2015年3月31日火曜日

夢うつつ (356/365)

午前2時を回って終わらない宿題を前に、どうしようか考える歌です。

学生時代は、レポートを出したら終わり、みたいなところがあったので、私もよく明け方まで起きていました。完全に徹夜すると、翌日まったく使い物にならないので、3時間くらいは寝ましたが。

だいたい、「オールナイトニッポン」(午前1時から3時)か、「パックインミュージック」(零時半から3時)を聞いているうちに終わるんですが、ときどき終わらずに「歌うヘッドライト」(3時から5時まで)にずれ込むことがありました。

最後はこうです。

もうちょっと って言いながら 眠りに落ちる

というか、結局、寝落ちしているようです。残念でした。

2015年3月30日月曜日

負けるもんか (355/365)

仕事をしていたら、いろいろ失敗したり、壁にぶつかったりします。でも「負けるもんか」という歌です。

2フレーズ目にこんな言葉があります。

悔しいとか悲しいとか
やるせないとかそんな気持ち
頑張っていたら誰だって
ぶつかるもの でも必要なもの

困ったとき、「自分だけがなぜ」とつい思ってしまいますが、実際には誰だってあるわけです。この曲のいいところは「でも(壁は)必要」というところでしょう。

他にも

積み重ねるんだ こればバネなんだ

という言葉もあります。

実際に、壁にぶつかったとき、なかなかそうは思えないのですが、実際そうなんだろうと思います。

「神様は越えられない試練を与えない」とか「幸せとは、乗り越えられた不幸のこと」とか「より高くジャンプするには、より低くしゃがまないといけない」とか、昔からいろんな言葉があります。

宮崎奈穂子さんの別の作品に「壁と僕」という曲があります(『路上から武道館へ〜Birthday Eve〜』収録)。この曲にも

壁は乗り越えるんじゃなくて 僕を強くするもの

という歌詞があります。これも同じことですね。

もっとも、本当に困っているときは、そういうことはなかなか思えないのが本当のところですが。

2015年3月29日日曜日

「次いってみよう」(354/365)

いけると思った企画書がまったく評価されなかったとき、「才能ないのかな」とか、くさっていてもしょうがない。そういうときに気分を切り換える魔法の言葉が「次いってみよう」です。

私が「次いってみよう」を初めて聞いたのは、ドリフターズのテレビ番組「8時だョ!全員集合」で、1つのコントが終わり、次のコントに移るときに、いかりや長介が言っていた台詞です。ドリフターズのコントは、だいたいドタバタで終わるので、「それまでのことを忘れて、次の話題に切り換える」という印象が強く残っています。

その後は、高校時代に読んだ庄司薫の小説「赤頭巾ちゃん気を付けて」(1969年出版なので、年代的にはこちらの方が先かもしれません)、あるいは同じ著者の長編評論「狼なんか怖くない」のどちらかに、「嫌なことがあっても、それはそれ、『次いってみよう』とやり過ごす」という意味のことが書いてあったと記憶しています。

特に印象に残っているのは後者の方で、どんな深刻なことも「次いってみよう」で切り換えることができるものなんだと思うようになりました。

この2つの使い方から、何があってもそれはそれ、反省はするけど引きずらす「次いってみよう」と思うようにしています。

歌詞にもあるように、「次いってみよう」は魔法の言葉でです。なかったことにするわけではありませんし、反省しないわけではありませんが、必要以上に考えても仕方がないこともあります。それよりも、次にやるべきことをやる、それが大事です。

この歌は、おそらく誰かの応募エピソードだと思うのですが、どういう経緯で「次いってみよう」と思うようになったのでしょうか。ちょっと気になります。


赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)

 
狼なんかこわくない (中公文庫)

2015年3月28日土曜日

結婚記念日おめでとう~お父さんとお母さんへ~ (353/365)

子供から、両親の結婚記念日をお祝いする歌です。

親の大切さというのは、大人になるまでなかなか分からないものです。一人暮らしを始めてありがたさに気付いたのはまだ早い方で、子供が生まれるまで、あるいは子供が大きくなるまで気付かない人もたくさんいます。

この歌の方は、社会人生活にやっと慣れた頃のようです。おそらくは、就職と同時に一人暮らしを始めたのでしょうか。

ところで、結婚記念日といえば、私の両親にはちょっと面白い話があります。

父のプロポーズの言葉は「皇太子さん(現在の天皇)も結婚しゃはることやし、わしらも結婚しょうか」だったそうです。平民出身で、しかも自由恋愛の結果の皇太子妃ということで、世の中は「ミッチー(美智子様)ブーム」で盛り上がっていたとか。1959年の結婚式前にはテレビの売り上げも急増したそうです。

そして25年後、皇太子夫妻銀婚式のニュースを見た母が「ええ、去年と違うの?」と驚きました。前年が銀婚式だと思った両親は、2人で(子供たちにも言わず)食事をしたそうです。1年間違えるというのはよくある話ですが、2人そろって間違えるのは珍しいと思います。

個人的な話で失礼しました。

2015年3月27日金曜日

このまんまじゃ (352/365)

自分ではがんばってるつもりなのに、結果がついてこないのでしょうか。このまんまじゃ自分自身を嫌いになりそう、という歌です。

なんでも後回し 言い訳ばっかり
いつも誰かを 横目で眺めて

と言いますが、たぶん、それは「やらなくていいこと」だからじゃないでしょうか。

いくら面倒でも、風呂には入るし、髭も剃ります(ほとんどの男性は)。

マイクロソフトの共同創業者ビル・ゲイツは、若い頃は風呂に入らないので有名だったそうです。当時、秘書を兼ねていたおばちゃんは風呂に入るように説得するのに苦労したそうです。広報担当者は

