気に入っているCD「歌・こよみ365 Women~夢に歌えば~」はAmazon.co.jpでの売り上げが音楽ジャンルで約20万位。宮崎奈穂子さんの販売チャネルは、手売りを含む直販が主流であることを差し引いても、メジャーとは言い難い順位である。

そもそも宮崎奈穂子さんは、一声かけて数百人集めるような活動スタイルではなく、個人と個人の付き合いをつなげてファンの輪を広げていく人なので、一般的な武道館アーティストとは違う。

2012年の武道館公演の翌日、新宿駅アルタ前で握手会が開催された。「武道館ではファンのみんなと話ができなかったから」ということで、物販もない純粋な握手会だった。見ていると、相当数の方の名前と顔を覚えていらっしゃることに驚く。

2012年11月3日(土)の握手会
▲2012年11月3日(土)の握手会

そういうスタイルだから、自分の夢であったものの「武道館アーティスト」と呼ばれることに悩むことも多かったのではないかと想像する。

 

●武道館の呪いを解く

そこに、今回開催された渋谷AXでのソロライブである。武道館より狭いとはいえ、1階席の定員は着席で570、かなり大きなライブハウスだ(2Fはスポンサーの招待者席だった模様)。見渡したところ、1階席はほぼ満席だった。

AXでは、武道館ライブが再現された。路上を模したセットに、路上機材を乗せたカートとともに入場し、セッティング。そして、舞台に設置された自販機で水を買ってスタート。違うのは、武道館では舞台上手の客席から階段を上ったのに対して、AXでは舞台下手の袖から登場したくらい。

テープやシャボン玉などの派手な演出はないものの、多くの演出は同じで、演目も同じ。MCまでほぼ同じだった。「サヨナラパスポート」の歌詞も間違えず、「Birthday Eve」の間奏からの歌い出しも正確で、完成度は上がっているが、その分意外性に乏しく、古いファンからは、さすがに「やり過ぎ」との声もあった。

私も、ちょっとやり過ぎだと思ったが、まあ、こういうのもいいかな、とあまり否定的には考えていない。

実は私、宮崎奈穂子さんのソロライブは武道館が初めてで、その後はイベントや複数人が交代でのライブしか行っていない。2時間のソロライブは十分楽しめたし、満足している。

何より大事なことは、同じ演目・演出は、宮崎奈穂子が武道館の呪いから解放されるために必要な儀式だった(かもしれない)ということだ。

ヨーロッパの昔話に「呪い」から解放されるために「同じことをもう一度する」という方法があるらしい。村上春樹の短編「パン屋再襲撃」はこれを踏襲しているのだろう。

武道館でのライブは、途中にイベントコーナーがあったりしたので実質90分くらいだったと思う。AXも、武道館でのアンコール曲「路上から武道館2」までで約90分だった。

 

●第2部の意味

そして、長いアンコールというか第2部が約30分、全曲「歌・こよみ365」から披露された。

最初は、「歌・こよみ365」のテーマ曲「夢に歌えば」。この曲につていは以前にも紹介したので、もう十分だろう。

宮崎奈穂子さんの新企画「歌・こよみ365」
完成度の高い歌詞―『夢に歌えば』宮崎奈穂子

2曲目が、意外なところで「手」。この曲には「路上ライブで出会ってくださったすべての方たちに贈る歌」という見出しが付いている。

前半は、実際にあったエピソードを綴り、最後にこう結ぶ。

どこかでまた出逢えますように 必ずまた出逢えますように
そしてあなたのおかげで 今も歌えていることの
「ありがとう」を伝えられますように

CDを買ってもらうでもなく、ライブに来もらうでもなく、ただ「ありがとう」を使えるためというのが彼女らしい。

3曲目が、こちらも以下のブログエントリで紹介した北海道米の歌「ななつの星に願いを込めて」。ネガティブな歌詞をドラマチックに歌っている。

北海道で米を作ることと、路上から武道館へ行くこと

そして、女子レスリングの吉田沙保里選手との縁をつないでくれた旅館の歌「七沢荘」(この曲のみ初出)、看護学生の話に感銘を受けて作った「がんばる勇気」。「がんばる勇気」は、看護学生にかかわらず、がんばる若者に向けたいい曲に仕上がっている。最後が、日産GT-Rチームに向けた歌「生きる力」。これも感動的な曲である。

第2部は、30分と短かったが、曲の背景にあるドラマ、演奏中にバックスクリーンに投影されるエピソードは効果的で、これだけで半分以上の価値があった。

1曲に込められたドラマを演じることが、宮崎奈穂子さんのこれからの活動になるのだろう。あまり見ないスタイルなので、マーケティング的にも良い方法だと思う。

 

●新たなる旅立ち

最後に、宮崎奈穂子さんの決意表明。具体的な話が出なかったのは残念だが、ビジネスのことだから、まだ言えないこともあるのだろう。

演出から考えて、もう少し具体的な話をする予定が、急に言えなくなったのかもしれない。そう考える理由は3つある。

第1に、第2部で服装が替わったことである。具体的には、スカートがビジネス風から、ちょっとカジュアルになったこと。そしてポシェットをかけていなかったことである。

仕事の歌が多いからだろうか、武道館の年からメガネを常用し、ビジネススタイルで路上ライブを行なっていたのが、第2部で少しカジュアルになった。

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▲第1部衣装: 武道館も路上も講演会も全部こんな感じ

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▲第2部衣装: 肩からカバンをかけていないのと、スカートのデザインに注目

「肩から何かかけていないとバランスを崩して歩けないのではないか」と言われているくらい、トレードマークの袈裟懸けカバンがない。武道館でもかけていたのに、なくなっているのはかなり衝撃的だった。

実は、袈裟懸けカバンは路上ライブで現金を扱うのに必須のスタイルである。1人で対応するから、ちょっと目を離している隙に現金を持ち逃げされることがあるからだ。

第2に「路上から武道館へ」を越える曲を作るという決意表明。この曲も、ある種の祝福と呪いがかかっている。あまりにストレートな歌詞が共感を呼ぶが、音楽的には不満の残る曲のようだ。「こんな歌、出していいのかな」と公開を迷ったことが著書で紹介されている。もしかしたら、作曲が宮崎奈穂子本人ではないというのもあるかもしれない。

さらに、ライブ前、宮崎奈穂子さんがブログ記事「【大切なお知らせです。】11/23SHIBUYA-AXワンマンライブについて」で表明されていた以下のような決意。

今、ありがたいことに環境が変化し始めていて、
私は前に進みたい、進みたいと思いながら、
変化を恐れていたのかもしれない、と気づきました。

第3に「私の原点」発言。武道館ではアンコールのあと「私の原点である路上ライブ」と発言されていたが、今回は単に「原点」である。

では、宮崎奈穂子さんの原点はなんだろう。

想像するに、それは「路上ライブ」という形式じゃなくて、高校の文化祭でクラスメイトに「良かったよ」と言われたことだったり、見知らぬ誰かが彼女を見つけて「いい歌だ」と言ったことだったりするのではないだろうか(いずれも著書「路上シンガー宮崎奈穂子」で紹介されている。本書については「【読書日記】路上シンガー宮崎奈穂子」を参照して欲しい)。

「私の原点」が、具体的に何を意味するかは分からないが、いずれにしてもファンとしては今後の活躍を楽しみにしたい。

 

●おわりに

ここまで読んだら、「もしかしたら路上ライブ撤退か」と思った人もいるだろう。正直言って、私もそう思った。

しかし、講演直後のサイン会で、私の前に並んでいた人に対して「歌・こよみのレコーディングが終わったら路上もやりますよ」「いや、終わらなくても、ちょっとした時間を見つけてやるかも」と言っていたので、路上ライブ全面撤退ということではないようだ。

だいたいにおいて、このブログは考えすぎるところがあって、事実はもっと単純なことなのかもしれない。

そして、1月には東名阪ソロライブツアーが発表された。東京は、キャパ数十人(着席だと20人から30人くらいだと思う)の会場で、名古屋や大阪も同じくらいのようである。

1万人を越える武道館から、1,000人規模の渋谷AX、そして100名以下のライブハウスと、何か順番が変だが、それもまた面白い。

最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。これからも、どうか宮崎奈穂子をよろしくお願いします。

2015年4月2日木曜日

鎧 (358/365)

自分のしていることに、どんな意味があるのだろうと自問する歌です。

ぐんぐん過ぎていく毎日に
負けないようにしがみついてたけど
気づいたら 重たい鎧(よろい)をまとっていて
立ち上がれなくなっちゃんったんだ

というのがタイトルの由来です。

自分を守るための「ポーズ」や「演出」というのはもちろん必要なことですが、それが逆に自分に対する制約になってしまっては意味がありません。

少年ジャンプの連載マンガでアニメにもなった「キン肉マン」では「ロビンマスクの鎧は、強力すぎる力をセーブするための拘束具」という言葉も登場します。同じく少年ジャンプに連載されていた「幽遊白書」に登場する武威(ぶい)も「強力な闘気を抑えるために鎧を装着している」となっています。また、アニメ「エヴァンゲリヲン」では、「エヴァの全身を覆っているのは装甲板ではなく、拘束具なの」という台詞があります。マンガやアニメではよく使われる表現です。

緊張を隠すために饒舌になる人や、弱さを隠すために強がる人がいます。それは自然な反応ですが、最初に強がって見せたために、弱さを出せないと悩んでしまうと、自分自身が苦しくなります。

自分の行動は自分で決められるし、いつでも変えられるものなので、気楽に対応したいものです。

「ぐんぐん」の歌詞に乗せられたメロディは、はなかなか効果的で美しいものに仕上がっています。何度も聞いていました。

2015年4月1日水曜日

生きる目的 (357/365)

家族のことを思う曲です。家族こそが「生きる目的」と歌います。

お子さんがまだ小さいのでしょうか。「小さな命」と表現しています。

大切な 小さな 命のぬくもり

というメロディには、伸びがあってとてもいい曲に仕上がっています。

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2015年3月31日火曜日

夢うつつ (356/365)

午前2時を回って終わらない宿題を前に、どうしようか考える歌です。

学生時代は、レポートを出したら終わり、みたいなところがあったので、私もよく明け方まで起きていました。完全に徹夜すると、翌日まったく使い物にならないので、3時間くらいは寝ましたが。

だいたい、「オールナイトニッポン」(午前1時から3時)か、「パックインミュージック」(零時半から3時)を聞いているうちに終わるんですが、ときどき終わらずに「歌うヘッドライト」(3時から5時まで)にずれ込むことがありました。

最後はこうです。

もうちょっと って言いながら 眠りに落ちる

というか、結局、寝落ちしているようです。残念でした。

2015年3月30日月曜日

負けるもんか (355/365)

仕事をしていたら、いろいろ失敗したり、壁にぶつかったりします。でも「負けるもんか」という歌です。

2フレーズ目にこんな言葉があります。

悔しいとか悲しいとか
やるせないとかそんな気持ち
頑張っていたら誰だって
ぶつかるもの でも必要なもの

困ったとき、「自分だけがなぜ」とつい思ってしまいますが、実際には誰だってあるわけです。この曲のいいところは「でも(壁は)必要」というところでしょう。

他にも

積み重ねるんだ こればバネなんだ

という言葉もあります。

実際に、壁にぶつかったとき、なかなかそうは思えないのですが、実際そうなんだろうと思います。

「神様は越えられない試練を与えない」とか「幸せとは、乗り越えられた不幸のこと」とか「より高くジャンプするには、より低くしゃがまないといけない」とか、昔からいろんな言葉があります。

宮崎奈穂子さんの別の作品に「壁と僕」という曲があります(『路上から武道館へ〜Birthday Eve〜』収録)。この曲にも

壁は乗り越えるんじゃなくて 僕を強くするもの

という歌詞があります。これも同じことですね。

もっとも、本当に困っているときは、そういうことはなかなか思えないのが本当のところですが。

2015年3月29日日曜日

「次いってみよう」(354/365)

いけると思った企画書がまったく評価されなかったとき、「才能ないのかな」とか、くさっていてもしょうがない。そういうときに気分を切り換える魔法の言葉が「次いってみよう」です。

私が「次いってみよう」を初めて聞いたのは、ドリフターズのテレビ番組「8時だョ!全員集合」で、1つのコントが終わり、次のコントに移るときに、いかりや長介が言っていた台詞です。ドリフターズのコントは、だいたいドタバタで終わるので、「それまでのことを忘れて、次の話題に切り換える」という印象が強く残っています。

その後は、高校時代に読んだ庄司薫の小説「赤頭巾ちゃん気を付けて」(1969年出版なので、年代的にはこちらの方が先かもしれません)、あるいは同じ著者の長編評論「狼なんか怖くない」のどちらかに、「嫌なことがあっても、それはそれ、『次いってみよう』とやり過ごす」という意味のことが書いてあったと記憶しています。

特に印象に残っているのは後者の方で、どんな深刻なことも「次いってみよう」で切り換えることができるものなんだと思うようになりました。

この2つの使い方から、何があってもそれはそれ、反省はするけど引きずらす「次いってみよう」と思うようにしています。

歌詞にもあるように、「次いってみよう」は魔法の言葉でです。なかったことにするわけではありませんし、反省しないわけではありませんが、必要以上に考えても仕方がないこともあります。それよりも、次にやるべきことをやる、それが大事です。

