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2015年3月29日日曜日

「次いってみよう」(354/365)

いけると思った企画書がまったく評価されなかったとき、「才能ないのかな」とか、くさっていてもしょうがない。そういうときに気分を切り換える魔法の言葉が「次いってみよう」です。

私が「次いってみよう」を初めて聞いたのは、ドリフターズのテレビ番組「8時だョ!全員集合」で、1つのコントが終わり、次のコントに移るときに、いかりや長介が言っていた台詞です。ドリフターズのコントは、だいたいドタバタで終わるので、「それまでのことを忘れて、次の話題に切り換える」という印象が強く残っています。

その後は、高校時代に読んだ庄司薫の小説「赤頭巾ちゃん気を付けて」(1969年出版なので、年代的にはこちらの方が先かもしれません)、あるいは同じ著者の長編評論「狼なんか怖くない」のどちらかに、「嫌なことがあっても、それはそれ、『次いってみよう』とやり過ごす」という意味のことが書いてあったと記憶しています。

特に印象に残っているのは後者の方で、どんな深刻なことも「次いってみよう」で切り換えることができるものなんだと思うようになりました。

この2つの使い方から、何があってもそれはそれ、反省はするけど引きずらす「次いってみよう」と思うようにしています。

歌詞にもあるように、「次いってみよう」は魔法の言葉でです。なかったことにするわけではありませんし、反省しないわけではありませんが、必要以上に考えても仕方がないこともあります。それよりも、次にやるべきことをやる、それが大事です。

この歌は、おそらく誰かの応募エピソードだと思うのですが、どういう経緯で「次いってみよう」と思うようになったのでしょうか。ちょっと気になります。


赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)

 
狼なんかこわくない (中公文庫)

2015年3月28日土曜日

結婚記念日おめでとう~お父さんとお母さんへ~ (353/365)

子供から、両親の結婚記念日をお祝いする歌です。

親の大切さというのは、大人になるまでなかなか分からないものです。一人暮らしを始めてありがたさに気付いたのはまだ早い方で、子供が生まれるまで、あるいは子供が大きくなるまで気付かない人もたくさんいます。

この歌の方は、社会人生活にやっと慣れた頃のようです。おそらくは、就職と同時に一人暮らしを始めたのでしょうか。

ところで、結婚記念日といえば、私の両親にはちょっと面白い話があります。

父のプロポーズの言葉は「皇太子さん(現在の天皇)も結婚しゃはることやし、わしらも結婚しょうか」だったそうです。平民出身で、しかも自由恋愛の結果の皇太子妃ということで、世の中は「ミッチー(美智子様)ブーム」で盛り上がっていたとか。1959年の結婚式前にはテレビの売り上げも急増したそうです。

そして25年後、皇太子夫妻銀婚式のニュースを見た母が「ええ、去年と違うの?」と驚きました。前年が銀婚式だと思った両親は、2人で(子供たちにも言わず)食事をしたそうです。1年間違えるというのはよくある話ですが、2人そろって間違えるのは珍しいと思います。

個人的な話で失礼しました。

2015年3月27日金曜日

このまんまじゃ (352/365)

自分ではがんばってるつもりなのに、結果がついてこないのでしょうか。このまんまじゃ自分自身を嫌いになりそう、という歌です。

なんでも後回し 言い訳ばっかり
いつも誰かを 横目で眺めて

と言いますが、たぶん、それは「やらなくていいこと」だからじゃないでしょうか。

いくら面倒でも、風呂には入るし、髭も剃ります(ほとんどの男性は)。

マイクロソフトの共同創業者ビル・ゲイツは、若い頃は風呂に入らないので有名だったそうです。当時、秘書を兼ねていたおばちゃんは風呂に入るように説得するのに苦労したそうです。広報担当者は

ビル・ゲイツは風呂が嫌いなわけじゃないんです、風呂よりも優先度の高い仕事があるだけなんです。

と言ったとか。

「エヴァンゲリオン」などのアニメ監督で有名な庵野秀明氏も、学生時代風呂に入らないので有名でした。彼も、「オレにはやることがあるので、余ってる時間などない。ゆえに風呂になど入らない」と言っていたとか。

この方は、たぶん週に何回かは風呂に入っていると思います。風呂に入れるなら「やらなくてはいけないことを後回しにする」人ではありません。

本当に必要な時期が来たら、正確には「本当に必要だと自分が認識したら」きっとやるべきことをやれるはず。

2015年3月26日木曜日

夢を見て夢を叶えて夢になる (351/365)