ビル・ゲイツは風呂が嫌いなわけじゃないんです、風呂よりも優先度の高い仕事があるだけなんです。

と言ったとか。

「エヴァンゲリオン」などのアニメ監督で有名な庵野秀明氏も、学生時代風呂に入らないので有名でした。彼も、「オレにはやることがあるので、余ってる時間などない。ゆえに風呂になど入らない」と言っていたとか。

この方は、たぶん週に何回かは風呂に入っていると思います。風呂に入れるなら「やらなくてはいけないことを後回しにする」人ではありません。

本当に必要な時期が来たら、正確には「本当に必要だと自分が認識したら」きっとやるべきことをやれるはず。

2015年3月26日木曜日

夢を見て夢を叶えて夢になる (351/365)

何があっても自分の目標を達成するために「誰でもできることを、誰もできなくらい積み重ねる」ことを続けた人の歌です。

ただ、このタイトル、ちょっと不思議な感じがします。

今の自分が、過去を振り返っているのですが、サビの部分はこんな感じです。

夢を見て 夢を叶えて 夢になる
あの日の自分に もし声をかけられるなら
そのまま迷わず進みなさい
ぜったいに大丈夫だからと 伝えたい

後半2行を変えながら、同じフレーズが何度か登場します。

つまり、この人は「夢を叶えた」ということになります。そうすると、ふつうは

夢を見て 夢に向かって 夢を叶えた

という感じになるはずです。それが、夢に向かう過程を飛ばして成功し、その後「夢になる」です。

「夢になる」のというのはどういう意味なんでしょう。「夢が実現する」ということなら、「夢を叶えて」と重複します。

もしかしたら、これは「自分の姿が次の世代の目標(夢)になる」ことかもしれません。

歌詞の最後はこうです。

夢を見て 夢を叶えて 夢になる
あの日の自分に そう かけたい言葉を

次の世代に 今日も届ける
あの日の自分に 聞こえるように

最後は「もし声をかけられるなら」ではなく「かけたい言葉」になり、対象が「次の世代」になっています。次の世代なら、これから声をかけられるので「もし」ではありません。

また、ここだけは「あの日の自分」が、過去の自分ではなく、過去の延長線上にある「現在の自分自身」を指すのではないかと思います。

宮崎奈穂子さんは、歌詞のエピソードやモチーフは教えてくれても、意味を教えてくれることはほとんどないのですが、そのうち何かの話題に出るかもしれません。その時を楽しみにしています。

2015年3月25日水曜日

これくらいの夢なら (350/365)

以前。宮崎奈穂子さんが「絵葉書/絵手紙」を募集していたことがあります。

みなさま^^絵手紙を募集しますっ*

この曲は、おそらくそれに応えて応募されたものでしょう。募集が8月8日、曲の歌い出しが「ある日届いた残暑見舞い」なので時期的にも合っています。

色鉛筆で丁寧にヨーロッパの町並みを描いた絵は、

夏休みに旅行に来たというていで
夢を膨らませて描いてくれたのでです

「これくらいの夢なら いつか必ず叶うはず」
さりげなく書かれたその一文に 強い芯を感じました

ということで、想像のようです。

お金さえあれば、ヨーロッパに旅行に行くのは自分の努力だけでできますが、プロの歌手になるにはお客さんが必要です。お客さんを増やす努力は自分でできますが、時給で働くアルバイトのように、「がんばった分だけ報われる」というわけにはいきません。

実際にはヨーロッパに旅行するだけのお金というのは決して安い金額ではありませんから「これくらい」と簡単に言えるものでもないのですが、きっと歌手になるよりは簡単でしょう。

ちょっと面白いのは、「遊ぶ時j間も惜しんで夢に向かって頑張っている楽しい毎日」ではあっても「お休みが欲しくないわけではなくて」というところです。

ときどき「好きでやってるんだから弱音を吐くな」みたいなことを言う人がいます。好きなことをしているので嫌ではないけど、きついときはあるし、休みたいときもあるでしょう。その気持ちがうまく出ていると思います。

そして「そんな私にとってもぴったりな1枚でした」と続きます。1枚の絵で休んだつもりになって(休んだていで)、次の仕事に向かうのでしょうか。

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2015年3月24日火曜日

しゅわしゅわ (349/365)

毎日の生活の中で、楽しくなったり悲しくなったり、いろんな気持ちがやってきます。それを、不安定と考えずに変化を楽しんでみよう、という歌なのかは分かりませんが

毎日いろんな気持ちとこんにちは

と表現します。

でも、嫌な気持ちはやっぱいr嫌なので「しゅわしゅわ」と、(泡のように)消してしまうのはどうするか。

にこにこ るんるん うきうき わくわく

になるために、「憧れのあの人」ならどうするかと自問します。

それは「大好きなあの人」のことを考えていれば、いつの間にか嫌な気持ちは消えてしまうでしょう。

どんな気持ちも私次第なので、自分の思いをイメージしたらわくわくすると結びます。

ところで、歌詞に出てくる「憧れのあの人」と「大好きなあの人」は同一人物なのでしょうか。別の人物でも筋は通りますが、おそらく同じ人だと思います。

宮崎奈穂子さんの歌詞は、フレーズごとに言い回しを少しずつ変えることが良くあります。同じことを指すのに、表現を変えながら繰り返します。この歌もそういう構造なのでしょう。

ところで「ルンルン」が、「気分が明るく陽気な様子」として使われうようになったのはいつ頃でしょう。

一般化したのは、林真理子デビュー作のエッセイ集「ルンルンを買ってお家に帰ろう」でしょう(1982年)。

1979年に放映されたテレビアニメ「花の子ルンルン」が初出だという説や、その前年(1978年)のアニメ「ペリーヌ物語」のオープニング主題歌が初出だという説もあります。