この歌は、おそらく誰かの応募エピソードだと思うのですが、どういう経緯で「次いってみよう」と思うようになったのでしょうか。ちょっと気になります。


赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)

 
狼なんかこわくない (中公文庫)

2015年3月28日土曜日

結婚記念日おめでとう~お父さんとお母さんへ~ (353/365)

子供から、両親の結婚記念日をお祝いする歌です。

親の大切さというのは、大人になるまでなかなか分からないものです。一人暮らしを始めてありがたさに気付いたのはまだ早い方で、子供が生まれるまで、あるいは子供が大きくなるまで気付かない人もたくさんいます。

この歌の方は、社会人生活にやっと慣れた頃のようです。おそらくは、就職と同時に一人暮らしを始めたのでしょうか。

ところで、結婚記念日といえば、私の両親にはちょっと面白い話があります。

父のプロポーズの言葉は「皇太子さん(現在の天皇)も結婚しゃはることやし、わしらも結婚しょうか」だったそうです。平民出身で、しかも自由恋愛の結果の皇太子妃ということで、世の中は「ミッチー(美智子様)ブーム」で盛り上がっていたとか。1959年の結婚式前にはテレビの売り上げも急増したそうです。

そして25年後、皇太子夫妻銀婚式のニュースを見た母が「ええ、去年と違うの?」と驚きました。前年が銀婚式だと思った両親は、2人で(子供たちにも言わず)食事をしたそうです。1年間違えるというのはよくある話ですが、2人そろって間違えるのは珍しいと思います。

個人的な話で失礼しました。

2015年3月27日金曜日

このまんまじゃ (352/365)

自分ではがんばってるつもりなのに、結果がついてこないのでしょうか。このまんまじゃ自分自身を嫌いになりそう、という歌です。

なんでも後回し 言い訳ばっかり
いつも誰かを 横目で眺めて

と言いますが、たぶん、それは「やらなくていいこと」だからじゃないでしょうか。

いくら面倒でも、風呂には入るし、髭も剃ります(ほとんどの男性は)。

マイクロソフトの共同創業者ビル・ゲイツは、若い頃は風呂に入らないので有名だったそうです。当時、秘書を兼ねていたおばちゃんは風呂に入るように説得するのに苦労したそうです。広報担当者は

ビル・ゲイツは風呂が嫌いなわけじゃないんです、風呂よりも優先度の高い仕事があるだけなんです。

と言ったとか。

「エヴァンゲリオン」などのアニメ監督で有名な庵野秀明氏も、学生時代風呂に入らないので有名でした。彼も、「オレにはやることがあるので、余ってる時間などない。ゆえに風呂になど入らない」と言っていたとか。

この方は、たぶん週に何回かは風呂に入っていると思います。風呂に入れるなら「やらなくてはいけないことを後回しにする」人ではありません。

本当に必要な時期が来たら、正確には「本当に必要だと自分が認識したら」きっとやるべきことをやれるはず。

2015年3月26日木曜日

夢を見て夢を叶えて夢になる (351/365)

何があっても自分の目標を達成するために「誰でもできることを、誰もできなくらい積み重ねる」ことを続けた人の歌です。

ただ、このタイトル、ちょっと不思議な感じがします。

今の自分が、過去を振り返っているのですが、サビの部分はこんな感じです。

夢を見て 夢を叶えて 夢になる
あの日の自分に もし声をかけられるなら
そのまま迷わず進みなさい
ぜったいに大丈夫だからと 伝えたい

後半2行を変えながら、同じフレーズが何度か登場します。

つまり、この人は「夢を叶えた」ということになります。そうすると、ふつうは

夢を見て 夢に向かって 夢を叶えた

という感じになるはずです。それが、夢に向かう過程を飛ばして成功し、その後「夢になる」です。

「夢になる」のというのはどういう意味なんでしょう。「夢が実現する」ということなら、「夢を叶えて」と重複します。

もしかしたら、これは「自分の姿が次の世代の目標(夢)になる」ことかもしれません。

歌詞の最後はこうです。

夢を見て 夢を叶えて 夢になる
あの日の自分に そう かけたい言葉を

次の世代に 今日も届ける
あの日の自分に 聞こえるように

最後は「もし声をかけられるなら」ではなく「かけたい言葉」になり、対象が「次の世代」になっています。次の世代なら、これから声をかけられるので「もし」ではありません。

また、ここだけは「あの日の自分」が、過去の自分ではなく、過去の延長線上にある「現在の自分自身」を指すのではないかと思います。

宮崎奈穂子さんは、歌詞のエピソードやモチーフは教えてくれても、意味を教えてくれることはほとんどないのですが、そのうち何かの話題に出るかもしれません。その時を楽しみにしています。

2015年3月25日水曜日

これくらいの夢なら (350/365)

以前。宮崎奈穂子さんが「絵葉書/絵手紙」を募集していたことがあります。

みなさま^^絵手紙を募集しますっ*

この曲は、おそらくそれに応えて応募されたものでしょう。募集が8月8日、曲の歌い出しが「ある日届いた残暑見舞い」なので時期的にも合っています。

色鉛筆で丁寧にヨーロッパの町並みを描いた絵は、

夏休みに旅行に来たというていで
夢を膨らませて描いてくれたのでです

「これくらいの夢なら いつか必ず叶うはず」
さりげなく書かれたその一文に 強い芯を感じました

ということで、想像のようです。

お金さえあれば、ヨーロッパに旅行に行くのは自分の努力だけでできますが、プロの歌手になるにはお客さんが必要です。お客さんを増やす努力は自分でできますが、時給で働くアルバイトのように、「がんばった分だけ報われる」というわけにはいきません。

実際にはヨーロッパに旅行するだけのお金というのは決して安い金額ではありませんから「これくらい」と簡単に言えるものでもないのですが、きっと歌手になるよりは簡単でしょう。

ちょっと面白いのは、「遊ぶ時j間も惜しんで夢に向かって頑張っている楽しい毎日」ではあっても「お休みが欲しくないわけではなくて」というところです。

ときどき「好きでやってるんだから弱音を吐くな」みたいなことを言う人がいます。好きなことをしているので嫌ではないけど、きついときはあるし、休みたいときもあるでしょう。その気持ちがうまく出ていると思います。

そして「そんな私にとってもぴったりな1枚でした」と続きます。1枚の絵で休んだつもりになって(休んだていで)、次の仕事に向かうのでしょうか。

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2015年3月24日火曜日

しゅわしゅわ (349/365)

毎日の生活の中で、楽しくなったり悲しくなったり、いろんな気持ちがやってきます。それを、不安定と考えずに変化を楽しんでみよう、という歌なのかは分かりませんが

毎日いろんな気持ちとこんにちは

と表現します。

でも、嫌な気持ちはやっぱいr嫌なので「しゅわしゅわ」と、(泡のように)消してしまうのはどうするか。

にこにこ るんるん うきうき わくわく

になるために、「憧れのあの人」ならどうするかと自問します。

それは「大好きなあの人」のことを考えていれば、いつの間にか嫌な気持ちは消えてしまうでしょう。

どんな気持ちも私次第なので、自分の思いをイメージしたらわくわくすると結びます。

ところで、歌詞に出てくる「憧れのあの人」と「大好きなあの人」は同一人物なのでしょうか。別の人物でも筋は通りますが、おそらく同じ人だと思います。

宮崎奈穂子さんの歌詞は、フレーズごとに言い回しを少しずつ変えることが良くあります。同じことを指すのに、表現を変えながら繰り返します。この歌もそういう構造なのでしょう。

ところで「ルンルン」が、「気分が明るく陽気な様子」として使われうようになったのはいつ頃でしょう。

一般化したのは、林真理子デビュー作のエッセイ集「ルンルンを買ってお家に帰ろう」でしょう(1982年)。

1979年に放映されたテレビアニメ「花の子ルンルン」が初出だという説や、その前年(1978年)のアニメ「ペリーヌ物語」のオープニング主題歌が初出だという説もあります。

「花の子ルンルン」の原作者である神保史郎氏は「50音表を見て響きの良い言葉を選んだ」と言っているそうです(Wikipedia「花の子ルンルン」)。

ただし「花の子ルンルン」のドラマ内で「ルンルン」が気分を表すために使われたことはおそらくないはずです。主人公の名前が「ルンルン」なので紛らわしいからです。

また、1970年代終盤には「るん」という言葉が気分を表すためにさまざまな人に使われていたという指摘もあります。私も「るん!」の一言で浮き浮きした気分を表すカットを見たことがあります。もし、これが林真理子の著作や「花の子ルンルン」の影響だったら「ルンルン」になるはずです。

なお、1938年に草野心平が発表した詩「蛙のうた」に「るんるん」という言葉が使われているという指摘もあります。草野心平は、さまざまなオノマトペを多用することで知られているため、この「るんるん」が本当の初出かもしれません。


ルンルンを買っておうちに帰ろう (角川文庫 (6272))

2015年3月23日月曜日

描いてた大人になれたのかな (348/365)

子供の頃に描いていたような大人になれたかな、という歌です。具体的なことは書いていませんが、どういうイメージを持っていたのでしょうか。

背はあんまり伸びなかったけど
格好だけは まあまあ大人になった

というフレーズが印象的です。

もう、だいたい15歳くらいから変わるのは格好くらいで、中身はそんなに変わらないように思います。できることは増えるし、考えも深くなりますが、基本的な性格はほとんど変わらないですね。

大人と子供の違いはいろいろあるでしょうが、一番大きいのは

「自分のことだけを考えているのが子供」
「他人のために働くのが大人」

じゃないかと思います。

思っていた大人とは違うかもしれませんが、毎日仕事をして、お客さんに何かを提供していれば、それは立派な大人だと思います。

2015年3月22日日曜日

「ふれる」ことって (347/365)

夕方の駅前で、スーツの男性が赤ちゃんをだっこしていたそうです。保育園のお迎えでしょうか。スーツで赤ちゃんをだっこするのはなかなか勇気がいりますが(よだれで汚す)、見ている分には微笑ましい光景です。

この曲は、その後「赤ちゃん」ではなく「だっこ」に焦点が置かれ、触れて体温を感じることの大事さを歌います。

言葉よりも大事なこと(触れることを示しているのでしょう)を大事にしたいという歌です。

そういえば、日本には挨拶として人の身体に触れる習慣がありません。それどころか、目も合わせない。宮崎奈穂子さんの初期の楽曲「Hand Hag」では「抱き合うのは日本人には無理だから、せめて両手で握手」という歌詞が出てきます。

でも、握手は本来日本の習慣ではありません。握手しながら、ついお辞儀して(視線をはずして)格好悪い気分を味わった人も多いと思います。

ヨーロッパでは、親しい間だとハグや頬をすり寄せたりしますが、日本だとセクハラレベルです(挨拶としては同性でも行います)。

でも、問題ない間柄なら、身体を触れあって体温を感じるのもいいかもしれませんね。

ああ「ふれる」ことって とっても素敵
体温ってきっと 人を包むためにあるんだ

と歌詞が続き、最後にもう一度お父さんの話で終わります。

ちなみに、コラムを書くとき、冒頭のエピソードをもう一度最後に持ってくると収まりがいいそうです。この曲もそういう構造になっています。

2015年3月21日土曜日

ちぐはぐ (346/365)

心はがんばっているのに、身体がついてこない、「頭と心」や「言葉と心」が「ちぐはぐ」な感じを歌います。

なんて情けない顔してるんだろう 鏡を見てびっくりした
情けなくてしょうがない ひとり ひどい顔

という歌い出しです。そういう話はときどき聞きます。自分でどれだけ疲れているか分からないことがあるようです。

最後は

どっちがどっちなんだか わからないまま

ということで、結論はありませんが、元気を出して欲しいですね。

こういう状態が続くと、確実に身体を壊すので、身体か心のどちらか(または両方)を休めるようにしてください。

2015年3月20日金曜日

お父さんの歌 (345/365)

珍しくお父さんの歌です。

どうやら、自分の父親という意味ではなくて、自分の子供にとっての父親、つまり家族の象徴としての「お父さん」のようです。

昔は、働くことが嫌だったそうですが、家族のためと思えば

こんなにも前のめりで仕事に打ち込む今の自分

になれるということです。

「いってきます」「いってらっしゃい」

「ありがとう」「ごめんなさい」

こういう言葉を毎日交わせる家庭が、幸せな家庭だと思います。

ところで、タイトルは「お父さんの歌」ですが、実際のところ、「自分」が男性なのか女性なのか分かりませんし、子供がいるのかいないのかも分かりません。

自分が女性なら「お父さん」は自分のことですし、女性なら夫のことです。子供はいるようですが、まれに子供がいなくても「お父さん」と呼ぶ人もいるようです。

自分が子供だというのはちょっと考えにくいのですが、可能性がゼロとも言えません。

家族のことを歌っているのに、家族に対する呼びかけが「いってきます」「いってらっしゃい」「ありがとう」「ごめんなさい」しかありません。

家族のことを大事に思っているのに、具体的な言葉が出ないというのは、男性によくいるタイプなので、やはりこの方は男性なのでしょうか。

この歌をきっかけに、もう少し具体的な言葉が出てくればいいですね。

2015年3月19日木曜日

ストレイト (344/365)

