ものととには、何事にも裏と表、光と闇があります。
手に入れるということは
失うことでもあるんだ
という歌い出しで始まるこの曲も、そんな言葉で始まります。
全体に弱っていて、心が「ヒリヒリ」する感じはあるものの、具体的には分かりません。そこで、勝手に想像して、宮崎奈穂子さんの武道館単独コンサートについて書いておきます。
2013年に書いた「武道館の祝福と呪い~11月23日(土)宮崎奈穂子さんソロライブ(渋谷AX)の意味」を最後に転載しておきます。
あとで思えば、この時点で事務所の移籍を発表するはずだったのが、事情で(内容は想像できますが書きません)延期になり、中途半端な発表になったのでしょう。
また、記事の最後「これからも、どうか宮崎奈穂子をよろしくお願いします」は、武道館の最後の台詞です。
話をこの曲に戻します。
おそらく、何かちょっとした成功をしたのでしょうが、かえって面倒なことになったのかもしれません。
掴むものがないこの左手 心もとなくて
空(くう)を握って 大きく息を吐く
どうやら、左手に持っていたものを失ったようです。でも、おそらく右手は何かを掴んでいるのでしょう。
さて、ここで解釈が難しいのは左手の意味です。一般に、右と左では右の方が優勢です。日本語でも(中国由来だと思われます)「右に出るものはいない」と右が優位ですし、英語でも右(right)は「正しい」、左(left)は「残り」です。
つまり、普通に読めば「本当に大事なことは右手に残している」となるのですが、宮崎奈穂子さんは左利きです。大事なものは利き手で持つ可能性が高いので、歌詞からはどちらが大事なのかよく分かりません。
実際は大した意味はないのかもしれませんが、ちょっと気になりました。
評論家の岡田斗司夫は「祝福と呪い」という話を良くする。大きな仕事を成功させて、高い評価を得ることは「祝福」だが、成功に縛られて新しい体験ができなかったり、周囲の期待が大きすぎたりするのが「呪い」である。
辞書によると「祝」と「呪」はほぼ同じ意味だったらしい。「兄」は祈りを捧げる人の意味がある。示(しめす)偏が付くと祈りを捧げる場所を示す意味になり、口偏が付くと口から発せられる祈りの言葉そのもの意味になるという。
アニメ「機動戦士ガンダム」では、ほとんど引きこもりだった少年アムロがガンダムのパイロットになることで周囲から評価されるようになるが(祝福)、高すぎる期待に応えられず逃げ出してしまう(呪い)。
オリンピックで金メダルを取った選手が、その後の期待に応えられず悩む話もよく聞く。
歌手の森山良子は、時間がなくて適当に作った曲「この広い野原いっぱい」がヒットしすぎて嫌だったという。
イルカはシンガーソングライターなのに代表曲が「なごり雪」。実はイルカの作詞作曲ではなく、それどころかイルカへの提供曲ですらなくて、「かぐや姫」が1974年に発表した曲を翌年1975年にカバーしたものだ(作詞作曲は伊勢正三)。発表当初から「オリジナルを越えた」と言われているし、今となってはオリジナルみたいなものだが、イルカが作詞も作曲もしていないことには変わりない。イルカ本人としてはかなりつらかったのではないだろうか。
●武道館の祝福と呪い
さて、路上ミュージシャンの宮崎奈穂子さんは、1万5,000人のサポーター(ファンクラブ会員)を集め、武道館での単独公演を成功させた。さすがに1万5,000人集客というわけにはいかなかったが、6,000人(主催者発表)は立派なものである。
「武道館に立った」ということで、知名度も多少は上がり、取材も増えた。どこに行っても大きな顔ができる。相変わらずスタッフと間違えられているような気もするけど、それなりのステータスができただろう。
私自身、友人に「路上ミュージシャンのライブに行く」と言っても「ふん」と言われただけだが「武道館アーティスト」と言えば「へえ」くらいに格上げされた。10月に行なった出版記念パーティも「武道館に立った人を呼んだ」と聞いて驚いた人も多かった。こうした効果も「祝福」の一種と言っていいだろう。
しかし、祝福の裏には呪いがある。
宮崎奈穂子さんをゲストに呼んだからといって、イベントがすぐに満員になるわけではないし、CDの売り上げがインディーズチャートに入るわけでもない。