「花の子ルンルン」の原作者である神保史郎氏は「50音表を見て響きの良い言葉を選んだ」と言っているそうです(Wikipedia「花の子ルンルン」)。

ただし「花の子ルンルン」のドラマ内で「ルンルン」が気分を表すために使われたことはおそらくないはずです。主人公の名前が「ルンルン」なので紛らわしいからです。

また、1970年代終盤には「るん」という言葉が気分を表すためにさまざまな人に使われていたという指摘もあります。私も「るん!」の一言で浮き浮きした気分を表すカットを見たことがあります。もし、これが林真理子の著作や「花の子ルンルン」の影響だったら「ルンルン」になるはずです。

なお、1938年に草野心平が発表した詩「蛙のうた」に「るんるん」という言葉が使われているという指摘もあります。草野心平は、さまざまなオノマトペを多用することで知られているため、この「るんるん」が本当の初出かもしれません。


ルンルンを買っておうちに帰ろう (角川文庫 (6272))

2015年3月23日月曜日

描いてた大人になれたのかな (348/365)

子供の頃に描いていたような大人になれたかな、という歌です。具体的なことは書いていませんが、どういうイメージを持っていたのでしょうか。

背はあんまり伸びなかったけど
格好だけは まあまあ大人になった

というフレーズが印象的です。

もう、だいたい15歳くらいから変わるのは格好くらいで、中身はそんなに変わらないように思います。できることは増えるし、考えも深くなりますが、基本的な性格はほとんど変わらないですね。

大人と子供の違いはいろいろあるでしょうが、一番大きいのは

「自分のことだけを考えているのが子供」
「他人のために働くのが大人」

じゃないかと思います。

思っていた大人とは違うかもしれませんが、毎日仕事をして、お客さんに何かを提供していれば、それは立派な大人だと思います。

2015年3月22日日曜日

「ふれる」ことって (347/365)

夕方の駅前で、スーツの男性が赤ちゃんをだっこしていたそうです。保育園のお迎えでしょうか。スーツで赤ちゃんをだっこするのはなかなか勇気がいりますが(よだれで汚す)、見ている分には微笑ましい光景です。

この曲は、その後「赤ちゃん」ではなく「だっこ」に焦点が置かれ、触れて体温を感じることの大事さを歌います。

言葉よりも大事なこと(触れることを示しているのでしょう)を大事にしたいという歌です。

そういえば、日本には挨拶として人の身体に触れる習慣がありません。それどころか、目も合わせない。宮崎奈穂子さんの初期の楽曲「Hand Hag」では「抱き合うのは日本人には無理だから、せめて両手で握手」という歌詞が出てきます。

でも、握手は本来日本の習慣ではありません。握手しながら、ついお辞儀して(視線をはずして)格好悪い気分を味わった人も多いと思います。

ヨーロッパでは、親しい間だとハグや頬をすり寄せたりしますが、日本だとセクハラレベルです(挨拶としては同性でも行います)。

でも、問題ない間柄なら、身体を触れあって体温を感じるのもいいかもしれませんね。

ああ「ふれる」ことって とっても素敵
体温ってきっと 人を包むためにあるんだ

と歌詞が続き、最後にもう一度お父さんの話で終わります。

ちなみに、コラムを書くとき、冒頭のエピソードをもう一度最後に持ってくると収まりがいいそうです。この曲もそういう構造になっています。

2015年3月21日土曜日

ちぐはぐ (346/365)

心はがんばっているのに、身体がついてこない、「頭と心」や「言葉と心」が「ちぐはぐ」な感じを歌います。

なんて情けない顔してるんだろう 鏡を見てびっくりした
情けなくてしょうがない ひとり ひどい顔

という歌い出しです。そういう話はときどき聞きます。自分でどれだけ疲れているか分からないことがあるようです。

最後は

どっちがどっちなんだか わからないまま

ということで、結論はありませんが、元気を出して欲しいですね。

こういう状態が続くと、確実に身体を壊すので、身体か心のどちらか(または両方)を休めるようにしてください。

2015年3月20日金曜日

お父さんの歌 (345/365)

珍しくお父さんの歌です。

どうやら、自分の父親という意味ではなくて、自分の子供にとっての父親、つまり家族の象徴としての「お父さん」のようです。

昔は、働くことが嫌だったそうですが、家族のためと思えば

こんなにも前のめりで仕事に打ち込む今の自分

になれるということです。

「いってきます」「いってらっしゃい」

「ありがとう」「ごめんなさい」

こういう言葉を毎日交わせる家庭が、幸せな家庭だと思います。

ところで、タイトルは「お父さんの歌」ですが、実際のところ、「自分」が男性なのか女性なのか分かりませんし、子供がいるのかいないのかも分かりません。

自分が女性なら「お父さん」は自分のことですし、女性なら夫のことです。子供はいるようですが、まれに子供がいなくても「お父さん」と呼ぶ人もいるようです。

自分が子供だというのはちょっと考えにくいのですが、可能性がゼロとも言えません。

家族のことを歌っているのに、家族に対する呼びかけが「いってきます」「いってらっしゃい」「ありがとう」「ごめんなさい」しかありません。

家族のことを大事に思っているのに、具体的な言葉が出ないというのは、男性によくいるタイプなので、やはりこの方は男性なのでしょうか。

この歌をきっかけに、もう少し具体的な言葉が出てくればいいですね。

2015年3月19日木曜日

ストレイト (344/365)

どの業界なのでしょう

憧れていた世界 飛び込んだら
想像してたより つらいこともあって
ちょっとひるんでいるところです

どんな業界でも、外から見たのと違う部分があるでしょう。それでも逃げず「ストレイト」に進むんだ、という歌です。

力強い決意表明に、ちょっと申し訳ないんですが、

逆走でも 止まっちゃうよりずっといい

という歌詞を聞くと、つい思い出してしまいます。宮崎奈穂子さんが電車を間違えるところを。

どんなツイートより、電車の方向を間違えたときの反応が一番大きい」というのは本人の弁です。

たとえばこんな感じです。

東京マラソンに向けての練習帰りだったのでしょうか。

これは乗り過ごしですが、Facebookでは「逆の電車に乗ったので、開始時間を遅らせます」という伝言もしばしばあります。

単に「遅れます」でいいと思うのですが、「逆走で」と書いてしまうのが面白いところです。

2015年3月18日水曜日

どうしてこうなんだろう? (343/365)