どの業界なのでしょう

憧れていた世界 飛び込んだら
想像してたより つらいこともあって
ちょっとひるんでいるところです

どんな業界でも、外から見たのと違う部分があるでしょう。それでも逃げず「ストレイト」に進むんだ、という歌です。

力強い決意表明に、ちょっと申し訳ないんですが、

逆走でも 止まっちゃうよりずっといい

という歌詞を聞くと、つい思い出してしまいます。宮崎奈穂子さんが電車を間違えるところを。

どんなツイートより、電車の方向を間違えたときの反応が一番大きい」というのは本人の弁です。

たとえばこんな感じです。

東京マラソンに向けての練習帰りだったのでしょうか。

これは乗り過ごしですが、Facebookでは「逆の電車に乗ったので、開始時間を遅らせます」という伝言もしばしばあります。

単に「遅れます」でいいと思うのですが、「逆走で」と書いてしまうのが面白いところです。

2015年3月18日水曜日

どうしてこうなんだろう? (343/365)

伝えたいことがあるのに、うまく伝えられない女の子の歌です。

どうしてこうなんだろう?
こんな私変えたいんだよ
でも本当は こんな私のまま
受け入れられたら …だめかな…

と、最後はこんな風に終わります。

人間は社会生活を行う動物であり、種としての生存戦略は「みんなで助け合う」です。かつての身分制度などは、「みんなで助け合う」ようには見えませんが、実は同じ階層内では平等性が高く、身分制度は「価値の上下」ではなく「社会役割の違い」という説もあります。

もちろん、現代社会では「自分の意志に反した社会的役割の強制」は「差別」と考えられており、「良くないこと」とされています。たとえば、よく知られているように「女性差別撤廃条約」は「一切の差別と区別を禁止」とうたわれています。本人の意志に反する場合は、たとえ「区別」であっても「差別」と同じく、「良くないこと」と考えるのが国際社会の常識です。

一方、社会の中で、自分が承認されることは、「他の誰でもない自分自身の存在」をアピールすることになり、社会の中で生存できる可能性が高まります。

つまり人間にとっての「承認欲求」は、生きることと同じくらい大事な意味を持ちます。ですから、承認欲求を否定することはないのですが、度を超えてしまうと自分が生きにくくなります。

実際のところ、みんながみんな他の人に分かってもらえている(承認されている)わけではありません。

クラスの人気者であっても、多くの人は表面的な部分しか見ておらず、その人の内面を評価しているわけではありません。むしろ、人気のある人ほど自分を見てもらえないくらいです。

テレビに出てくるタレントは、売れていればいるほど「あの人はこういう人だ」というイメージが強くなると思います。でも、実際に会って話した人はあまりいません。みんなバラエティ番組での対応や、ブログの内容から勝手に評価しているだけです。

「分かって欲しい」というのは、本当はとても贅沢な欲求です。「他の人も、自分のことを分かってもらっていないから、自分だけが、自分を分かって欲しいと思うのは贅沢だ」と思えば、少しは気が楽になりませんか。

それともう1つ。多くの恋愛は
あなたをもっと知りたいの(あなたが分からない)
からスタートして
あなたってそんな人だったのね(あなたのことが分かった)
で終わります。

もちろん、そこで「分かった」と思うのは勘違いなんですが、「分かった」と思われてしまった時点で終局を迎えるというのは面白い現象です。

そういうわけで「分かってもらう」ことにこだわらない方が楽なんじゃないかと思います。それよりも、「何かの役に立つ」ことで関係を保った方が、結果的に自分のこと(ある一面ですが)を知ってもらえるような気がします。

2015年3月17日火曜日

「がんばってるね」 (342/365)

自分が立てた目標に向けて、自分で決めた行動をやっているだけであっても、「がんばってるね」と言われたらうれしいという歌です。

「大事なのは結果」「人にほめて欲しいなんて子供」そう思っていたけど、過程を認めてもらったら素直にうれしいと歌います。

しかし、承認欲求というのは死ぬまであるものです。むしろ、歳とともに大きくなるかもしれません。

また、「結果が大事」と言いますが、実際に人の心を動かすのは「過程」です。お金が入るのは「結果」に対してですが、似たような「結果」であれば「過程」を重視する人はたくさんいます。

「モーニング娘。」の人気は、オーディションからデビューまでのドラマを描いたからだという説があります。

かつてのNHKドキュメンタリー番組「プロジェクトX」も、プロジェクトの持つドラマ性のために高い視聴率を達成しました。

いずれも、ドラマとしての過程と、結果の両方がそろっているから高く評価されたとされています。

ただ、人が評価されてうれしいのは、どうやら過程のようです。

「も」(239/365)』や『カタクナじゃなくて、やわらかく。(251/365)』も参照してみてください。

2015年3月16日月曜日

ひとつのケーキ (341/365)

1軒のケーキ屋さんが始めた「夢ケーキ」についての曲です。

公式サイトでは、夢ケーキのコンセプトをこう紹介しています(夢ケーキってどんなことをするの?)。

夢ケーキ、それは子供達に自分の持っている夢の絵を描いてもらい、その子供達の夢の絵をパティシエ達が本物のケーキにして子供たちにプレゼントするイベントです。

  1. お子様に、お父さんやお母さんと一緒に家族で夢について語り合ってもらい、その夢を絵に描いてもらいます。
    (将来の夢やビジョンのイメージ化、明確化、共有化)
  2. その絵をお預かりした菓子屋(パティシエ)がその絵を忠実にケーキとして再現します。
    (菓子屋で働く人の技術の向上、働く意義の組織浸透化)
  3. そのケーキをご家族にプレゼントします。
    (夢が形になることの可視化、さらなる家族団欒の提供)。

宮崎奈穂子さんが主題歌を歌う「神戸在住」(映画およびテレビドラマ)では「しんどいときには甘い物」という意味の台詞が登場します。特にケーキは、その豪華さもあって特別な効果があるように思います。「ケーキに夢を描く」というのは楽しい企画だと思います。

「夢ケーキ」と宮崎奈穂子さんとの出会いは、どうやらラジオ番組のようです。

2012年10月30日、武道館コンサートを控えた宮崎奈穂子さんが「ドリプラジオ」という番組に出演します。

ドリプラジオ」は、未来の世界を変える人たちを紹介し、夢に向かって頑張っている人たちを応援する番組で、宮崎奈穂子さんは「武道館を満席にする夢」というテーマで出演されました(10月30日のほっとけNIGHT!ドリプラジオは宮崎奈穂子さんです。)。

それに先立つ10月2日に、清水慎一さんというパテシエの方が出演されました(10月2日のほっとけNIGHT!ドリプラジオは清水慎一さんです。)。

清水さんが始められた「夢ケーキ」は、現在「NPO法人ドリームケーキプロジェクト」として、多くの活動をしていらっしゃるようです。

Webサイトの最終更新は、2012年10月で止まってるようですが、Facebookページ(夢ケーキドリームケーキプロジェクト)には2015年のイベントも掲載されています。

ブログが登場してから、公式Webサイトの更新がなおざりになっているところが増えました。Facebookはブログよりもさらに簡単なため、ブログの更新が滞りがちです。

専任の担当者を置けない組織では仕方ないことですが、せめて「日々の更新はFacebookに移行しています」くらいはあった方がいいかもしれませんね。


世界夢ケーキ宣言!

2015年3月15日日曜日

家族~Wedding Song~ (340/365)

結婚式の曲にしては、ちょっと変わった感じです。

おじいちゃんを越える経営者になるんだ

という歌い出しなので、創業3代目なのでしょうか。あるいは、もっと長く続いている会社だけど、知っている中で最高の経営者がおじいちゃんなのでしょうか。いずれにしてもお父さんの仕事は何でしょう。同じ会社だとしたら、立場がないですね。

徳川家も、江戸幕府初代将軍家康と、3代将軍家光にはさまれて、秀忠の影は薄いようです。何しろ名前からしてちょっと変わっています(豊臣秀吉に養子に出されたためです)。

2代目は、初代が現役の状態で仕事を引き継ぎますから、何かとやりにくかと思いますが、実際には初代の方向を正し、次世代につなぐ大事な役目を担います。

徳川秀忠も、大きな業績がないように思われていますが、実際には公家諸法度や武家諸法度を制定し、江戸幕府の基盤を作りました。

話を戻しましょう。

結婚式の歌ですから、もちろん両親のことも登場します。全体に「家族の絆」を強く歌った曲になっています。

同族経営の会社の場合、家族の絆というのは対外的に非常に重要であり、2代目や3代目の結婚式も盛大になる傾向にあります。この曲は、そういうお披露目の会を歌ったのでしょうか。

ちなみに、私の同級生が家業を継ぐために退職し、直後に行われた結婚披露宴は、同業者はもちろん、商工会議所や議員など多くの人が出席し、我々同級生は死乗る新婦の姿もはっきり分からない後方の席でした。まだまだバブルのなごりがあった頃ですが、それにしても盛大な披露宴だったことを覚えています。

2015年3月14日土曜日

大事なのは未来のあなたが笑ってること (339/365)

就職活動をサポートする場「就トモCafe」の歌です。就トモCafeについては、宮崎奈穂子さんのブログ記事「「路上から武道館へ」が「就トモcafe」テーマソングに!!」をご覧ください。

また、2012年9月28日にはこんなイベントもあったようです。
[イベントレポート]総勢70名以上の学生&社会人が参加したバリスタ主催の初企画!バリスタバー@就トモCafe

就職活動については、いろいろ言いたいことがあるのでいつもと文体を変えてお届けします。


就職活動に頑張っている方の努力には敬服するが、昨今の就職活動は少々異常である。

大学生の本分は学業であり、その集大成が卒業論文である。通常、卒業論文は4年生の4月にテーマを決め、夏から秋にかけてデータの分析や考察を行い、12月から1月にまとめるものである。

ところが、最近の就職活動は3年生の1月頃からスタートし、4年生の春には終わっている。卒業論文のテーマも決まっていないのに、卒業後のスケジュールが決まるわけだ。

これから担当するプロジェクトがスタートしたばかりで、詳細が決まっていない状態の時、その次のプロジェクトの調整に忙しくしているメンバーがいたら、他の人はどう思うだろう。「今の仕事にやる気がない」と思われても仕方がない。今の仕事に全力で打ち込めないような人を、企業は本当に欲しいのだろうか。

私が4年生の頃は、4年生の4月以前に会社にコンタクトをすると「ルールを守れない奴」ということで無条件に落とす会社もあった。しかも、学校の就職課にクレームが入り、最悪の場合は、その年にその学校からは一切採用しない可能性すらあった。

もっとも、当時の就職協定は夏に就職活動解禁だったのに、実際の活動はゴールデンウィーク明けから行われていたわけだし、4月から会社訪問を受け入れている会社もあった。つまり、ルールはルールでも「暗黙のルール」だった。

就職協定は1953年に開始し、廃止と復活を繰り返している。1986年から1996年まで続いた協定は「8月20日会社訪問解禁、11月1日内定解禁」だった。実際には早いところで4月、通常は5月から6月に会社訪問を行い、8月には内々定が出ていた。

「4月にコンタクトしたら失格」としていた企業も夏休みには内々定を出しており、「ルール違反者は不要」という言葉に説得力はない。

こうした実情を見て、経団連が「どうせ守れないルールなのだから、就職協定を廃止する」と言い出した。就職活動が長期化したのはこの頃からである。

さすがに問題が出てきたのか、2016年卒業者からは、経団連の申し合わせで「会社説明会解禁は3年生の3月、選考活動は4年生の8月、内定は10月」となった(採用選考に関する指針)。これは1980年代の実態に近いスケジュールであり、現実的だと思われる。

しかし、本当にこれで落ち着くだろうか。

どんなものでも「行き過ぎて役に立たなくなったら末期の証拠」という説がある。

アンモナイトは、絶滅直前になって殻が異常な巻き方になった。これは「進化末期の奇形」と考えられていた(現在は異説もある)。

江戸末期、武士社会の終盤に登場した「新撰組」の大半は武士階級出身ではなかったが、武士以上に武士にこだわり厳しい規則で縛った。違反者は粛正されることもあり、どのみち自滅したという見方もある(ちょうど1970年代の過激派「連合赤軍」の末期のようなものである)。

厳しい就職活動も、間もなく「新卒で会社に就職する」というスタイルが終了する前兆だと考える人もいる。そもそも、大学を出てすぐに会社に正規雇用されるスタイルは1960年代以降にできたもので、それ以前は違った。多くは指導教授の口利きで入社したり、インターンとして採用されたあと正社員になったりした。全員が4月入社というわけでもなかった。

この曲「大事なのは未来のあなたが笑ってること」では、就職活動で大事なことは就職そのものよりも、就職活動を通して「自分が働くこと」の意味をしっかり理解することが大事だと歌う。

別に、就職活動に異議を唱えるわけでも、社会のあり方を憂うわけでもなく、純粋にそう考えているのだと思うが、必ずしも「就職活動=就職準備」ではないとしているところが面白い。