何があっても自分の目標を達成するために「誰でもできることを、誰もできなくらい積み重ねる」ことを続けた人の歌です。

ただ、このタイトル、ちょっと不思議な感じがします。

今の自分が、過去を振り返っているのですが、サビの部分はこんな感じです。

夢を見て 夢を叶えて 夢になる
あの日の自分に もし声をかけられるなら
そのまま迷わず進みなさい
ぜったいに大丈夫だからと 伝えたい

後半2行を変えながら、同じフレーズが何度か登場します。

つまり、この人は「夢を叶えた」ということになります。そうすると、ふつうは

夢を見て 夢に向かって 夢を叶えた

という感じになるはずです。それが、夢に向かう過程を飛ばして成功し、その後「夢になる」です。

「夢になる」のというのはどういう意味なんでしょう。「夢が実現する」ということなら、「夢を叶えて」と重複します。

もしかしたら、これは「自分の姿が次の世代の目標(夢)になる」ことかもしれません。

歌詞の最後はこうです。

夢を見て 夢を叶えて 夢になる
あの日の自分に そう かけたい言葉を

次の世代に 今日も届ける
あの日の自分に 聞こえるように

最後は「もし声をかけられるなら」ではなく「かけたい言葉」になり、対象が「次の世代」になっています。次の世代なら、これから声をかけられるので「もし」ではありません。

また、ここだけは「あの日の自分」が、過去の自分ではなく、過去の延長線上にある「現在の自分自身」を指すのではないかと思います。

宮崎奈穂子さんは、歌詞のエピソードやモチーフは教えてくれても、意味を教えてくれることはほとんどないのですが、そのうち何かの話題に出るかもしれません。その時を楽しみにしています。

2015年3月25日水曜日

これくらいの夢なら (350/365)

以前。宮崎奈穂子さんが「絵葉書/絵手紙」を募集していたことがあります。

みなさま^^絵手紙を募集しますっ*

この曲は、おそらくそれに応えて応募されたものでしょう。募集が8月8日、曲の歌い出しが「ある日届いた残暑見舞い」なので時期的にも合っています。

色鉛筆で丁寧にヨーロッパの町並みを描いた絵は、

夏休みに旅行に来たというていで
夢を膨らませて描いてくれたのでです

「これくらいの夢なら いつか必ず叶うはず」
さりげなく書かれたその一文に 強い芯を感じました

ということで、想像のようです。

お金さえあれば、ヨーロッパに旅行に行くのは自分の努力だけでできますが、プロの歌手になるにはお客さんが必要です。お客さんを増やす努力は自分でできますが、時給で働くアルバイトのように、「がんばった分だけ報われる」というわけにはいきません。

実際にはヨーロッパに旅行するだけのお金というのは決して安い金額ではありませんから「これくらい」と簡単に言えるものでもないのですが、きっと歌手になるよりは簡単でしょう。

ちょっと面白いのは、「遊ぶ時j間も惜しんで夢に向かって頑張っている楽しい毎日」ではあっても「お休みが欲しくないわけではなくて」というところです。

ときどき「好きでやってるんだから弱音を吐くな」みたいなことを言う人がいます。好きなことをしているので嫌ではないけど、きついときはあるし、休みたいときもあるでしょう。その気持ちがうまく出ていると思います。

そして「そんな私にとってもぴったりな1枚でした」と続きます。1枚の絵で休んだつもりになって(休んだていで)、次の仕事に向かうのでしょうか。

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2015年3月24日火曜日

しゅわしゅわ (349/365)

毎日の生活の中で、楽しくなったり悲しくなったり、いろんな気持ちがやってきます。それを、不安定と考えずに変化を楽しんでみよう、という歌なのかは分かりませんが

毎日いろんな気持ちとこんにちは

と表現します。

でも、嫌な気持ちはやっぱいr嫌なので「しゅわしゅわ」と、(泡のように)消してしまうのはどうするか。

にこにこ るんるん うきうき わくわく

になるために、「憧れのあの人」ならどうするかと自問します。

それは「大好きなあの人」のことを考えていれば、いつの間にか嫌な気持ちは消えてしまうでしょう。

どんな気持ちも私次第なので、自分の思いをイメージしたらわくわくすると結びます。

ところで、歌詞に出てくる「憧れのあの人」と「大好きなあの人」は同一人物なのでしょうか。別の人物でも筋は通りますが、おそらく同じ人だと思います。

宮崎奈穂子さんの歌詞は、フレーズごとに言い回しを少しずつ変えることが良くあります。同じことを指すのに、表現を変えながら繰り返します。この歌もそういう構造なのでしょう。