伝えたいことがあるのに、うまく伝えられない女の子の歌です。

どうしてこうなんだろう?
こんな私変えたいんだよ
でも本当は こんな私のまま
受け入れられたら …だめかな…

と、最後はこんな風に終わります。

人間は社会生活を行う動物であり、種としての生存戦略は「みんなで助け合う」です。かつての身分制度などは、「みんなで助け合う」ようには見えませんが、実は同じ階層内では平等性が高く、身分制度は「価値の上下」ではなく「社会役割の違い」という説もあります。

もちろん、現代社会では「自分の意志に反した社会的役割の強制」は「差別」と考えられており、「良くないこと」とされています。たとえば、よく知られているように「女性差別撤廃条約」は「一切の差別と区別を禁止」とうたわれています。本人の意志に反する場合は、たとえ「区別」であっても「差別」と同じく、「良くないこと」と考えるのが国際社会の常識です。

一方、社会の中で、自分が承認されることは、「他の誰でもない自分自身の存在」をアピールすることになり、社会の中で生存できる可能性が高まります。

つまり人間にとっての「承認欲求」は、生きることと同じくらい大事な意味を持ちます。ですから、承認欲求を否定することはないのですが、度を超えてしまうと自分が生きにくくなります。

実際のところ、みんながみんな他の人に分かってもらえている(承認されている)わけではありません。

クラスの人気者であっても、多くの人は表面的な部分しか見ておらず、その人の内面を評価しているわけではありません。むしろ、人気のある人ほど自分を見てもらえないくらいです。

テレビに出てくるタレントは、売れていればいるほど「あの人はこういう人だ」というイメージが強くなると思います。でも、実際に会って話した人はあまりいません。みんなバラエティ番組での対応や、ブログの内容から勝手に評価しているだけです。

「分かって欲しい」というのは、本当はとても贅沢な欲求です。「他の人も、自分のことを分かってもらっていないから、自分だけが、自分を分かって欲しいと思うのは贅沢だ」と思えば、少しは気が楽になりませんか。

それともう1つ。多くの恋愛は
あなたをもっと知りたいの(あなたが分からない)
からスタートして
あなたってそんな人だったのね(あなたのことが分かった)
で終わります。

もちろん、そこで「分かった」と思うのは勘違いなんですが、「分かった」と思われてしまった時点で終局を迎えるというのは面白い現象です。

そういうわけで「分かってもらう」ことにこだわらない方が楽なんじゃないかと思います。それよりも、「何かの役に立つ」ことで関係を保った方が、結果的に自分のこと(ある一面ですが)を知ってもらえるような気がします。

2015年3月17日火曜日

「がんばってるね」 (342/365)

自分が立てた目標に向けて、自分で決めた行動をやっているだけであっても、「がんばってるね」と言われたらうれしいという歌です。

「大事なのは結果」「人にほめて欲しいなんて子供」そう思っていたけど、過程を認めてもらったら素直にうれしいと歌います。

しかし、承認欲求というのは死ぬまであるものです。むしろ、歳とともに大きくなるかもしれません。

また、「結果が大事」と言いますが、実際に人の心を動かすのは「過程」です。お金が入るのは「結果」に対してですが、似たような「結果」であれば「過程」を重視する人はたくさんいます。

「モーニング娘。」の人気は、オーディションからデビューまでのドラマを描いたからだという説があります。

かつてのNHKドキュメンタリー番組「プロジェクトX」も、プロジェクトの持つドラマ性のために高い視聴率を達成しました。

いずれも、ドラマとしての過程と、結果の両方がそろっているから高く評価されたとされています。

ただ、人が評価されてうれしいのは、どうやら過程のようです。

「も」(239/365)』や『カタクナじゃなくて、やわらかく。(251/365)』も参照してみてください。

2015年3月16日月曜日

ひとつのケーキ (341/365)

1軒のケーキ屋さんが始めた「夢ケーキ」についての曲です。

公式サイトでは、夢ケーキのコンセプトをこう紹介しています(夢ケーキってどんなことをするの?)。

夢ケーキ、それは子供達に自分の持っている夢の絵を描いてもらい、その子供達の夢の絵をパティシエ達が本物のケーキにして子供たちにプレゼントするイベントです。

  1. お子様に、お父さんやお母さんと一緒に家族で夢について語り合ってもらい、その夢を絵に描いてもらいます。
    (将来の夢やビジョンのイメージ化、明確化、共有化)
  2. その絵をお預かりした菓子屋(パティシエ)がその絵を忠実にケーキとして再現します。
    (菓子屋で働く人の技術の向上、働く意義の組織浸透化)
  3. そのケーキをご家族にプレゼントします。
    (夢が形になることの可視化、さらなる家族団欒の提供)。

宮崎奈穂子さんが主題歌を歌う「神戸在住」(映画およびテレビドラマ)では「しんどいときには甘い物」という意味の台詞が登場します。特にケーキは、その豪華さもあって特別な効果があるように思います。「ケーキに夢を描く」というのは楽しい企画だと思います。

「夢ケーキ」と宮崎奈穂子さんとの出会いは、どうやらラジオ番組のようです。

2012年10月30日、武道館コンサートを控えた宮崎奈穂子さんが「ドリプラジオ」という番組に出演します。

ドリプラジオ」は、未来の世界を変える人たちを紹介し、夢に向かって頑張っている人たちを応援する番組で、宮崎奈穂子さんは「武道館を満席にする夢」というテーマで出演されました(10月30日のほっとけNIGHT!ドリプラジオは宮崎奈穂子さんです。)。

それに先立つ10月2日に、清水慎一さんというパテシエの方が出演されました(10月2日のほっとけNIGHT!ドリプラジオは清水慎一さんです。)。

清水さんが始められた「夢ケーキ」は、現在「NPO法人ドリームケーキプロジェクト」として、多くの活動をしていらっしゃるようです。

Webサイトの最終更新は、2012年10月で止まってるようですが、Facebookページ(夢ケーキドリームケーキプロジェクト)には2015年のイベントも掲載されています。

ブログが登場してから、公式Webサイトの更新がなおざりになっているところが増えました。Facebookはブログよりもさらに簡単なため、ブログの更新が滞りがちです。

専任の担当者を置けない組織では仕方ないことですが、せめて「日々の更新はFacebookに移行しています」くらいはあった方がいいかもしれませんね。


世界夢ケーキ宣言!