前述の通り、そもそも「新卒で就職」というスタイル自体が消滅するという説もある。おそらく、今後は「インターン(訓練生)」という形で仕事を始めることになるだろう。

インターンが、「在学中のアルバイト」として行われるのか、卒業後の「就職浪人のアルバイト」になるのかは分からないが、戦前の日本や他国の状況を考えると、両方だろう。年輩の優秀なエンジニアの略歴を見ると、どちらのパターンも同じくらいあることが分かる。

そういうわけで、過去の状況や現在の経済事情を考えると「新卒就職」という道にこだわる必要はないし、コネに頼るのもまったく悪くない。就職活動は、自分を見つめるためにした方がいいが、就職できなくても悲観する必要はまったくないのである。

就職活動については「書評『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』(岡田斗司夫FREEex)」でも取り上げたので、興味のある方はご覧いただければ幸いである。


僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない (PHP新書)

2015年3月13日金曜日

理由 (338/365)

損得なしに付き合える人、というより人生の先輩のような感じの方を歌った曲です。

人が成長するときは、さまざまな人の助けを借ります。仕事上の指導者はもちろん、仕事を離れた先輩、ときには後輩からも助けてもらいます。

行き詰まったときは、仕事上の付き合いがない人の方が、新鮮な発見があったり、素直にアドバイスを聞けたりするのかもしれません。

「路上から武道館へ」では

今こうして 目の前にいるあなたのことも
さよならしてすれ違っていった人たちも
みんな 私を作ってる

と歌います。

もちろん、それはその通りなのですが、大きな影響を与える人はもっと身近な人でしょう。

この曲は、自分が今の場所にいるのは、励ましてくれたり、見守ってくれたりした「あなた」のおかげとしています。

タイトルの「理由」という言葉は歌詞に出てきませんが、「私が今ここにいる理由」ということなのでしょう。

▲武道館ライブの直前に出た朝日新聞の記事のデジタル版に含まれた動画

2015年3月12日木曜日

思いの力 明るさの力 (337/365)

人ひとりの力は小さいから何の意味もないと思っていたけど、自ら行動する人に出会って考えが変わってきたそうです。

行動には、言葉では説明できない力があります。

そんな歌です。

逆に、どんなに言葉が豊かでも行動が伴わない場合は信用されません。でも、行動だけでは伝われないこともあるので、言葉もやはり重要です。

結局、両方大事だということですね。

2015年3月11日水曜日

がんばり屋さんのひと休み (336/365)

「歌・こよみ365完全版」のみに含まれている曲がライブなどで披露されることはそれほど多くありません。

この曲は、2014年6月14日(土)に恵比寿リキッドルームで行われたソロライブで披露されています。このライブのタイトルが「NatuRaL~がんばり屋さんのひとやすみ~」でした。簡単なレポートが「宮崎奈穂子さんワンマンライブ(恵比寿リキッドルーム)」にあります。

宮崎奈穂子さんご本人のブログは「6/14(土)ワンマンのお知らせ^^(当日のグッズ&撮影&行き方について)」などをご覧ください。

単に歌うだけでなく、ライブのテーマになっているくらいですから、曲に対する入れ込みようが分かります。

休みは休みでも「がんばり屋さんの」がポイントなんでしょうね。

ところで、手元のメモではライブで「がんばり屋さんのひとやすみ」を歌ったことになっているのですが(ワンマンライブ@初リキッドルーム、ありがとうございました*)、宮崎奈穂子さん発表のセットリストは「がんばらない日」になっています。かなり前なので確かめようもないのですが、本人が間違えるとは思えないので、私が間違えたのでしょう。どちらの曲も知っているのですが、頭の中でタイトルが変換されてしまったみたいです。

「がんばり屋さんのひと休み」は、開演前にかかっていたと思うので、どこかで記憶が混じったのでしょう。

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▲恵比寿リキッドルーム

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▲恵比寿リキッドルームでのライブに贈られたお花

2015年3月10日火曜日

100% (335/365)

「なりたい自分」になるため、100%力を出し切ろうという歌です。

自分に対して、チャレンジを要求していますが、一方で「自分を大切にしよう」ということも呼びかけています。

ここに

「愛」って本当は動詞だったんだね

という歌詞が登場します。

愛 (333/365)」には「愛は行動」という台詞がありますが、それと呼応するようです。

アップテンポで、元気のいい曲です。

2015年3月9日月曜日

「好きなことを仕事にする」(334/365)

「好きなことを仕事にする」は賛否両論ですが、少なくとも嫌いなことを仕事にするのはおすすめしません。

一般には「できることを仕事にする」と言います。できることをしているだけで、人から感謝され、さらにできるようになり、そのうち好きになる、という好循環があるからです。

好きなことからスタートしても、それがお客さんの求めているものではない場合があるので、失敗することが多いそうです。

もっとも、私は「好きなことを仕事にする」賛成派です。「一番好き」でなくてもいいんですが、「好き」と言える仕事でないと打ち込めないと思います。

歌にもありますが、やってみたいことは何でもやってみたらいいと思います。「こんな仕事は無理だろう」と思っていても、案外成立したりします。

たとえば、「じゃあどうしようか? (70/365)」でも紹介したデザイナーシンガーMOBACO.さんは、ステージ衣装を主に作って、たまに自分も歌っています。

最近は、アイドルユニットが数多く出ていますが、アイドルが着るような衣装はそこらへんで売っているわけではありません。70年代のアイドルは、お母さんが手作りしていたという話も聞きますが、最近は洋裁のできる人も減っています。

そこで、アイドル衣装を受注制作する仕事を始めたそうです。個人営業なので、少々リスクはありますが、比較的安価に制作してもらえますし、デザインもお任せできます。

こんな仕事が成り立つのかと思いますし、実際に、今のところは副業もしているようですが、やりたいと思ったら、まずやってみることは大事です。駄目だった場合の撤退先も考えておくべきでしょうが、まずは好きなことを見つけることです。

人間に与えられた最大の才能は「好き」という気持ちだそうです。テクニックは練習で補えますが、「好き」という気持ちだけは練習できません。好きだから続けられる、好きだから耐えられるというのは大きいと思います。

やはり、「一番好き」ではなくても「好きなことを仕事にする」ことが得策ではないでしょうか。

この仕事が好き(207/365)」にも通じる歌です。

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▲MOBACO.さん(もちろん自作衣装)

2015年3月8日日曜日

愛 (333/365)

「愛」についての歌です。

いろいろな表現が出てきますが、中でも

愛 それは定義じゃなくて
全身全霊で行う行動なんだと

という言葉が印象的です。別の歌に「愛って本当は動詞だったんだね」という歌詞があります。

また、最後に

愛 愛されることを求めるんじゃなくて 愛すること

とあります。

「愛」は動詞、主語は自分、ということですね。

引用した歌詞の最初の「愛」は、「あーああい」と単独で感動詞のように使われます。なかなか印象的で、いい曲でした。

2015年3月7日土曜日

お父さん、お母さん (332/365)

両親に対する感謝を伝える歌です。結婚式の歌についているサブタイトル ~Wedding Song~ がないので、少なくとも「式」の歌ではありません。でも、結婚式で歌っても良さそうな曲です。

お父さん お母さん 私、家を出て
大人になって 仕事を持って2年経って

なので、進学のために家を出てから就職したのでしょう。おそらく20代半ばです。

友達の結婚や 出産の話も 聞くようになった

というのは少し早いですね。どうも自分は結婚しておらず、子供もいないようです。

でも、20代半ばで両親に感謝できるのは偉いですね。私はもう少しかかりました。

ふたつのアイス いつも私に
選ばせてくれてありがとう

些細なことですが、これはいい話です。でも、なんで2つなんでしょう。きょうだいがいたとしても3つあるはずなんですが、もしかしてお父さんが一番に取ったとか?

どんなに遅く帰っても
ご飯用意してくれてありがとう

これはいい親御さんですね。我が家はときどきご飯がありませんでした。外で食べるときに、きちんと伝えていかない日が何度かあるとそうなります。一緒に住んでいるのだから、外食するときや帰宅が遅くなるときはちゃんと伝えましょう。今ではとても反省しています。

そして

大晦日には お土産もって 帰るから

で終わります。

盆と正月に帰省するのは、とてもいい習慣だと思います。近くに住んでいても、年に2回くらいは両親に顔を見せたいものです。

2015年3月6日金曜日

幸せの形 (331/365)

自分で選んだ道だけど、他人のことがうらやましくなったり、誰かに認めてもらったりしたいことはあります。

「幸せの形」は人それぞれ違うので、本当は他人と比べることもできないし、他人に認めてもらう必要もないはず。そう思っていても、割り切れないものです。

この歌で面白いのは

幸せの形は まるさんかくしかく?

という部分です。本来「幸せの形」というのは、スタイルの意味であって、形状の意味ではありません。それをわざと「○、△、□」と並べることで、視覚的な効果を与え、聞き手に新鮮な印象を与えています。

最後はこうなります。

ありたい自分になるための日々を 貫きたい
顔を上げて笑顔作って 今日も街へ

宮崎奈穂子さんの曲によく出てくる「なりたい自分」ではなく、「ありたい自分」です。通常「なりたい自分」は将来の姿ですが、「ありたい自分」だと現在の姿になります。ただし「なるための日々を貫く」ということなので、現状では十分ではなく、将来に向けての継続的な努力が必要なようです。

現在を肯定し、維持するために努力をする姿勢は、「揺らいでも 揺らいでも (329/365)」で書いた「価値観型」の目標かもしれません。

つまり、

  • なりたい自分 = ビジョン型
  • ありたい自分 = 価値観型

なのかもしれませんね。

2015年3月5日木曜日

今日はさぼっちゃおう。(330/365)

タイトルがこれなんで、今日はさぼっちゃおうかと思いましたが、今日も書きます。

「歌・こよみ365完全版」を出した頃から、宮崎奈穂子さんは「がんばっている人が、ほっと一息付けるような曲」ということをときどきおっしゃっています。

この曲も、普段がんばっていることが前提での「今日はさぼっちゃおう」です。

限界を決めるなって言うけど もう限界かも

それくらいがんばっている人だけが言える「今日はさぼっちゃおう」です。

ときどき入る「ららら」という歌詞が、「よし、今日はさぼろう」と決めたときの気持ちを表していて、とてもいい感じです。

もっとも、本当にがんばっている人は、たまにさぼっても半日もすれば不安になって、仕事をしたりするようです。

さぼるときは、きちんとさぼらないと、さぼった意味がないですね。

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2015年3月4日水曜日

揺らいでも 揺らいでも (329/365)

割り切るつもりなのに (326/365)」では、ビジョン型のキャリアと、価値観型のキャリアを紹介しました。

この曲は、珍しく「価値観型」の歌です。

自分の目標がよく分からず、

周りの人の顔色見たり 自分の心に嘘ついたり
バランス棒の上を 歩き続けるように生きてきた
どこまで続けたら どこにたどり着くんだろう?

と悩みます。

「自分の心に嘘をつく」のは不誠実なようですが、これは「周りとの関係を、自分よりも重視したい」という意志の表れであり、「嘘をつく」というネガティブな意味ではないはずです。

その場その場で状況を判断する「価値観型」は、目標に向かって進む「ビジョン型」に比べて分かりにくいため、自分を卑下する人も多いようですが、そんな必要はありません。

風が吹く度 心は揺れる それでも 歩き続ける
揺らいでも 揺らいでも
見えない何かを信じて 歩き続ける

というように、明確なゴールがないので、休みなく歩き続けることができると考えた方がいいのではないかと思います。

ところで、歌詞の中に「バランス棒の上を歩き続ける」というフレーズがあります。

平均台のようなものでしょうか。「バランス棒」で検索すると、いくつか出てきますが、どれも自分がバランスを取るもので、上を歩くものではないみたいです。

2015年3月3日火曜日

そんな場所になりたい (328/365)

最終電車で

体内電池を使い果たして 座り込む背広の男性
泣きはらした目で携帯を打つ女性

みんな昼間はがんばっているので、気がゆるむようです。

最寄り駅から家までの距離(159/365)」では、電車の中は耐えられたようですが、この曲は電車に乗った時点で駄目だったようです。

社会じゃ通用しないでしょ
そんな甘えはなしでしょ

と言われているみたいですね。

仕事は努力ではなくて、結果だと言いますが、努力も見て欲しいものです。

がんばってること ありがとうって
自分に言える場所 誰かのそんな声が聞こえる場所
私はそんな場所に なりたいと思うのです

誰も認めてくれなくても、自分は努力したことを知っています。せめて自分だけは、自分のことを評価したいものです。そして、同時に他人の努力も認められるような人間になりたいものです。

結果が出ないのは、目標が高すぎるか、やり方が悪いか、努力が足りないかであって、その中のいくらかは自分の責任です。それでも、努力したことには違いないし、その努力を否定することは出来ないと思います。

そんな歌です。

2015年3月2日月曜日

割り切るつもりなのに (326/365)