ところで「ルンルン」が、「気分が明るく陽気な様子」として使われうようになったのはいつ頃でしょう。

一般化したのは、林真理子デビュー作のエッセイ集「ルンルンを買ってお家に帰ろう」でしょう(1982年)。

1979年に放映されたテレビアニメ「花の子ルンルン」が初出だという説や、その前年(1978年)のアニメ「ペリーヌ物語」のオープニング主題歌が初出だという説もあります。

「花の子ルンルン」の原作者である神保史郎氏は「50音表を見て響きの良い言葉を選んだ」と言っているそうです(Wikipedia「花の子ルンルン」)。

ただし「花の子ルンルン」のドラマ内で「ルンルン」が気分を表すために使われたことはおそらくないはずです。主人公の名前が「ルンルン」なので紛らわしいからです。

また、1970年代終盤には「るん」という言葉が気分を表すためにさまざまな人に使われていたという指摘もあります。私も「るん!」の一言で浮き浮きした気分を表すカットを見たことがあります。もし、これが林真理子の著作や「花の子ルンルン」の影響だったら「ルンルン」になるはずです。

なお、1938年に草野心平が発表した詩「蛙のうた」に「るんるん」という言葉が使われているという指摘もあります。草野心平は、さまざまなオノマトペを多用することで知られているため、この「るんるん」が本当の初出かもしれません。


ルンルンを買っておうちに帰ろう (角川文庫 (6272))

2015年3月23日月曜日

描いてた大人になれたのかな (348/365)

子供の頃に描いていたような大人になれたかな、という歌です。具体的なことは書いていませんが、どういうイメージを持っていたのでしょうか。

背はあんまり伸びなかったけど
格好だけは まあまあ大人になった

というフレーズが印象的です。

もう、だいたい15歳くらいから変わるのは格好くらいで、中身はそんなに変わらないように思います。できることは増えるし、考えも深くなりますが、基本的な性格はほとんど変わらないですね。

大人と子供の違いはいろいろあるでしょうが、一番大きいのは

「自分のことだけを考えているのが子供」
「他人のために働くのが大人」

じゃないかと思います。

思っていた大人とは違うかもしれませんが、毎日仕事をして、お客さんに何かを提供していれば、それは立派な大人だと思います。

2015年3月22日日曜日

「ふれる」ことって (347/365)

夕方の駅前で、スーツの男性が赤ちゃんをだっこしていたそうです。保育園のお迎えでしょうか。スーツで赤ちゃんをだっこするのはなかなか勇気がいりますが(よだれで汚す)、見ている分には微笑ましい光景です。

この曲は、その後「赤ちゃん」ではなく「だっこ」に焦点が置かれ、触れて体温を感じることの大事さを歌います。

言葉よりも大事なこと(触れることを示しているのでしょう)を大事にしたいという歌です。

そういえば、日本には挨拶として人の身体に触れる習慣がありません。それどころか、目も合わせない。宮崎奈穂子さんの初期の楽曲「Hand Hag」では「抱き合うのは日本人には無理だから、せめて両手で握手」という歌詞が出てきます。

でも、握手は本来日本の習慣ではありません。握手しながら、ついお辞儀して(視線をはずして)格好悪い気分を味わった人も多いと思います。

ヨーロッパでは、親しい間だとハグや頬をすり寄せたりしますが、日本だとセクハラレベルです(挨拶としては同性でも行います)。

でも、問題ない間柄なら、身体を触れあって体温を感じるのもいいかもしれませんね。

ああ「ふれる」ことって とっても素敵
体温ってきっと 人を包むためにあるんだ

と歌詞が続き、最後にもう一度お父さんの話で終わります。

ちなみに、コラムを書くとき、冒頭のエピソードをもう一度最後に持ってくると収まりがいいそうです。この曲もそういう構造になっています。

2015年3月21日土曜日

ちぐはぐ (346/365)

心はがんばっているのに、身体がついてこない、「頭と心」や「言葉と心」が「ちぐはぐ」な感じを歌います。

なんて情けない顔してるんだろう 鏡を見てびっくりした
情けなくてしょうがない ひとり ひどい顔

という歌い出しです。そういう話はときどき聞きます。自分でどれだけ疲れているか分からないことがあるようです。

最後は

どっちがどっちなんだか わからないまま

ということで、結論はありませんが、元気を出して欲しいですね。

こういう状態が続くと、確実に身体を壊すので、身体か心のどちらか(または両方)を休めるようにしてください。

2015年3月20日金曜日

お父さんの歌 (345/365)