2015年3月15日日曜日

家族~Wedding Song~ (340/365)

結婚式の曲にしては、ちょっと変わった感じです。

おじいちゃんを越える経営者になるんだ

という歌い出しなので、創業3代目なのでしょうか。あるいは、もっと長く続いている会社だけど、知っている中で最高の経営者がおじいちゃんなのでしょうか。いずれにしてもお父さんの仕事は何でしょう。同じ会社だとしたら、立場がないですね。

徳川家も、江戸幕府初代将軍家康と、3代将軍家光にはさまれて、秀忠の影は薄いようです。何しろ名前からしてちょっと変わっています(豊臣秀吉に養子に出されたためです)。

2代目は、初代が現役の状態で仕事を引き継ぎますから、何かとやりにくかと思いますが、実際には初代の方向を正し、次世代につなぐ大事な役目を担います。

徳川秀忠も、大きな業績がないように思われていますが、実際には公家諸法度や武家諸法度を制定し、江戸幕府の基盤を作りました。

話を戻しましょう。

結婚式の歌ですから、もちろん両親のことも登場します。全体に「家族の絆」を強く歌った曲になっています。

同族経営の会社の場合、家族の絆というのは対外的に非常に重要であり、2代目や3代目の結婚式も盛大になる傾向にあります。この曲は、そういうお披露目の会を歌ったのでしょうか。

ちなみに、私の同級生が家業を継ぐために退職し、直後に行われた結婚披露宴は、同業者はもちろん、商工会議所や議員など多くの人が出席し、我々同級生は死乗る新婦の姿もはっきり分からない後方の席でした。まだまだバブルのなごりがあった頃ですが、それにしても盛大な披露宴だったことを覚えています。

2015年3月14日土曜日

大事なのは未来のあなたが笑ってること (339/365)

就職活動をサポートする場「就トモCafe」の歌です。就トモCafeについては、宮崎奈穂子さんのブログ記事「「路上から武道館へ」が「就トモcafe」テーマソングに!!」をご覧ください。

また、2012年9月28日にはこんなイベントもあったようです。
[イベントレポート]総勢70名以上の学生&社会人が参加したバリスタ主催の初企画!バリスタバー@就トモCafe

就職活動については、いろいろ言いたいことがあるのでいつもと文体を変えてお届けします。


就職活動に頑張っている方の努力には敬服するが、昨今の就職活動は少々異常である。

大学生の本分は学業であり、その集大成が卒業論文である。通常、卒業論文は4年生の4月にテーマを決め、夏から秋にかけてデータの分析や考察を行い、12月から1月にまとめるものである。

ところが、最近の就職活動は3年生の1月頃からスタートし、4年生の春には終わっている。卒業論文のテーマも決まっていないのに、卒業後のスケジュールが決まるわけだ。

これから担当するプロジェクトがスタートしたばかりで、詳細が決まっていない状態の時、その次のプロジェクトの調整に忙しくしているメンバーがいたら、他の人はどう思うだろう。「今の仕事にやる気がない」と思われても仕方がない。今の仕事に全力で打ち込めないような人を、企業は本当に欲しいのだろうか。

私が4年生の頃は、4年生の4月以前に会社にコンタクトをすると「ルールを守れない奴」ということで無条件に落とす会社もあった。しかも、学校の就職課にクレームが入り、最悪の場合は、その年にその学校からは一切採用しない可能性すらあった。

もっとも、当時の就職協定は夏に就職活動解禁だったのに、実際の活動はゴールデンウィーク明けから行われていたわけだし、4月から会社訪問を受け入れている会社もあった。つまり、ルールはルールでも「暗黙のルール」だった。

就職協定は1953年に開始し、廃止と復活を繰り返している。1986年から1996年まで続いた協定は「8月20日会社訪問解禁、11月1日内定解禁」だった。実際には早いところで4月、通常は5月から6月に会社訪問を行い、8月には内々定が出ていた。

「4月にコンタクトしたら失格」としていた企業も夏休みには内々定を出しており、「ルール違反者は不要」という言葉に説得力はない。

こうした実情を見て、経団連が「どうせ守れないルールなのだから、就職協定を廃止する」と言い出した。就職活動が長期化したのはこの頃からである。

さすがに問題が出てきたのか、2016年卒業者からは、経団連の申し合わせで「会社説明会解禁は3年生の3月、選考活動は4年生の8月、内定は10月」となった(採用選考に関する指針)。これは1980年代の実態に近いスケジュールであり、現実的だと思われる。

しかし、本当にこれで落ち着くだろうか。

どんなものでも「行き過ぎて役に立たなくなったら末期の証拠」という説がある。

アンモナイトは、絶滅直前になって殻が異常な巻き方になった。これは「進化末期の奇形」と考えられていた(現在は異説もある)。

江戸末期、武士社会の終盤に登場した「新撰組」の大半は武士階級出身ではなかったが、武士以上に武士にこだわり厳しい規則で縛った。違反者は粛正されることもあり、どのみち自滅したという見方もある(ちょうど1970年代の過激派「連合赤軍」の末期のようなものである)。