自分の信じる道を進むため、割り切ったつもりなのに、もやもやする。

「もやもや」は、「なりたい自分」に並ぶ宮崎奈穂子キーワードじゃないかと思います。その名の通り「もやもや」という曲もあります。

人間の指向には「ビジョン型」と「価値観型」があって、目標型は設定したゴール(ビジョン=見通し)にまっすぐ進んでいくスタイル、価値観型はその場その場で自分の価値観に従って適切な判断をするスタイルだそうです。

「ビジョン型」の典型的な目標は「なりたい自分」です。宮崎奈穂子さんは明らかにビジョン型ですね。

一方、価値観型は、長期的な目標を設定しないため、はっきりした目標がありません。しかし、「やりたいこと」「大事にしたいこと」はたくさんあります。そこに優劣付けられません。そこで短期的な目標をたくさん設定するのがいいそうです。

さて「もやもや」です。

「なりたい自分のために、やるべきこと」を設定したら、「今したいこと」を犠牲にしなければならないこともあります。宮崎奈穂子さんの代表曲「路上から武道館へ」時は「恋も遊びもやめて」というフレーズがあります。

恋はともかく、遊んでいる宮崎さんはなかなか想像できないんですが、そういう歌詞です。

これは想像ですが、長期的なビジョンのために、今は自分の価値観に反することもしなければ鳴らないこともある、そういう葛藤が「もやもや」じゃないかと思います。

たとえば

「武道館でライブをするには15,000人のファンを集めなければならない」

「15,000人集めるには、少しくらい強引でも自分をアピールしなければいけない」

「それは、今、自分がしたいことだろうか」

という「もやもや」です。

シンガーソングライターや画家など、自己表現が仕事の人は少々強引な方がいいと思いますが、「自分を売り込むこと」が目的ではなくて、「自分の作品を多くの人に受け取ってもらえること」が本来の目的なわけで、両者は微妙に違います。

でも、黙っていて売れるわけはなく、ある程度強引な売り込みは絶対に必要なことだと思います。

一方で、だからといって何をしてもいいわけでもないわけで、これからも「もやもや」しながらがんばって欲しいと思います。

2015年3月1日日曜日

お気に入りの色を乗せて (326/365)

ネールサロンの歌です。

きれいになりたい かわいくなりたい 自分へのご褒美
いろんな理由で 女の子達は ここにやってくる

という言葉で始まり、

爪の先に魔法をかける

という言葉で、ネイルサロンだということが分かります。

そして、

爪の先見つめて 可愛くなった 素敵になったって
喜んでくれる笑顔が 私の一番のご褒美

という言葉で、ネイルサロンを歌った曲だということが分かります。

そこで検索してみたら「NYNYマネージャー 小崎昌平Blog」がヒットしました。

2013年9月8日に「路上で詩う…」というタイトルで、宮崎奈穂子さんの著書「拝啓 路上ミュージシャンの宮崎奈穂子です。」が紹介されていました。

「歌・こよみ365」制作時期なので、この方の歌かもしれませんが、違うかもしれません。

2013年12月31日には「2013年の感謝」として、同じ事務所(当時)の伊吹唯さんについても触れられていますので、可能性は高いと思います。

ところで、多くの男性はネイルアートにほとんど興味がありません。「嫌いだ」と思っている女性もいるようですが、単に興味がないだけです。

女性のおしゃれは、基本的に自分のためのだそうですが、気付いたら感想を言ってあげたいものです。かくいう私も、取引先の女性に「爪を見て、何かしてあったら必ずほめろ」と指導されました。皆さんもぜひほめて上げてください。

宮崎奈穂子さんも、それほど派手ではありませんが、爪はきれいにしていらっしゃいます。

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ところが、どういうわけか先日ネイルアートをお休みするという発表がありました。


拝啓 路上ミュージシャンの宮崎奈穂子です

2015年2月28日土曜日

お腹の中の赤ちゃんへ (325/365)

お腹の中の赤ちゃんへ」に、若干の修正を加え、動画リンクとその説明を追加しました。


ちょうど、この歌ができた頃、宮崎奈穂子さんのお姉さんに赤ちゃんが出来たそうです。この曲もお姉さんに贈る作品かと思ったら、違うそうです。

でも、作品を作っているときはお姉さんのことを参考にしたそうです。

この曲は赤ちゃんが生まれる前の話、生まれたあとの話が「生まれてくれてありがとう(113/365)」、そして結婚式の歌が数曲、節目の歌が増えています。

ちなみに、私が生まれた少し後に「こんにちは赤ちゃん」が流行ったそうです。この曲も、それくらい定番になればいいですね。

▲「こんにちは赤ちゃん」

1963年のヒット曲で、作詞:永六輔、作曲:中村八大という、当時のゴールデンコンビの作品です。ちなみに坂本九が歌った「上を向いて歩こう」も同じ作者で「六八九トリオ」と呼ばれたそうです。

「こんにちは赤ちゃん」は梓みちよが歌いました。後の「二人でお酒を」のような大人っぽい曲とは随分違いますね。

2015年2月27日金曜日

元気でいますか? (324/365)

小学生の頃、とても仲が良かったのに、急に引っ越してそれっきりという経験は、多くの人が持っているのではないでしょうか。

この歌は、「おそろいのキーホルダー」や「交換日記」といった具体的な思い出とともに、友人の消息を思います。

あなたに会えなくなったあの日から
私は上手く笑えないまま

というくらいなので、よほど大きな喪失感があったのでしょう。

昔は、突然の転勤は今よりも多くありましたし、さまざまな事情で行き先を告げずに引っ越すこともよく聞きました。

今はどうなんでしょう。

携帯電話とインターネットの普及で、友人とのつながりは今よりもずっと長く続くように思います。私も、mixiやFacebookができて、数十年ぶりの再会をした友人がたくさんいます。

もっとも、今は「縁を切りたいのに、つながらざるを得ない」という悩みもあるかもしれません。

ところで、仲の良かった友人を、Facebookで検索することもありますが、会いたい人に限って見つからないんですよね。特に女性は姓が変わる人が多く、さらに難しくなります。

2015年2月26日木曜日

まあるいショートケーキ (323/365)

子供の頃、ショートケーキが食べられるのはクリスマスと誕生日だけだった。今ではいつでも買えるけど、その時の気持ちを思い出して、ケーキを買って実家に帰ってみよう。大切な気持ちを思いだした記念日として。という歌です。

私、ショートケーキは小さく切ってあるから「short」だと思ってたんですが、違うそうです。だから「丸い大きなショートケーキ」はおかしくありません。

スポンジケーキにホイップクリームを使ってイチゴを乗せたケーキを「ショートケーキ」として広めたのは不二家だそうですが、これは日本独自の呼び方だそうです(米国の一部でも使うそうですが)。

Wikipedia「ショートケーキ」によると、以下の説があるそうです。

  • アメリカの「ショートケーキ」に由来(スコーンのようなものだそうです)
  • 短時間で作れるから
  • 生クリームやイチゴを使用するため日持ちしないから
  • 英語の「short」の「もろい」や「サクサクした」に由来
  • スポンジを作るのにショートニング(食用油脂)を使っているから

私の子供の頃は「生クリーム」が高価だったため、「バタークリーム」と称する粗悪なクリームを使ったケーキがたくさんありました。

ところが、大人になって「バタークリーム」が実は大変美味しいものであることを知りました。昔の「バタークリーム」は臭みがあったのですが、本物はもちろん臭くありません。生クリームの脂肪分を凝縮させるとバターになるので、バタークリームは生クリームよりも濃厚な味になるようです。

想像するに、昔の「バタークリーム(的な何か)」は、バターの代わりに適当な油脂が入っていたのではないでしょうか。

大人になって「本物は美味しい」と気付いた3大食品は以下の通りです。

  • バタークリームケーキ…油脂の質が悪く臭いがする
  • (缶詰の)ホワイトアスパラガス…妙な臭いがする
  • (缶詰の)洋なし…食感が悪く、これも何が妙な臭いがする

いずれも、本物は大変美味しいもので、しばらく敬遠してたのが残念です。

2015年2月25日水曜日

One More Step EGG FORWARD (322/365)

エッグフォワード」という、人材育成や組織コンサルティングの会社に贈る歌です。

武道館前から縁のある会社のようですね。

「エッグ(卵)」は可能性の象徴、「フォワード(前向きに)」は、可能性の広がりを意味するそうです。

なんだか楽しそうですね。

その日の、宮崎奈穂子さんのブログでも紹介されています。

6/30 EggForward,Inc.さん主催「おとな文化祭」で歌わせていただきました!

2015年2月24日火曜日

タイミングの神様 (321/365)

「タイミングの神様」がいるそうです。気まぐれでチャンスをくれるのですが、「私なんかまだまだ」と遠慮していると、扉が重力で閉まるそうです。

重力で閉まるということは、こんな扉ですね。

Door

タイミングの神様はあまり聞きませんが「チャンスの神様」の話はよく聞きます。

チャンスの神様は前髪をつかめ(後ろは禿げている)

宮崎奈穂子さんとチャンスについては、「ACTION ~あなたが背中を押してくれたから~(104/365)」で詳しく紹介しているので、よろしければご覧ください。

タイミングを逃さないためには「謙遜して、遠慮するな」と歌われています。

肩の力抜いて (252/365)」「「もっと頑張っておけばよかったな」(213/365)」では「徒然草」の第150段の紹介をしています。要するに

下手くそだからといって、人に披露しないといつまで経っても上達しない。
笑われても、人に見せるうちにうまくなる。

ということだそうです。

今でこそ実力派の宮崎奈穂子さんですが、某所でデビュー当時の路上ライブの動画が出てきて、失礼ながらとても残念な感じでした。でも、その時の活動があるから今があるのでしょうね。

2015年2月23日月曜日

あなただけの宝物 (320/365)

誰もが、自分だけの宝物を持っているという歌。もしかしたら、それは「自分自身」あるいは「自分の才能」かもしれません。

最後はこう終わります。

一緒に 育てたい あなただけの宝物
あなたの その夢の 最初の応援者になりたい

一緒に 叶えたい あなただけの宝物
いつの日か 誰かの 希望の光にきっとなるから

インディーズ系のシンガーソングライターを応援していると、そのつてで「○○さんも応援してくださいよ」とお願いされることがあります。

その人のことが気に入れば、できる範囲で応援するのにやぶさかではありません。誰かが上がれば、誰かが落ちるというゼロサムの世界ではありませんから。

ファン同士のつながりもあり、必要だと考えれば、あるいは要請があればみんなで協力します。

ところが、どうもアイドルの世界はそういう結びつきが希薄なんだそうです。もちろん、アイドルによって違うのでしょうが、どちらかというと独占欲の強い人が多いそうです。

友人は、「布教者か、独占者かの違い」と言っていました。

私も、多少気になるアイドルもいますが、独占したいという気はありません。独占してもあまりいいことはないと思うのですが。

それより、一緒の夢を見た方が楽しいと思います。

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▲アイドルではありません。絵を描く人「さいあくなな」ちゃん。
専門学校の卒業制作で見て以来、気にかけています。

2015年2月22日日曜日

時代の風を感じて~愛のGT-R~ (319/365)

日産GT-Rの歌です。私たちの頃は「スカイラインGT-R」でしたが、現行車種は単なるGT-Rだそうです。

GT-Rの開発責任者だった水野和敏さんのご縁のようで、3曲目になります。先に書いた以下2つのブログエントリもあわせてご覧ください。

3曲目は、「完全版」にしか収録されていないため、誰に贈る歌かは分かりませんが、GT-Rという商品名が入っていることから、水野氏個人のような気がします。

水野氏は、日産退社後、自動車評論や講演活動をなさっていましたが、2014年に台湾の自動車メーカー「裕隆汽車」傘下の華創車電技術中心(HAITEC)」副社長に就任されました。ちなみに「汽車」は中国語で「自動車」の意味です。

日経ビジネスにインタビュー記事「日産GT-Rの水野氏が退職、緊急インタビューを敢行!」がありました。

サブタイトルは「GT-Rをヒュンダイのクルマが超える日は来るか」ですが、ヒュンダイは勧告ですし、GT-Rは過去の車なので、ちょっとあおりすぎのような気がします。確かにヒュンダイについてのインタビューもあるので、誇大広告というわけではないのですが、台湾「裕隆汽車」の立場がありません。

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2015年2月21日土曜日

もしあのとき (318/365)

自分の人生は自分で選択しているとしても、「あのとき、こっちを選んだらどうなっていたかな」と思うことはあります。

もしあのとき 違う道を選んでいたら?
違う答え方してたら? 今違ったのかな
そんな風に 考えちゃうんです

ここで「今は違ったのに」と断定するのではなく、「今(は)違ったのかな」「そんな風に考えちゃうんです」と弱気なあたりが救われます。

実際、他の選択肢を選んだとしても、その後でどうなるかは誰にも分かりません。

選ばなかった世界は存在しないので、今ある世界を受け入れるしかないんです。

それにしても、宮崎奈穂子さんが地声から裏声に切り替わるところはとても心地いい音です。この曲だと「違う道を選んでいたら?」の部分です。お聞かせできないのが残念です。

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2015年2月20日金曜日

誓いの言葉~Wedding Song~ (317/365)