私が一番気に入っているCD「歌・こよみ365 Women~夢に歌えば~」はAmazon.co.jpでの売り上げが音楽ジャンルで約20万位。宮崎奈穂子さんの販売チャネルは、手売りを含む直販が主流であることを差し引いても、メジャーとは言い難い順位である。
そもそも宮崎奈穂子さんは、一声かけて数百人集めるような活動スタイルではなく、個人と個人の付き合いをつなげてファンの輪を広げていく人なので、一般的な武道館アーティストとは違う。
2012年の武道館公演の翌日、新宿駅アルタ前で握手会が開催された。「武道館ではファンのみんなと話ができなかったから」ということで、物販もない純粋な握手会だった。見ていると、相当数の方の名前と顔を覚えていらっしゃることに驚く。
▲2012年11月3日(土)の握手会
そういうスタイルだから、自分の夢であったものの「武道館アーティスト」と呼ばれることに悩むことも多かったのではないかと想像する。
●武道館の呪いを解く
そこに、今回開催された渋谷AXでのソロライブである。武道館より狭いとはいえ、1階席の定員は着席で570、かなり大きなライブハウスだ(2Fはスポンサーの招待者席だった模様)。見渡したところ、1階席はほぼ満席だった。
AXでは、武道館ライブが再現された。路上を模したセットに、路上機材を乗せたカートとともに入場し、セッティング。そして、舞台に設置された自販機で水を買ってスタート。違うのは、武道館では舞台上手の客席から階段を上ったのに対して、AXでは舞台下手の袖から登場したくらい。
テープやシャボン玉などの派手な演出はないものの、多くの演出は同じで、演目も同じ。MCまでほぼ同じだった。「サヨナラパスポート」の歌詞も間違えず、「Birthday Eve」の間奏からの歌い出しも正確で、完成度は上がっているが、その分意外性に乏しく、古いファンからは、さすがに「やり過ぎ」との声もあった。
私も、ちょっとやり過ぎだと思ったが、まあ、こういうのもいいかな、とあまり否定的には考えていない。
実は私、宮崎奈穂子さんのソロライブは武道館が初めてで、その後はイベントや複数人が交代でのライブしか行っていない。2時間のソロライブは十分楽しめたし、満足している。
何より大事なことは、同じ演目・演出は、宮崎奈穂子が武道館の呪いから解放されるために必要な儀式だった(かもしれない)ということだ。
ヨーロッパの昔話に「呪い」から解放されるために「同じことをもう一度する」という方法があるらしい。村上春樹の短編「パン屋再襲撃」はこれを踏襲しているのだろう。
武道館でのライブは、途中にイベントコーナーがあったりしたので実質90分くらいだったと思う。AXも、武道館でのアンコール曲「路上から武道館2」までで約90分だった。
●第2部の意味
そして、長いアンコールというか第2部が約30分、全曲「歌・こよみ365」から披露された。
最初は、「歌・こよみ365」のテーマ曲「夢に歌えば」。この曲につていは以前にも紹介したので、もう十分だろう。
宮崎奈穂子さんの新企画「歌・こよみ365」
完成度の高い歌詞―『夢に歌えば』宮崎奈穂子
2曲目が、意外なところで「手」。この曲には「路上ライブで出会ってくださったすべての方たちに贈る歌」という見出しが付いている。
前半は、実際にあったエピソードを綴り、最後にこう結ぶ。
どこかでまた出逢えますように 必ずまた出逢えますように
そしてあなたのおかげで 今も歌えていることの
「ありがとう」を伝えられますように
CDを買ってもらうでもなく、ライブに来もらうでもなく、ただ「ありがとう」を使えるためというのが彼女らしい。
3曲目が、こちらも以下のブログエントリで紹介した北海道米の歌「ななつの星に願いを込めて」。ネガティブな歌詞をドラマチックに歌っている。
北海道で米を作ることと、路上から武道館へ行くこと
そして、女子レスリングの吉田沙保里選手との縁をつないでくれた旅館の歌「七沢荘」(この曲のみ初出)、看護学生の話に感銘を受けて作った「がんばる勇気」。「がんばる勇気」は、看護学生にかかわらず、がんばる若者に向けたいい曲に仕上がっている。最後が、日産GT-Rチームに向けた歌「生きる力」。これも感動的な曲である。