厳しい就職活動も、間もなく「新卒で会社に就職する」というスタイルが終了する前兆だと考える人もいる。そもそも、大学を出てすぐに会社に正規雇用されるスタイルは1960年代以降にできたもので、それ以前は違った。多くは指導教授の口利きで入社したり、インターンとして採用されたあと正社員になったりした。全員が4月入社というわけでもなかった。

この曲「大事なのは未来のあなたが笑ってること」では、就職活動で大事なことは就職そのものよりも、就職活動を通して「自分が働くこと」の意味をしっかり理解することが大事だと歌う。

別に、就職活動に異議を唱えるわけでも、社会のあり方を憂うわけでもなく、純粋にそう考えているのだと思うが、必ずしも「就職活動=就職準備」ではないとしているところが面白い。

前述の通り、そもそも「新卒で就職」というスタイル自体が消滅するという説もある。おそらく、今後は「インターン(訓練生)」という形で仕事を始めることになるだろう。

インターンが、「在学中のアルバイト」として行われるのか、卒業後の「就職浪人のアルバイト」になるのかは分からないが、戦前の日本や他国の状況を考えると、両方だろう。年輩の優秀なエンジニアの略歴を見ると、どちらのパターンも同じくらいあることが分かる。

そういうわけで、過去の状況や現在の経済事情を考えると「新卒就職」という道にこだわる必要はないし、コネに頼るのもまったく悪くない。就職活動は、自分を見つめるためにした方がいいが、就職できなくても悲観する必要はまったくないのである。

就職活動については「書評『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』(岡田斗司夫FREEex)」でも取り上げたので、興味のある方はご覧いただければ幸いである。


僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない (PHP新書)

2015年3月13日金曜日

理由 (338/365)

損得なしに付き合える人、というより人生の先輩のような感じの方を歌った曲です。

人が成長するときは、さまざまな人の助けを借ります。仕事上の指導者はもちろん、仕事を離れた先輩、ときには後輩からも助けてもらいます。

行き詰まったときは、仕事上の付き合いがない人の方が、新鮮な発見があったり、素直にアドバイスを聞けたりするのかもしれません。

「路上から武道館へ」では

今こうして 目の前にいるあなたのことも
さよならしてすれ違っていった人たちも
みんな 私を作ってる

と歌います。

もちろん、それはその通りなのですが、大きな影響を与える人はもっと身近な人でしょう。

この曲は、自分が今の場所にいるのは、励ましてくれたり、見守ってくれたりした「あなた」のおかげとしています。

タイトルの「理由」という言葉は歌詞に出てきませんが、「私が今ここにいる理由」ということなのでしょう。

▲武道館ライブの直前に出た朝日新聞の記事のデジタル版に含まれた動画

2015年3月12日木曜日

思いの力 明るさの力 (337/365)

人ひとりの力は小さいから何の意味もないと思っていたけど、自ら行動する人に出会って考えが変わってきたそうです。

行動には、言葉では説明できない力があります。

そんな歌です。

逆に、どんなに言葉が豊かでも行動が伴わない場合は信用されません。でも、行動だけでは伝われないこともあるので、言葉もやはり重要です。

結局、両方大事だということですね。

2015年3月11日水曜日

がんばり屋さんのひと休み (336/365)

「歌・こよみ365完全版」のみに含まれている曲がライブなどで披露されることはそれほど多くありません。

この曲は、2014年6月14日(土)に恵比寿リキッドルームで行われたソロライブで披露されています。このライブのタイトルが「NatuRaL~がんばり屋さんのひとやすみ~」でした。簡単なレポートが「宮崎奈穂子さんワンマンライブ(恵比寿リキッドルーム)」にあります。

宮崎奈穂子さんご本人のブログは「6/14(土)ワンマンのお知らせ^^(当日のグッズ&撮影&行き方について)」などをご覧ください。

単に歌うだけでなく、ライブのテーマになっているくらいですから、曲に対する入れ込みようが分かります。

休みは休みでも「がんばり屋さんの」がポイントなんでしょうね。

ところで、手元のメモではライブで「がんばり屋さんのひとやすみ」を歌ったことになっているのですが(ワンマンライブ@初リキッドルーム、ありがとうございました*)、宮崎奈穂子さん発表のセットリストは「がんばらない日」になっています。かなり前なので確かめようもないのですが、本人が間違えるとは思えないので、私が間違えたのでしょう。どちらの曲も知っているのですが、頭の中でタイトルが変換されてしまったみたいです。

「がんばり屋さんのひと休み」は、開演前にかかっていたと思うので、どこかで記憶が混じったのでしょう。

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▲恵比寿リキッドルーム

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▲恵比寿リキッドルームでのライブに贈られたお花

2015年3月10日火曜日

100% (335/365)

「なりたい自分」になるため、100%力を出し切ろうという歌です。

自分に対して、チャレンジを要求していますが、一方で「自分を大切にしよう」ということも呼びかけています。

ここに

「愛」って本当は動詞だったんだね

という歌詞が登場します。

愛 (333/365)」には「愛は行動」という台詞がありますが、それと呼応するようです。

アップテンポで、元気のいい曲です。

2015年3月9日月曜日

「好きなことを仕事にする」(334/365)

「好きなことを仕事にする」は賛否両論ですが、少なくとも嫌いなことを仕事にするのはおすすめしません。

一般には「できることを仕事にする」と言います。できることをしているだけで、人から感謝され、さらにできるようになり、そのうち好きになる、という好循環があるからです。

好きなことからスタートしても、それがお客さんの求めているものではない場合があるので、失敗することが多いそうです。

もっとも、私は「好きなことを仕事にする」賛成派です。「一番好き」でなくてもいいんですが、「好き」と言える仕事でないと打ち込めないと思います。

歌にもありますが、やってみたいことは何でもやってみたらいいと思います。「こんな仕事は無理だろう」と思っていても、案外成立したりします。

たとえば、「じゃあどうしようか? (70/365)」でも紹介したデザイナーシンガーMOBACO.さんは、ステージ衣装を主に作って、たまに自分も歌っています。

最近は、アイドルユニットが数多く出ていますが、アイドルが着るような衣装はそこらへんで売っているわけではありません。70年代のアイドルは、お母さんが手作りしていたという話も聞きますが、最近は洋裁のできる人も減っています。