結婚式の歌です。

歌い出しは

一番好きな言葉は「ありがとう」

集まってきてくれた人に、感謝の意を表して、これからみんなに恩返しをする決意表明になっています。

「歌・こよみ365完全版」に含まれる結婚式の歌は全部で9曲であります。「誓いの言葉」が入っている26枚目は、決意表明が多く、ここに収録されたようです。

  • ずっと ずっと~Wedding Song~
  • ふたり 歩いていこう~Wedding Song~
  • ありがとう~Wedding Song~
  • お父さんとお母さんへ~Wedding Song~
  • 春夏秋冬~Wedding Song~
  • 愛が支えるウエディング~Wedding Song~
  • 一生分の恋~Wedding Song~
  • 誓いの言葉~Wedding Song~
  • 家族~Wedding Song~
  • 「ありがとう」といえば、「寂しがり屋の恥ずかしがり屋(246/365)」もどうぞ、

    2015年2月19日木曜日

    わかってるくせに わかってたくせに (316/365)

    「今の自分は、すべて自分が行ってきた選択の結果だ」ということは多くの人が言っています。無自覚な場合もありますが、今の世の中で、本当に強制された生き方をしている人はほとんどいません。

    ダイエットに失敗したのは自分がさぼったからですし、運動が続かないのは自分で運動をやめたからです。試験の成績が悪いのは勉強しなかったからだし、勉強しなかったのは、友人の旅行の誘いに乗ったからです。

    こうした考え方は「選択理論」として整備され、「より良い人生を過ごすための考え方」として有効な手法になりました。

    一般には、「他人の強制ではなく、自分で選んだ結果だ」と思った方が、ハッピーであるとされています。

    とは言え、常に満足できて、いつでもハッピーかというと、なかなかそういうわけにもいきません。

    • 旅行の誘いを断って勉強して、資格は取れたけど、旅行にも行きたかった
    • 勉強せずに旅行に行って、楽しかったけど、試験には落ちて、目標が遠のいた

    そういうことは誰でもあるでしょう。

    答えはどこにもありません。

    ゆらゆら 揺らぐのはどうして?
    どこかに向かってるの こっちで合ってるの
    答え場出ないまま 歩き続けていく

    2015年2月18日水曜日

    雨上がり (315/365)

    夕立の激しい雨と、その後に出た虹を人生に重ねます。

    虹にまつわる逸話は世界中にたくさんあります。

    旧約聖書では、ノアが箱船で乗り切った大洪水のあと「二度と、世界を全滅させるようなことはしない」という誓いの印です。

    中国では、蛇や竜の一種とみなしていたようで、「虹」が虫偏なのはそのためです。北アメリカやオーストラリア、西アフリカでも蛇の一種だという伝説があるそうです。

    虹は、白色である太陽光が水滴で屈折してできるため、連続した色変化を示します。これを「7色」としたのがニュートンです。

    当時のイギリスでは、虹は5色(は赤黄緑青紫)とされていたのですが、ニュートンが橙と藍を加えて7色にしたと伝わっています。ニュートンは、虹の色が連続的で「何色」と明確に言えないことを知っていたはずですが、「7」という神聖な数にどうしてもしたかったようです。

    音階がドレミファソラシの7音というのも1つの理由です。

    言語学者のノーム・チョムスキーは、「言語によらず虹が7色なのは、言語化する前の深層構造が人間に共有だから」としたそうですが、実際には2色から6色まで幅があります。ただし、多くは6色の多いようなので、チョムスキーが完全に間違っているわけではありません。

    なお、俗に「紫」と言いますが、紫(パープル)ではなく「スミレ色(バイオレット)」です。

    虹

    2015年2月17日火曜日

    一番近で支えてくれた人へ (314/365)

    一番近で支えてくれた人への歌。

    あなたと歩いてきたから

    「間違っていた」なんて 私は一生思わない

    「遠回りだ」なんて 言う人がいたとしても
    <中略>近道だったとしても 私には意味がなかったから

    と歌います。

    何か失敗したのでしょうか。

    間違っていたか、遠回りだったか、ということは実際誰にも分かりません。もし別の判断をしたら、もっと大きな別の問題があったかもしれません。

    そもそも

    あのとき別の選択肢を選んでいたら

    という考えても、選んでないのだから意味がありません。

    選ばなかった未来は存在しないのです。

    過去から学ぶことはできますが変えられないし、未来を予想することはできますが確定していないし、意味があるのは現在の判断だけです。

    2015年2月16日月曜日

    メリークリスマス (313/365)

    宮崎奈穂子さんの曲には、季節感のある歌が少ないと言われます。実際「ねえ...」が冬を示すくらいで、ほとんどありません。

    そこで、ということでもないのでしょうがクリスマスの歌です。もっとも、クリスマスのライブでも披露されなかったので、これからの定番になるような感じではなさそうです。

    宮崎奈穂子さんらしいのは、曲に登場するのが夫婦や恋人ではなく、こんな人たちです。

    • いまいちうきうきできない私
    • ケーキを予約するお父さん
    • ケーキの予約を取る店員さん
    • ケーキ片手に誰かに誰かに会いに行く人
    • 足早に帰る人
    • 遅くまで仕事のある人
    • 仕事して終電で帰る私

    「誰かに会いに行く」恋人、「ケーキの予約」が家族を示唆していますが、「私」の気持ちを反映してか、あまり浮き浮きした感じではありませんね。

    店員さんを取り上げるのは宮崎さんらしい視点です。

    ところで、昔のクリスマスケーキに比べ、今は圧倒的に美味しくなっていますね。

    クリスマスケーキは、当日出荷が多いため事前に作って冷凍しておくのだそうです。冷凍と解凍の技術が進歩したのでしょうか。

    2015年2月15日日曜日

    赤ちゃんみたいな人になりたい (312/365)

    赤ちゃん、特に新生児は無条件にかわいいものです。

    「私の理想の人は 赤ちゃんです」

    で始まるこの曲は

    赤ちゃんが笑っただけで みんな笑顔になる
    赤ちゃんに触れただけで みんな心軟らかくなる

    そんな人になりたいと歌います。

    何かが上手にできても、仕事をたくさんこなしても、周りの人を笑顔にできなければ意味はないし、価値もないですね。

    「いるだけで楽しい」そういう人になりたいものです。

    2015年2月14日土曜日

    大人の私へ (311/365)

    「中学生の私」から、「大人の私」に尋ねる歌です。

    「あの頃の私に伝えたい」という曲はときどきありますが、逆は結構珍しいのではないかと思います。

    何か、つらいことがあって、大人になったら解決するだろうか、それとも続くのだろうかと思っているのかもしれません。

    • どんな仕事をして、どんな毎日を過ごしていますか?
    • 中学生の頃の悩みを覚えていますか?
    • 誰にも言えないコンプレックスは大人になっても抱えていますか?
    • 夢はかないましたか?

    そういう歌です。

    すべての大人がそうとは限りませんが、中学生のような悩みはだいたいなくなります。もっと大事なことが見つかるから。もしかしたら、忘れてしまうかもしれません。

    コンプレックスはなくならないですね。ただ、慣れます。

    夢は、どうでしょう?

    確かなのは、大人になるのは、悪いもんじゃないってことです。

    2015年2月13日金曜日

    全部、無駄じゃない (310/365)

    遠回りだったかな、やらない方がよかったかな、必要なかったかな、そういうことがあったとしても、「全部無駄じゃない」という歌です。

    落ち込まないぞ(221/365)」でも紹介した通り、宮崎奈穂子さんは著書で「困ったこと、苦しいことがあっても、全部意味のあることだ」という意味のことを書いていました。

    これも前に紹介したとおり、一時期、ファンの間では、ちょっと困ったことがあると「それもみんな何か意味があることだから」と言ってなぐさめるのが流行したくらいです。

    ただ、すべての経験を「無駄じゃない」ようにするには、それだけの努力が必要です。

    米国のビジネス英語では、「失敗」のことを「lessons to learn(学んだこと)」と言います。単なる言い換えなんですが、タイトルが「lessons to learn」になっていると、必然的に「では次回どうするか」ということを書かざるを得ないように誘導されます。

    だから、単に「無駄じゃない」と思うだけではなく、「無駄じゃなくすにはどうしたらいいか」を考えたいものです。

    2015年2月12日木曜日

    世界をひとつの家族にする (309/365)

    株式会社ウィルフォワードに贈る歌です。武道館ライブ実現のために企業回りしていた頃に出会ったようです。Facebookに書き込みが残っていました。

    いくつかの事業を展開していますが、全体としては企業のPR戦略コンサルティングが中心のようです。

    YouTubeにこんな作品が上がっていました。


    ▲つながるふぉわーど「手と手、心と心」(初音ミク Tell your world)
    一種のプロモーションビデオみたいですね
    宮崎奈穂子さんは数カット登場しますが、31秒あたりからが一番長く写っています

    こういう遊び心もあるようです。


    ▲AKB48 恋するフォーチュンクッキー ウィルフォワードスタッフVer. 踊ってみた

    2015年2月11日水曜日

    流れていく雲を見つめて (308/365)

    いろんなもののテンポが早くなっていく中で、

    そんな中だからこそ 空を見上げて
    流れていく雲を見つめて
    がんばってる自分を 褒めて上げるのもいい

    という歌です。

    テンポが早くなっている例に、こんなものが挙げられます。

    • 飛行機…乗降時間に余裕が必要なので、国内線は意外に早くありませんが、国際線は航続距離が伸びたため、大幅に短縮されています。たとえば、昔の米国便はアラスカのアンカレッジで給油していましたが、今は基本的に直行便です。
    • 新幹線…東海道新幹線が開通したとき、東京-新大阪間は3時間10分(190分)でしたが、現在は約2時間半(150分)になりました。
    • インターネット…インターネットの商用利用が解禁される前、1980年代は電子メールの到着に丸1日かかる場合もありました(技術的な説明は省略します)。宛先を間違えた場合、エラーが返ってくるまで2日かかったこともあります。現在は数秒以内に到着します。
    • コンビニ…コンビニエンスストアの代表「セブンイレブン」は、名前の通り午前7時から午後11時の営業でした。現在では24時間営業が一般的です。商品の入れ換えも頻繁ですし、売り上げ情報は数時間以内に本部へ連絡されるそうです。
    • パソコン…ビジネスにパソコンが活用され始めたのは1985年頃です。当時と比べて今のパソコンは、安いものでも計算速度が5000倍、メモリ容量が4000倍、外部記憶装置の容量が100万倍くらいになっています。
    • クラウド化…新しくコンピュータを用意してサービスを提供するまで(たとえばWebサイト)、1980年代には数週間かかっていたものが、クラウドサービスを使えば5分でできます。実際に5分で作ってみました(Microsoft Azure IaaS講座: 5分で作れるサーバーシステム(1限目) ~とにかく仮想マシンを作ってみよう~)

    こうして見ると、特にコンピュータ関連の速度向上が目立ちます。

    この傾向は、パソコン以前、コンピュータが企業内で使われるようになった1970年代から顕著になっています。

    「情報の氾濫」を警告する人もいましたが、本当の意味を分かっていた人は少なかったかもしれません。小説家の庄司薫は、情報氾濫の意味を理解していた数少ない人で、1970年代に「情報の多いのが問題ではなく、解釈が多いのが問題だ」と主張していました。

    現在、情報が多いこと自体は、検索技術の発達と、個人の嗜好に合わせた自動フィルタリングである程度解決されていますが、解釈は機械的なフィルターができません。

    また、検索や自動フィルタリングに頼りすぎて、自分の意見なのか他人の意見なのか分からなくなってしまうこともよくあります。

    そんな中だからこそ、地に足を付けて、自分を見失わずに頑張っていきたいものです。

    2015年2月10日火曜日

    みんな生きている (307/365)

    命が、人から人に受け継がれ「みんな生きている」という曲です。歌詞の2割が人の紹介に費やされます。非常に多くの人が登場するので分類してみました。

    地域的関係 社会的関系 個人的関係
    工事現場のおじさん スーパースター 幼稚園の時に好きだった人
    最寄りのコンビニの店員さん トラックの運転手 最近連絡とれてないあの子
    居酒屋でバイト頑張る大学生 ノーベル賞受賞者 中学時代の担任
    近所の明るいおばちゃん 日本代表のサッカー選手 今ここに立っている私

    一番最後に「私」を入れることで、曲のイメージががらっと変わります。みんな生きていて、私も生きていきます。

    2015年2月9日月曜日

    もういいかい まあだだよ (306/365)

    前曲に続いて、これも童謡風です。ですが、これも全曲同様、内容は自分の内面を考える歌です。

    もういいかい まあだだよ

    のあとは

    私の夢 諦めついた?

    あるいは

    あなたの人生 どうするつもり?