珍しくお父さんの歌です。

どうやら、自分の父親という意味ではなくて、自分の子供にとっての父親、つまり家族の象徴としての「お父さん」のようです。

昔は、働くことが嫌だったそうですが、家族のためと思えば

こんなにも前のめりで仕事に打ち込む今の自分

になれるということです。

「いってきます」「いってらっしゃい」

「ありがとう」「ごめんなさい」

こういう言葉を毎日交わせる家庭が、幸せな家庭だと思います。

ところで、タイトルは「お父さんの歌」ですが、実際のところ、「自分」が男性なのか女性なのか分かりませんし、子供がいるのかいないのかも分かりません。

自分が女性なら「お父さん」は自分のことですし、女性なら夫のことです。子供はいるようですが、まれに子供がいなくても「お父さん」と呼ぶ人もいるようです。

自分が子供だというのはちょっと考えにくいのですが、可能性がゼロとも言えません。

家族のことを歌っているのに、家族に対する呼びかけが「いってきます」「いってらっしゃい」「ありがとう」「ごめんなさい」しかありません。

家族のことを大事に思っているのに、具体的な言葉が出ないというのは、男性によくいるタイプなので、やはりこの方は男性なのでしょうか。

この歌をきっかけに、もう少し具体的な言葉が出てくればいいですね。

2015年3月19日木曜日

ストレイト (344/365)

どの業界なのでしょう

憧れていた世界 飛び込んだら
想像してたより つらいこともあって
ちょっとひるんでいるところです

どんな業界でも、外から見たのと違う部分があるでしょう。それでも逃げず「ストレイト」に進むんだ、という歌です。

力強い決意表明に、ちょっと申し訳ないんですが、

逆走でも 止まっちゃうよりずっといい

という歌詞を聞くと、つい思い出してしまいます。宮崎奈穂子さんが電車を間違えるところを。

「どんなツイートより、電車の方向を間違えたときの反応が一番大きい」というのは本人の弁です。

たとえばこんな感じです。

東京マラソンに向けての練習帰りだったのでしょうか。

これは乗り過ごしですが、Facebookでは「逆の電車に乗ったので、開始時間を遅らせます」という伝言もしばしばあります。

単に「遅れます」でいいと思うのですが、「逆走で」と書いてしまうのが面白いところです。

2015年3月18日水曜日

どうしてこうなんだろう? (343/365)

伝えたいことがあるのに、うまく伝えられない女の子の歌です。

どうしてこうなんだろう?
こんな私変えたいんだよ
でも本当は こんな私のまま
受け入れられたら …だめかな…

と、最後はこんな風に終わります。

人間は社会生活を行う動物であり、種としての生存戦略は「みんなで助け合う」です。かつての身分制度などは、「みんなで助け合う」ようには見えませんが、実は同じ階層内では平等性が高く、身分制度は「価値の上下」ではなく「社会役割の違い」という説もあります。

もちろん、現代社会では「自分の意志に反した社会的役割の強制」は「差別」と考えられており、「良くないこと」とされています。たとえば、よく知られているように「女性差別撤廃条約」は「一切の差別と区別を禁止」とうたわれています。本人の意志に反する場合は、たとえ「区別」であっても「差別」と同じく、「良くないこと」と考えるのが国際社会の常識です。

一方、社会の中で、自分が承認されることは、「他の誰でもない自分自身の存在」をアピールすることになり、社会の中で生存できる可能性が高まります。

つまり人間にとっての「承認欲求」は、生きることと同じくらい大事な意味を持ちます。ですから、承認欲求を否定することはないのですが、度を超えてしまうと自分が生きにくくなります。

実際のところ、みんながみんな他の人に分かってもらえている(承認されている)わけではありません。

クラスの人気者であっても、多くの人は表面的な部分しか見ておらず、その人の内面を評価しているわけではありません。むしろ、人気のある人ほど自分を見てもらえないくらいです。

テレビに出てくるタレントは、売れていればいるほど「あの人はこういう人だ」というイメージが強くなると思います。でも、実際に会って話した人はあまりいません。みんなバラエティ番組での対応や、ブログの内容から勝手に評価しているだけです。

「分かって欲しい」というのは、本当はとても贅沢な欲求です。「他の人も、自分のことを分かってもらっていないから、自分だけが、自分を分かって欲しいと思うのは贅沢だ」と思えば、少しは気が楽になりませんか。

それともう1つ。多くの恋愛は
「あなたをもっと知りたいの(あなたが分からない)」
からスタートして
「あなたってそんな人だったのね(あなたのことが分かった)」
で終わります。

もちろん、そこで「分かった」と思うのは勘違いなんですが、「分かった」と思われてしまった時点で終局を迎えるというのは面白い現象です。

そういうわけで「分かってもらう」ことにこだわらない方が楽なんじゃないかと思います。それよりも、「何かの役に立つ」ことで関係を保った方が、結果的に自分のこと(ある一面ですが)を知ってもらえるような気がします。