第2部は、30分と短かったが、曲の背景にあるドラマ、演奏中にバックスクリーンに投影されるエピソードは効果的で、これだけで半分以上の価値があった。
1曲に込められたドラマを演じることが、宮崎奈穂子さんのこれからの活動になるのだろう。あまり見ないスタイルなので、マーケティング的にも良い方法だと思う。
●新たなる旅立ち
最後に、宮崎奈穂子さんの決意表明。具体的な話が出なかったのは残念だが、ビジネスのことだから、まだ言えないこともあるのだろう。
演出から考えて、もう少し具体的な話をする予定が、急に言えなくなったのかもしれない。そう考える理由は3つある。
第1に、第2部で服装が替わったことである。具体的には、スカートがビジネス風から、ちょっとカジュアルになったこと。そしてポシェットをかけていなかったことである。
仕事の歌が多いからだろうか、武道館の年からメガネを常用し、ビジネススタイルで路上ライブを行なっていたのが、第2部で少しカジュアルになった。
▲第1部衣装: 武道館も路上も講演会も全部こんな感じ
▲第2部衣装: 肩からカバンをかけていないのと、スカートのデザインに注目
「肩から何かかけていないとバランスを崩して歩けないのではないか」と言われているくらい、トレードマークの袈裟懸けカバンがない。武道館でもかけていたのに、なくなっているのはかなり衝撃的だった。
実は、袈裟懸けカバンは路上ライブで現金を扱うのに必須のスタイルである。1人で対応するから、ちょっと目を離している隙に現金を持ち逃げされることがあるからだ。
第2に「路上から武道館へ」を越える曲を作るという決意表明。この曲も、ある種の祝福と呪いがかかっている。あまりにストレートな歌詞が共感を呼ぶが、音楽的には不満の残る曲のようだ。「こんな歌、出していいのかな」と公開を迷ったことが著書で紹介されている。もしかしたら、作曲が宮崎奈穂子本人ではないというのもあるかもしれない。
さらに、ライブ前、宮崎奈穂子さんがブログ記事「【大切なお知らせです。】11/23SHIBUYA-AXワンマンライブについて」で表明されていた以下のような決意。
今、ありがたいことに環境が変化し始めていて、
私は前に進みたい、進みたいと思いながら、
変化を恐れていたのかもしれない、と気づきました。
第3に「私の原点」発言。武道館ではアンコールのあと「私の原点である路上ライブ」と発言されていたが、今回は単に「原点」である。
では、宮崎奈穂子さんの原点はなんだろう。
想像するに、それは「路上ライブ」という形式じゃなくて、高校の文化祭でクラスメイトに「良かったよ」と言われたことだったり、見知らぬ誰かが彼女を見つけて「いい歌だ」と言ったことだったりするのではないだろうか(いずれも著書「路上シンガー宮崎奈穂子」で紹介されている。本書については「【読書日記】路上シンガー宮崎奈穂子」を参照して欲しい)。
「私の原点」が、具体的に何を意味するかは分からないが、いずれにしてもファンとしては今後の活躍を楽しみにしたい。
●おわりに
ここまで読んだら、「もしかしたら路上ライブ撤退か」と思った人もいるだろう。正直言って、私もそう思った。
しかし、講演直後のサイン会で、私の前に並んでいた人に対して「歌・こよみのレコーディングが終わったら路上もやりますよ」「いや、終わらなくても、ちょっとした時間を見つけてやるかも」と言っていたので、路上ライブ全面撤退ということではないようだ。
だいたいにおいて、このブログは考えすぎるところがあって、事実はもっと単純なことなのかもしれない。
そして、1月には東名阪ソロライブツアーが発表された。東京は、キャパ数十人(着席だと20人から30人くらいだと思う)の会場で、名古屋や大阪も同じくらいのようである。
1万人を越える武道館から、1,000人規模の渋谷AX、そして100名以下のライブハウスと、何か順番が変だが、それもまた面白い。
最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。これからも、どうか宮崎奈穂子をよろしくお願いします。