    ちょっと厳しい言葉もあります

    何かを守るため 失ったものも
    この夢追いかけるために 手放したもの

    健康食品や医薬品のネットショップを運営する「ケンコーコム」創業者の後藤玄利氏は、インタビューで「僕は夢以外の何でも捨てられる」と語っています(【独占独白】ケンコーコムの後藤社長、楽天との乖離を語る)。

    この曲自体は、依頼曲じゃないかと思いますが、宮崎奈穂子さんも大きな舞台に立ったり、次のステップを踏み出したりする時に、不本意なことがあったのではないかと想像します。

    曲の最後はこう締められます。

    私の夢 諦めついた?
    まだまだ まあだだよ

    まだまだ、まだまだ夢の途中のようです。

    2015年2月8日日曜日

    あまのじゃく (305/365)

    「歌・こよみ365完全版」オリジナルの曲は、意外に歌われていないのですが、この曲はときどき聞きます。少し童謡風です。

    本当は欲しいのにわざと目を背けてみたり、つらいのに大したことないと言ってみたり、そういう歌です。

    オタク界ではこれを「ツンデレ」と呼びます。本当は好きなのに、気のないふりをしてみたものの、やっぱり好き、そんな感じです。

    「あまのじゃく(天の邪鬼)」は、その名の通り鬼の一種、つまり妖怪です。

    人の心を読み取って反対に悪戯をしかけるのですが、あまり大きな力は持っていないようです。今では「人の心を読み取る」という部分は重視されず、「してほしいことと反対のことをする」意味で使われます(Wikipedia「天邪鬼」)。

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    ▲この曲を初めて聞いたのと同じ場所

    2015年2月7日土曜日

    コーヒーは口実です (304/365)

    仕事で失敗して、今日は最悪だと思って帰り、最寄り駅に着いたら22時前、これは仕事の厳しさの歌かと思ったら違いました。

    閉店ぎりぎり あのコーヒー屋さんに急ぐ
    扉を押し開けると
    おじいちゃんのマスターが微笑んだ

    コーヒーを口実に、このマスターの笑顔を見に通う喫茶店の歌でした。

    何も聞かず、すべてを受け止めて微笑むマスターがいる喫茶店というのも、最近はずいぶん減ったように思います。

    スターバックスの店員さんは、とても優秀で複雑なカスタマイズをオーダーしてもほとんど間違えないし、適度な距離感で会話もできますが、席に着いたらそれっきりです。話をすることはまずありませんし、水を替えてくれることもありません。

    昔の喫茶店は、カウンター越しに会話があったり、席についていても水の交換に来てくれたものです。

    友人によると、京都のある喫茶店では、追加注文なしに粘っていると、頼んでもいない日本茶が出てきたそうです。もちろん、これは「帰れ」という合図です。

    このおじいちゃんのいる喫茶店では、そういうことはしないと思いますが。

    2015年2月6日金曜日

    ようこそ パパとママのもとへ (303/365)

    生まれてきた赤ちゃんの歌です。

    「歌・こよみ365完全版」には、赤ん坊の歌も何曲か入っています。結婚式の歌と違って、簡単な見分け方がないんですが、おそらく3曲です。

    正確には「生まれてくれてありがとう(113/365)」はお孫さんに向けた歌、「お腹の中の赤ちゃんへ(325/365)」はタイトル通り生まれる前の歌ですので、「赤ちゃんの曲」は厳密にはこの曲だけということになるかもしれません。

    ようこそ パパとママのもとへ

    という部分のメロディがとても美しくて、心に響きます。

    生まれたばかりの子供は、とても手がかかるのですが、本当にかわいいものです。その後、離乳食が始まるとウンチの臭いも強くなり、母親から受け継いだ抗体が消えて病気にかかりやすくなりますし、体温調整機能が未熟なため、急な発熱が見られたりします。

    それでも、多くの人は「生まれてから2歳くらいまでが一番かわいい」と言います。

    もっとも、同僚によると「5歳になっても10歳になっても、2歳の時と同じくらいかわいい」と強く主張していました。そういうものかもしれません。

    2015年2月5日木曜日

    夢道 (302/365)

    みのる式夢道」という教育法をテーマにした曲です。株式会社P&Hの高岸実(たかぎしみのる)社長の名前に由来するようです。

    もともとは学習塾フランチャイズ「ペガサス」を経営する会社でしたが、「やる気のない(ように見える)子供」のことを考えているうちに生まれた教育法だということです。

    みのる式夢道」は、学校や受験のための学習ではなく、個人のやる気を引き出し、自ら学習する意欲を高めることを目標にしています。

    Facebookページ「みのる式夢道」では、日々の活動の様子が紹介されています。また、この曲「夢道」を聞くこともできます。

    なお、曲名は「ゆめみち」ですが、Webサイト「みのる式夢道」のドメイン名「yumedo.p-andh.co.jp」からも分かるとおり、「ゆめどう」と読むようです。

    2015年2月4日水曜日

    「誰かのため」なんて綺麗事だと思ってました (301/365)

    前曲「「働く」って」に続き、仕事の歌です。そして、引き続き、以前書いたエントリ「大人って(118/365)」の内容と重複します。

    「何かが上手になること」「何かで一番になること」「何かが速くできること」こう言うことがあっても、それ自体が嬉しいのではなくて

    一番嬉しかったのは「誰かの役に立てた」ことだったんだ

    という歌詞の通りです。

    冒頭の歌詞は

    「誰かのため」なんて 綺麗事だと思ってました

    とあります。宮崎奈穂子さん自身、学生時代はそう思っていたそうです。たとえば、ブログ記事「「仕事って、こんなに楽しいものなんだ。」って。」には

    私は学生時代恥ずかしながら、
    「学生時代が一番華、仕事なんてしたくないな。。」
    って思っていました。

    と書かれており、さらに

    迷う日も、落ち込む日も、眠れない日もたくさんあるけど、
    「仕事って、こんなに楽しいものなんだ。」って、
    今すごく感じています。

    と続きます。

    前に書いたとおり、仕事は楽(らく)ではないけど楽しいものです。

    2015年2月3日火曜日

    「働く」って (300/365)

    旧約聖書には、人間の原罪として「労働」と「出産」を与えたと読める箇所があります。そのせいか、中世ヨーロッパでは働き過ぎることは「悪いこと」とみなされていたそうです。

    この解釈が明確に否定されたのはプロテスタントの台頭によるということになっています。

    実際にカソリックの教義で「労働=罪」になっているとは思えませんが、そういう風に思っていた人は多かったようです。

    日本では、労働観がちょっと違って、昔から「勤労は美徳」ということになっています。

    ところが、最近の若年層、特に学生の間には労働に対するイメージがあまりよくありません。特に会社勤めに対する反発が強いようです。

    実際には、働くことは楽しいことですし、会社に所属することで個人ではできない大きな力が得られます。

    「楽しい」ことだからといって、「楽(らく)なこと」ではありませんが、労働を忌避するのはちょっともったいないと思います。大人の大事な役目は「働くことは楽しい」と伝えることです。

    「働く」って楽しいですか?
    そんな風に誰かに聞かれたとき
    真っ先に「勿論」と
    答えられる大人でいたい

    という歌い出しの通りです。

    大人って(118/365)」でも書いたように、「はたらく」とは「傍(はた)の人間をらくにすること」という語呂合わせがあります。

    今までで一番楽しかったことは何?

    という質問をすると、相当数の人が誰かに喜んでもらえたことを挙げます。

    どうやら人間は、自分のためにすることとより、他人のためにすることの方が楽しく感じるようにできているようです。

    2015年2月2日月曜日

    自分を好きになる方法 (299/365)

    宮崎奈穂子さんの曲には、自己嫌悪に悩む女性がよく登場します。この曲も

    私は自分が嫌い 涙が出るほど嫌い

    と、激しい自己嫌悪が歌われます。

    でも、そこから

    どんな自分なら好きになれますか?

    と自問し、

    具体的に描いたら次は

    と、努力する姿勢が見られます。

    自己否定は思春期によく見られる現象ですが、どうすればいいかを考え、具体的なステップに進む人はほとんどいません。

    スタートすることと継続することは別なので、この先どうなるか分かりませんが、「どうすればいいだろう」と考える姿勢は見習いたいものです。

    ところで、この曲は、「どんな自分なら」の部分がメロディ的に「なりたい自分に」とぴったりあてはまりますし、内容的にもちょうどいいのですが、実は登場しません。ちょっと多すぎると思ったのでしょうか。

    2015年2月1日日曜日

    女の子はがんばり屋さん (298/365)

    かわいい子は、単にかわいいだけじゃなく、努力してかわいいという曲です。「女の子は」とありますが、「男の子」だってかわいさや愛敬は大事です。

    気持ち良い人間関係を維持するためには、さまざまな「努力」が必要です。同じような技術があって、同じような値段で、同じような仕事をする場合、実際に仕事を発注してもらえるかどうかは印象で決まります。

    笑顔で挨拶ができる、相手の目を見て話す、返事はしっかりする、仕事の愚痴を言わない、といったことで、次の仕事が決まることはよくあります。

    金額や納期の問題で、仕事をもらえなかった場合でも、印象が良ければ次の仕事があるかもしれません。

    「そんなことで決まるのか」と思う人もいるかも知れませんが、そんなことで決まることも中にはあります。大したことではないので、心がけたいものです。

    面白いのは

    誰より強い芯を持って 生きていく
    遮る壁をなぎ倒すくらいの
    エネルギーで生きていく

    という歌詞です。「かわいい」とか「愛嬌」の歌なのに、「さえぎる壁をなぎ倒す」というギャップが面白く、また、女の子の覚悟が出ています。

    それにしても、「歌・こよみ365」には、女の子の歌はたくさんありますが、男の子の歌はほとんどないのが残念です。

    2015年1月31日土曜日

    ありのまま (297/365)

    「歌・こよみ365」のチャレンジは2012年12月からスタートして2013年11月23日のライブで全曲完成の告知がありました(このブログについて―「歌・こよみ365」とは)。

    「ありのまま」と言えば、ディズニー映画「アナと雪の女王」の主題歌「Let It Go」の邦題が「レット・イット・ゴー〜ありのままで〜」ですが、「アナと雪の女王」の公開は米国が2013年11月11月27日、日本が2014年3月14日です。つまり、この曲とは無関係です。

    悲しさ」に対して「生きるということは」、「寂しさ」に対して「愛するということは」が「きっと そういうこと」と続きます。

    最後は

    ありのまま その力を 信じて

    で終わり、単なるあきらめでは終わりません。

    ところで、この曲に「たゆたう」という言葉が出てきます。

    聞き慣れない単語なので調べてみました。

    たゆた・う【揺蕩う】タユタフ
    (1) かなたこなたへゆらゆらと動いて定まらない。ただよう。万葉集(11)「大船の―・ふ海に重石(いかり)おろし」
    (2) 心が動いて定まらない。ためらう。躊躇する。栄華物語(浦々別)「つつましき世の有様なれば思し―・ふべし」

    広辞苑第6版

    「揺蕩う」または「猶予う」とも書くそうです。しかし、「かなたこなたへ」という表現もなかなかのものです(「彼方此方」ですね)

    2015年1月30日金曜日

    出会い (296/365)

    人生で、とても大事な出会いというものが何度かあるものです。一度会っただけの人でも、大事な言葉をもらうことがあります。

    面白いのは、本人にとって一生を変える言葉だったのに、言った方は案外何も考えていなくて、言葉はもちろんあったことさえ忘れていることまであります。

    悪い言葉でも同じで、学生時代にいじめられていた人が、大人になっていじめた人に「こんなことを言った」と詰め寄っても覚えていないことが多いそうです。

    結局、自分が相手の言葉を受け入れる余地があるかどうかという問題みたいです。

    評論家の内田樹(うちだたつる)氏の著書「先生はえらい」にも、そうした内容が書いてありました。学ぶ気持ちさえあれば、誰からでも学べると。

    面白いのは、誰からでも学べるなら自習でもいいだろうと考えても、誰か相手がいないと、学びにくいことです。そういうもんみたいですね。


    先生はえらい (ちくまプリマー新書)

    2015年1月29日木曜日

    気持ちを強く持って (295/365)

    いまだに「女性が働く」というと大げさな話になってしまうようです。

    男女雇用機会均等法の施行が1985年、これは「女性差別撤廃条約」の批准のために必要な法律として制定されました。法律と条約では、一般に、法律と条約では、条約の方が優先されるため、条約に合わせて法律が制定または改正されます。

    よく「これは差別ではなく区別だ」と言われますが、「女性差別撤廃条約」では差別と区別の両方を禁止しています。例外は、母性(出産)に関連することだけです(育児は例外ではありません)。

    特に苦労せず、残業も適当にこなし、「ふつうに」働いている男性が多いのに、なぜ女性だけ頑張らないといけないのでしょうか。テレビドラマでも「働く女性」は特別できる人か、補助職か、いずれにしても特別扱いです。18歳以上の独身女性の大半と、既婚女性の過半数が賃金労働をしている現在、わざわざ「頑張って働く」必要もないでしょう。

    この曲の女性が何歳か分かりませんが、たとえば28歳の男性が会社勤めをしていたら、仕事にも自身が出てきた頃で、ちょっとしたプロジェクトのリーダーになり、調子に乗って失敗して、お客さんに叱られる時期です。でも、ドラマにはそもそも28歳の「ふつうの」女性は出てきません。

    友人は、結婚式の時、新婦の親戚から「お仕事は何をしていらっしゃるのですか」と聞かれて「妻が理解あるので、おかげさまでフルタイムで働いております」と言ったそうです。