そこで、アイドル衣装を受注制作する仕事を始めたそうです。個人営業なので、少々リスクはありますが、比較的安価に制作してもらえますし、デザインもお任せできます。

こんな仕事が成り立つのかと思いますし、実際に、今のところは副業もしているようですが、やりたいと思ったら、まずやってみることは大事です。駄目だった場合の撤退先も考えておくべきでしょうが、まずは好きなことを見つけることです。

人間に与えられた最大の才能は「好き」という気持ちだそうです。テクニックは練習で補えますが、「好き」という気持ちだけは練習できません。好きだから続けられる、好きだから耐えられるというのは大きいと思います。

やはり、「一番好き」ではなくても「好きなことを仕事にする」ことが得策ではないでしょうか。

この仕事が好き(207/365)」にも通じる歌です。

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▲MOBACO.さん(もちろん自作衣装)

2015年3月8日日曜日

愛 (333/365)

「愛」についての歌です。

いろいろな表現が出てきますが、中でも

愛 それは定義じゃなくて
全身全霊で行う行動なんだと

という言葉が印象的です。別の歌に「愛って本当は動詞だったんだね」という歌詞があります。

また、最後に

愛 愛されることを求めるんじゃなくて 愛すること

とあります。

「愛」は動詞、主語は自分、ということですね。

引用した歌詞の最初の「愛」は、「あーああい」と単独で感動詞のように使われます。なかなか印象的で、いい曲でした。

2015年3月7日土曜日

お父さん、お母さん (332/365)

両親に対する感謝を伝える歌です。結婚式の歌についているサブタイトル ~Wedding Song~ がないので、少なくとも「式」の歌ではありません。でも、結婚式で歌っても良さそうな曲です。

お父さん お母さん 私、家を出て
大人になって 仕事を持って2年経って

なので、進学のために家を出てから就職したのでしょう。おそらく20代半ばです。

友達の結婚や 出産の話も 聞くようになった

というのは少し早いですね。どうも自分は結婚しておらず、子供もいないようです。

でも、20代半ばで両親に感謝できるのは偉いですね。私はもう少しかかりました。

ふたつのアイス いつも私に
選ばせてくれてありがとう

些細なことですが、これはいい話です。でも、なんで2つなんでしょう。きょうだいがいたとしても3つあるはずなんですが、もしかしてお父さんが一番に取ったとか?

どんなに遅く帰っても
ご飯用意してくれてありがとう

これはいい親御さんですね。我が家はときどきご飯がありませんでした。外で食べるときに、きちんと伝えていかない日が何度かあるとそうなります。一緒に住んでいるのだから、外食するときや帰宅が遅くなるときはちゃんと伝えましょう。今ではとても反省しています。

そして

大晦日には お土産もって 帰るから

で終わります。

盆と正月に帰省するのは、とてもいい習慣だと思います。近くに住んでいても、年に2回くらいは両親に顔を見せたいものです。

2015年3月6日金曜日

幸せの形 (331/365)

自分で選んだ道だけど、他人のことがうらやましくなったり、誰かに認めてもらったりしたいことはあります。

「幸せの形」は人それぞれ違うので、本当は他人と比べることもできないし、他人に認めてもらう必要もないはず。そう思っていても、割り切れないものです。

この歌で面白いのは

幸せの形は まるさんかくしかく?

という部分です。本来「幸せの形」というのは、スタイルの意味であって、形状の意味ではありません。それをわざと「○、△、□」と並べることで、視覚的な効果を与え、聞き手に新鮮な印象を与えています。

最後はこうなります。

ありたい自分になるための日々を 貫きたい
顔を上げて笑顔作って 今日も街へ

宮崎奈穂子さんの曲によく出てくる「なりたい自分」ではなく、「ありたい自分」です。通常「なりたい自分」は将来の姿ですが、「ありたい自分」だと現在の姿になります。ただし「なるための日々を貫く」ということなので、現状では十分ではなく、将来に向けての継続的な努力が必要なようです。

現在を肯定し、維持するために努力をする姿勢は、「揺らいでも 揺らいでも (329/365)」で書いた「価値観型」の目標かもしれません。

つまり、

  • なりたい自分 = ビジョン型
  • ありたい自分 = 価値観型

なのかもしれませんね。

2015年3月5日木曜日

今日はさぼっちゃおう。(330/365)

タイトルがこれなんで、今日はさぼっちゃおうかと思いましたが、今日も書きます。

「歌・こよみ365完全版」を出した頃から、宮崎奈穂子さんは「がんばっている人が、ほっと一息付けるような曲」ということをときどきおっしゃっています。

この曲も、普段がんばっていることが前提での「今日はさぼっちゃおう」です。

限界を決めるなって言うけど もう限界かも

それくらいがんばっている人だけが言える「今日はさぼっちゃおう」です。

ときどき入る「ららら」という歌詞が、「よし、今日はさぼろう」と決めたときの気持ちを表していて、とてもいい感じです。

もっとも、本当にがんばっている人は、たまにさぼっても半日もすれば不安になって、仕事をしたりするようです。

さぼるときは、きちんとさぼらないと、さぼった意味がないですね。

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2015年3月4日水曜日

揺らいでも 揺らいでも (329/365)

割り切るつもりなのに (326/365)」では、ビジョン型のキャリアと、価値観型のキャリアを紹介しました。

この曲は、珍しく「価値観型」の歌です。

自分の目標がよく分からず、

周りの人の顔色見たり 自分の心に嘘ついたり
バランス棒の上を 歩き続けるように生きてきた
どこまで続けたら どこにたどり着くんだろう?