    彼なりのジョークですが、あまり通じなかったようです。

    戦いたいわけじゃない だけど
    それくらいの気持ちで生きていかなきゃやっていけない

    というのは、本当に切実な気持ちなのでしょう。

    女性でも男性でも、そんなに気負わなくても、気軽に仕事ができるような世の中になって欲しいものです。

    2015年1月28日水曜日

    妹よ (294/365)

    「大切な恋人の妹であるあなた」の歌ですが、この妹さん、どういう方なのでしょう。気になった部分をいくつか抜き出します。

    あなたが傷ついたら僕らも悲しいし
    あなたが笑うと僕らも嬉しい

    無邪気なあなた

    僕らふたり あなたに
    どれだけ支えてもらっているのだろう

    僕らが喧嘩する度 あなたが空気を直してくれる

    あなたには笑っていて欲しい
    幸せになって欲しいと願っている

    このフレーズは、一般的な大人ではなく、幼い子供のような印象を受けます。しかし「恋人の妹」が、それほど幼いのは考えにくいでしょう。

    何十回か聞いた結果、私の想像力で考えられるのは2つでした。

    • 妹さんを溺愛している
    • 妹さんは何か心身のハンディキャップがある(そして妹さんを愛している)

    的外れだったらごめんなさい。

    家族を愛するのは素晴らしいことですし、社会的弱者を守っていくことは家族だけでなく、社会的にも大事なことなので、いずれにしても妹さんを含めて、皆さん幸せになっていただきたいと思います。

    ナチスなんかは、ハンディキャップを持った人を社会の損失と考えていたようですが、もちろんそんなことはありません。

    知的障害をサポートすることは、少子化に悩む日本の労働力に貢献します。

    また、身体的な障害をサポートすることは、健常者にも恩恵があります。音声で階数を通知するエレベーターは、視覚障害者だけでなく、満員で身動きが取れないときにも役立ちます。テレビの字幕は、何らかの理由で音を出せないときにも役立ちます。

    聞けば、社会的弱者を守ることが、人類の生き残り戦略なんだそうです。

    【Yahoo! 知恵袋】
    弱者を抹殺する。不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思います...

    2015年1月27日火曜日

    新聞配達 (293/365)

    徹夜明け、夏の場合は周囲が明るくなってきてもまだ活動時間ではありませんし、冬の場合はまだ暗くても世の中が動き出します。

    朝と夜の境界はどこなのでしょう。

    ラジオ番組だと、深夜1時から3時の番組は夜、3時から5時の番組が終わったら完全な朝という感じでしょうか。

    宮崎奈穂子さんは、こんなことをTwitterで書いてました。

    新聞配達が境界なんですね。

    学生時代、友人が新聞配達のアルバイトをしていましたが、本当に尊敬します。彼女は「朝が早いだけで、どうってことない」と言ってましたが、1軒1軒訪ねて新聞を投函するのは決して簡単なことじゃありません。

    「どんどん軽くなるので、牛乳配達よりマシ」とも言ってましたが、牛乳配達の習慣はもうないですね。

    夏はともかく、冬はまだ真っ暗だし、寒いし、休みも少ないし、本当に尊敬します。

    ちなみに、出勤が遅れると、自転車に新聞がくくりつけられていて、すぐに乗って行けるようになってると笑ってました。

    元同僚の友人は、サラ金に借金をして、働きながら新聞配達のアルバイトをしていたそうです。おかげで、神戸の震災で自宅が全壊したときも本人は無傷だったとか。何が幸いするか分からないものです。

    2015年1月26日月曜日

    今の私の精一杯 (292/365)

    「堪えなくていいから」「頑張りすぎじゃない」「頑張ってるね」と、たまには言って欲しいけど、悩んでる暇はないから精一杯頑張るという歌です。

    実際に「大丈夫?」って心配されたら「大丈夫」って笑って答えるだろうけど、もう一歩踏み込んで「大丈夫じゃないくせに」と言って欲しいようです。

    これはなかなか難しいですね。昔読んだ小説に「入院中にお見舞いに来た人に『元気?』と聞かれたら『元気です』と答える自信がある」という台詞がありました。ちょっと似てますね。

    「大丈夫?」と聞いて「大丈夫」と答えたとき、本当に大丈夫なときと、本当は大丈夫じゃない場合があります。

    本当に大丈夫なときに「大丈夫じゃないくせに」と言われるのは結構面倒くさいものですが、大丈夫じゃないときは嬉しいものです。

    実際はどうなのかは本人しか、いや本人ですら分からないことがあります。本人が分からない場合は結構深刻で、ずっと続くと次に待っているのは過労死かうつ病です(うつ病については諸説あるのではっきりした因果関係は分かりませんが)。

    宮崎奈穂子さんも、最近は週5日くらい路上ライブに出ているようですが、無理していないことを願っています。

    ところで、この曲の「夢に一直線に進むために」というフレーズがとても好きです。いつものように全く通じないと思いますが。

    2015年1月25日日曜日

    私は誰かの一杯のコーヒーのような存在になりたい (291/365)

    コーヒーを好む人はたくさんいます。嗜好品なので、嫌いな人も特に好きじゃない人もいるでしょうが、好きな人にとっては欠かせないものです。

    朝のコーヒーは、

    コーヒーを淹れたら 仕事モード、スイッチ オン

    ですし、午後は眠気覚ましに、夕方はもうひとがんばりするきっかけになります。

    味にバリエーションを付けることもできて

    ときにはお砂糖で優しく
    とくにはたっぷりのミルクで マイルドに

    ということもできます。

    そして、この方

    だから今日も笑顔で 駅ナカカフェでオーダーを取る

    ということで、カフェの店員さんなんですね。

    コーヒーの持つ力を、自分がやりたい仕事にたとえ、その仕事が実はコーヒーを出す仕事だというつながりです。

    カフェの店員と言えば、スターバックスの店員さんの平均レベルはかなり高いと思います。たとえば、客と店員のラインをはっきりさせた上で、ちょっとした会話にはきちんと答えてくれます。

    カスタマイズにもしっかり答えてくれ、間違いもほとんどありません。別のチェーン店で「○○ラテにエスプレッソショットを追加して、ホイップクリームを抜いて」と言ったら慌てたらしく「○○は入れますか?」と聞かれたことがあります。「○○抜いたら○○ラテじゃないですよね」と言ったら苦笑していました。

    スターバックスは、世界中どこで買った豆でも挽いてくれるサービスがあります。シアトルのスターバックス1号店には、そこでしか売っていない豆があるのでお土産に買い「挽いてくれ」と言ったら(明らかに旅行者の私を見て)「味が落ちるからやめた方がいい」と言われ、帰ってから店に持って行けと言われました。「日本でもだいじょうぶか」ということだったので、持ち込んだら何の問題もありませんでした。

    その時、かなり高い確率で「米国にいらっしゃったんですか」と聞かれます。パッケージを見れば分かるからですが、その後で「この豆、美味しいですよね」みたいなことを言われることがあります。聞けば、研修で飲んだことがあるそうです。おそらくアルバイトだと思うのですが、研修でそこまでやるというのは立派なものですね。

    ところで、最近は、コーヒーをブラックで飲む人が増えていますが、友人に勧められてエスプレッソに砂糖を少し入れてみたら、なかなか美味しかったので、機会があればお試しください。

    2015年1月24日土曜日

    幸せって何だろう? (290/365)

    「幸せ」の感じ方は人それぞれですが、だいたい以下の3つくらいでないかと思います。

    • 物質的豊かさ…金銭や物質的な欲求が満たされること
    • 人間関係的豊かさ…友達や家族などの人間関係に恵まれること
    • 社会的豊かさ…容姿や地位などの社会的立場が高いこと

    容姿は迷った末に「社会的豊かさ」に入れました。

    豊かさ

    物質的豊かさは、自分の個人的欲求が中心で、他者との関係性がありません。「社会生活を営む動物」としてはちょっとレベルが低いような気がします。もちろん、お金で解決できることはたくさんある、というか大半の問題はお金で解決できます。

    ライブドアの元社長、堀江貴文氏は「金で買えないものはない」と言って非難されていましたが、「金で買えないものは少ない」ということは確かでしょう。

    人間関係的豊かさは、個人対個人の関係です。私には2人の妹がいます。一卵性双生児ですが、2人のうちどちらが大事ということはありませんし、それぞれ違う関係性を持っています、両親についても、個々の関係だと思います。もちろん、友達もそれぞれ他に替えられない唯一の存在です。

    社会的豊かさは、個人対不特定多数の関係です。「世間」は、多くの人の集合として成り立つので、大きな力を持つのですが、「世間体を気にする」「世の中に迎合する」というのはあまりいい意味ではありません。人間の「社会性」を考えると、もっと優先されても良さそうなものですが、社会的豊かさを優先する、つまり地位や名誉を重んじる人は「人間的ではない」と思われたりします。

    社会的に上位のポジションにいた方が得なことは多いし、自分の意見も通りやすくなります。目的があれば、地位や名誉を得ることは決して損ではありません。

    問題は、お金にしても地位にしても、それ目当てで寄って来る人が増えるので、相対的に人間関係の汚さが目に付くことがあるようです。また、本来の目的を見失い、金や名誉を優先してしまう危険性もあります。

    政治家の汚職事件や贈収賄事件を見ると、最初は理想に燃えていたのに、理想を実現するための資金が必要になり、そのうちお金が目的になってしまった人もいるようです。

    そういうわけで歌になるのは「人生はお金じゃない、地位や名誉でもない」という歌詞の方が多いと思います。

    ところが、この曲は、3種類のすべてが満たされても不安や寂しさが消えないと歌います。

    そう書くと、寂しいのですが「何があっても満足できないことが分かったこと」が良いと主張しています。最後はこう終わります。

    なんだかんだ言いながらも
    今の私は間違いなく 幸せだって思えたんだ

    どんな欲求が満たされても完全には満足できないけど、全体を俯瞰してみると決して悪くはないかな、というのが多くの人の意識じゃないかと思います。これは面白い視点でした。

    2015年1月23日金曜日

    大人はがんばり屋さんです (289/365)

    お父さんが登場する数少ない曲ですが、お父さん、お母さん、大人、と大きなカテゴリの1つでしかありません。お父さんも可哀想ですね。

    お父さん、お母さんも、みんな(子供たち)と同じように「頑張ってるね」と言われたら、もっと頑張れるという話です。

    大人の世界では、近年「MBO (Management by Objective)」といって、目標に対する貢献度で評価しようという動きが出ています。日本語では「目標による管理」と呼ぶことが多いようです。

    「目標管理」という言葉もありますが、目標そのものを管理するわけではなく、目標を設定することで社員を管理することなので「目標による管理」の方が広く使われています。

    「ノルマ」と違い、「目標」は上司と話し合って「自主的に設定」した「主体的な進捗管理」が特徴です。しかし、現実には上司から押しつけられた目標が多く、あまり機能していないようです。

    また、「結果さえ良ければいい」と、作業品質が低下したり、柔軟性に欠けたりします。あらかじめ目標として設定しておかないと、決して達成されないからです。

    子供の場合は「成果をほめてはいけない」という意見もあります。たとえば、テストの点数をほめると「点数さえ良ければ何をしてもよい」あるいは「テストの点が低いと自分の価値が失われる」と思うからだそうです。

    結果ではなく、過程をほめることで努力することの大切さを学び、結果が悪くても人間性まで否定されるわけではないことを理解するということです。

    大人でも同じようなことが言われていますが、仕事の場合は「結果がすべて」という面もあるので「頑張ったから許してください」は通じません。

    上司は、顧客に対する責任もありますから「頑張った」こと自体を評価するのは難しいでしょう。せめて、同僚くらいは努力を評価してあげたいものです。

    プロのミュージシャンなんかも、結局は「どれだけ売れたか」が評価のポイントだったりしますが、ファンとしては「どれだけ頑張ったか」を評価してあげたいものです。

    『歌・こよみ365』は、1年間で365曲を作るだけじゃなく、伴奏を付けて録音し、CDとしてパッケージするという偉業ですが、受注生産だったため、売り上げや露出度には大きな影響を与えていないはずです。

    365曲のパック『完全版』の他、アルバムが1年間で5枚(早春編、春編、Women、Real Intention、秋編)出ていますが、一般販売はほとんどされていません。武道館ライブのプロフィールが「CD売上総数8万枚」とされており、最近は「10万枚」になっているので、その差2万枚が「歌・こよみ365」の5枚と、2014年7月に発売されたミニアルバム「なりたい自分になるまで」、そして旧アルバムの売り上げと推定されます。つまり、アルバム1枚あたり3,000枚から4,000枚ということになります。簡単な数字ではありませんが、大ヒットとも言えない枚数です。

    冷静に考えると、1年間で365曲というのはとんでもない数字です。だから、営業成績とは関係なく、ファンとしてはその努力を称賛したいし、多くの人に広めたいと思っています。

    このブログもそうした気持ちで開設され、ドメインも取得しました。問題は、ブログが面白くないために閲覧者数が大して増えないことで、これはもうひとえに私の責任です。

    あと70曲弱になりましたが、頑張って続けたいと思います。