と悩みます。

「自分の心に嘘をつく」のは不誠実なようですが、これは「周りとの関係を、自分よりも重視したい」という意志の表れであり、「嘘をつく」というネガティブな意味ではないはずです。

その場その場で状況を判断する「価値観型」は、目標に向かって進む「ビジョン型」に比べて分かりにくいため、自分を卑下する人も多いようですが、そんな必要はありません。

風が吹く度 心は揺れる それでも 歩き続ける
揺らいでも 揺らいでも
見えない何かを信じて 歩き続ける

というように、明確なゴールがないので、休みなく歩き続けることができると考えた方がいいのではないかと思います。

ところで、歌詞の中に「バランス棒の上を歩き続ける」というフレーズがあります。

平均台のようなものでしょうか。「バランス棒」で検索すると、いくつか出てきますが、どれも自分がバランスを取るもので、上を歩くものではないみたいです。

2015年3月3日火曜日

そんな場所になりたい (328/365)

最終電車で

体内電池を使い果たして 座り込む背広の男性
泣きはらした目で携帯を打つ女性

みんな昼間はがんばっているので、気がゆるむようです。

最寄り駅から家までの距離(159/365)」では、電車の中は耐えられたようですが、この曲は電車に乗った時点で駄目だったようです。

社会じゃ通用しないでしょ
そんな甘えはなしでしょ

と言われているみたいですね。

仕事は努力ではなくて、結果だと言いますが、努力も見て欲しいものです。

がんばってること ありがとうって
自分に言える場所 誰かのそんな声が聞こえる場所
私はそんな場所に なりたいと思うのです

誰も認めてくれなくても、自分は努力したことを知っています。せめて自分だけは、自分のことを評価したいものです。そして、同時に他人の努力も認められるような人間になりたいものです。

結果が出ないのは、目標が高すぎるか、やり方が悪いか、努力が足りないかであって、その中のいくらかは自分の責任です。それでも、努力したことには違いないし、その努力を否定することは出来ないと思います。

そんな歌です。

2015年3月2日月曜日

割り切るつもりなのに (326/365)

自分の信じる道を進むため、割り切ったつもりなのに、もやもやする。

「もやもや」は、「なりたい自分」に並ぶ宮崎奈穂子キーワードじゃないかと思います。その名の通り「もやもや」という曲もあります。

人間の指向には「ビジョン型」と「価値観型」があって、目標型は設定したゴール(ビジョン=見通し)にまっすぐ進んでいくスタイル、価値観型はその場その場で自分の価値観に従って適切な判断をするスタイルだそうです。

「ビジョン型」の典型的な目標は「なりたい自分」です。宮崎奈穂子さんは明らかにビジョン型ですね。

一方、価値観型は、長期的な目標を設定しないため、はっきりした目標がありません。しかし、「やりたいこと」「大事にしたいこと」はたくさんあります。そこに優劣付けられません。そこで短期的な目標をたくさん設定するのがいいそうです。

さて「もやもや」です。

「なりたい自分のために、やるべきこと」を設定したら、「今したいこと」を犠牲にしなければならないこともあります。宮崎奈穂子さんの代表曲「路上から武道館へ」時は「恋も遊びもやめて」というフレーズがあります。

恋はともかく、遊んでいる宮崎さんはなかなか想像できないんですが、そういう歌詞です。

これは想像ですが、長期的なビジョンのために、今は自分の価値観に反することもしなければ鳴らないこともある、そういう葛藤が「もやもや」じゃないかと思います。

たとえば

「武道館でライブをするには15,000人のファンを集めなければならない」

「15,000人集めるには、少しくらい強引でも自分をアピールしなければいけない」

「それは、今、自分がしたいことだろうか」

という「もやもや」です。

シンガーソングライターや画家など、自己表現が仕事の人は少々強引な方がいいと思いますが、「自分を売り込むこと」が目的ではなくて、「自分の作品を多くの人に受け取ってもらえること」が本来の目的なわけで、両者は微妙に違います。

でも、黙っていて売れるわけはなく、ある程度強引な売り込みは絶対に必要なことだと思います。

一方で、だからといって何をしてもいいわけでもないわけで、これからも「もやもや」しながらがんばって欲しいと思います。

2015年3月1日日曜日

お気に入りの色を乗せて (326/365)

ネールサロンの歌です。

きれいになりたい かわいくなりたい 自分へのご褒美
いろんな理由で 女の子達は ここにやってくる

という言葉で始まり、

爪の先に魔法をかける

という言葉で、ネイルサロンだということが分かります。

そして、

爪の先見つめて 可愛くなった 素敵になったって
喜んでくれる笑顔が 私の一番のご褒美

という言葉で、ネイルサロンを歌った曲だということが分かります。

そこで検索してみたら「NYNYマネージャー 小崎昌平Blog」がヒットしました。

2013年9月8日に「路上で詩う…」というタイトルで、宮崎奈穂子さんの著書「拝啓 路上ミュージシャンの宮崎奈穂子です。」が紹介されていました。

「歌・こよみ365」制作時期なので、この方の歌かもしれませんが、違うかもしれません。

2013年12月31日には「2013年の感謝」として、同じ事務所(当時)の伊吹唯さんについても触れられていますので、可能性は高いと思います。

ところで、多くの男性はネイルアートにほとんど興味がありません。「嫌いだ」と思っている女性もいるようですが、単に興味がないだけです。

女性のおしゃれは、基本的に自分のためのだそうですが、気付いたら感想を言ってあげたいものです。かくいう私も、取引先の女性に「爪を見て、何かしてあったら必ずほめろ」と指導されました。皆さんもぜひほめて上げてください。

宮崎奈穂子さんも、それほど派手ではありませんが、爪はきれいにしていらっしゃいます。

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ところが、どういうわけか先日ネイルアートをお休みするという発表がありました。


拝啓 路上ミュージシャンの宮崎奈穂子です