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2015年9月6日日曜日

感謝ティブ

フォトエッセイ「拝啓 路上ミュージシャンの宮崎奈穂子です」の付録CDに収録されています。「歌・こよみ365」と同時期に出版されたので、「歌・こよみ365」にも収録されるかと思ったら、されませんでした。


拝啓 路上ミュージシャンの宮崎奈穂子です

出版時のご本人のブログがこちら
新しい本を発売させていただきます!!『拝啓 路上ミュージシャンの宮崎奈穂子です。』

「感謝ティブ」は、感謝に「アクティブ」「ポジティブ」などに使われている「tive」を付けた言葉だそうです。英語だと「thankful」っていうところでしょうか。

「ジェイロック」所属時代のブログは「ポジディブ、感謝ティブ、全力ティブ」でしたし、宮崎奈穂子さんがパーソナリティを担当していた文化放送のラジオ番組「言葉ドロップス」でも取り上げていました。

なお、「感謝ティブ」は、実は既に何度か取り上げているので、合わせてお読みください。

曲中に登場する「足下の黄色い花」は、おそらくタンポポです。タンポポについては以下を参照してください。

ところで、このフォトエッセイの付録CDには以下の曲が収録されています。

  • 感謝ティブ(2mix)
  • 感謝ティブ(Vo+Cho+Pad)
  • 感謝ティブ(Vo+Cho+Pf)
  • 感謝ティブ(Vo+Cho+Pf+AGt+Ba+Dr)
  • 感謝ティブ(カラオケ)

括弧内の意味はよく分からない部分もありますが、要するに楽曲パートの一部だけ収録されているということです。

足りないパートを自分で演奏するとか、カラオケで自分が歌ってみるとか、そういう用途を想定しています。作った作品は自由に公開できるそうです。

フル楽曲も入っているので、これにスライドショーをつけるという方法もあります。

ということで作ってみました。路上ライブを中心に、渋谷AXで行われた「武道館単独コンサート1周年記念ライブ」です(AXは珍しく写真撮影が許可されました。)。渋谷AXでのライブについては別のブログ記事「11月23日(土)宮崎奈穂子さんソロライブ(渋谷AX)」をご覧ください。

2015年3月24日火曜日

しゅわしゅわ (349/365)

毎日の生活の中で、楽しくなったり悲しくなったり、いろんな気持ちがやってきます。それを、不安定と考えずに変化を楽しんでみよう、という歌なのかは分かりませんが

毎日いろんな気持ちとこんにちは

と表現します。

でも、嫌な気持ちはやっぱいr嫌なので「しゅわしゅわ」と、(泡のように)消してしまうのはどうするか。

にこにこ るんるん うきうき わくわく

になるために、「憧れのあの人」ならどうするかと自問します。

それは「大好きなあの人」のことを考えていれば、いつの間にか嫌な気持ちは消えてしまうでしょう。

どんな気持ちも私次第なので、自分の思いをイメージしたらわくわくすると結びます。

ところで、歌詞に出てくる「憧れのあの人」と「大好きなあの人」は同一人物なのでしょうか。別の人物でも筋は通りますが、おそらく同じ人だと思います。

宮崎奈穂子さんの歌詞は、フレーズごとに言い回しを少しずつ変えることが良くあります。同じことを指すのに、表現を変えながら繰り返します。この歌もそういう構造なのでしょう。

ところで「ルンルン」が、「気分が明るく陽気な様子」として使われうようになったのはいつ頃でしょう。

一般化したのは、林真理子デビュー作のエッセイ集「ルンルンを買ってお家に帰ろう」でしょう(1982年)。

1979年に放映されたテレビアニメ「花の子ルンルン」が初出だという説や、その前年(1978年)のアニメ「ペリーヌ物語」のオープニング主題歌が初出だという説もあります。

「花の子ルンルン」の原作者である神保史郎氏は「50音表を見て響きの良い言葉を選んだ」と言っているそうです(Wikipedia「花の子ルンルン」)。

ただし「花の子ルンルン」のドラマ内で「ルンルン」が気分を表すために使われたことはおそらくないはずです。主人公の名前が「ルンルン」なので紛らわしいからです。

また、1970年代終盤には「るん」という言葉が気分を表すためにさまざまな人に使われていたという指摘もあります。私も「るん!」の一言で浮き浮きした気分を表すカットを見たことがあります。もし、これが林真理子の著作や「花の子ルンルン」の影響だったら「ルンルン」になるはずです。

なお、1938年に草野心平が発表した詩「蛙のうた」に「るんるん」という言葉が使われているという指摘もあります。草野心平は、さまざまなオノマトペを多用することで知られているため、この「るんるん」が本当の初出かもしれません。


ルンルンを買っておうちに帰ろう (角川文庫 (6272))

2015年3月21日土曜日

ちぐはぐ (346/365)

心はがんばっているのに、身体がついてこない、「頭と心」や「言葉と心」が「ちぐはぐ」な感じを歌います。

なんて情けない顔してるんだろう 鏡を見てびっくりした
情けなくてしょうがない ひとり ひどい顔

という歌い出しです。そういう話はときどき聞きます。自分でどれだけ疲れているか分からないことがあるようです。

最後は

どっちがどっちなんだか わからないまま

ということで、結論はありませんが、元気を出して欲しいですね。

こういう状態が続くと、確実に身体を壊すので、身体か心のどちらか(または両方)を休めるようにしてください。

2015年3月12日木曜日

思いの力 明るさの力 (337/365)

人ひとりの力は小さいから何の意味もないと思っていたけど、自ら行動する人に出会って考えが変わってきたそうです。

行動には、言葉では説明できない力があります。

そんな歌です。

逆に、どんなに言葉が豊かでも行動が伴わない場合は信用されません。でも、行動だけでは伝われないこともあるので、言葉もやはり重要です。

結局、両方大事だということですね。

2015年3月8日日曜日

愛 (333/365)

「愛」についての歌です。

いろいろな表現が出てきますが、中でも

愛 それは定義じゃなくて
全身全霊で行う行動なんだと

という言葉が印象的です。別の歌に「愛って本当は動詞だったんだね」という歌詞があります。

また、最後に

愛 愛されることを求めるんじゃなくて 愛すること

とあります。

「愛」は動詞、主語は自分、ということですね。

引用した歌詞の最初の「愛」は、「あーああい」と単独で感動詞のように使われます。なかなか印象的で、いい曲でした。

2015年3月6日金曜日

幸せの形 (331/365)

自分で選んだ道だけど、他人のことがうらやましくなったり、誰かに認めてもらったりしたいことはあります。

「幸せの形」は人それぞれ違うので、本当は他人と比べることもできないし、他人に認めてもらう必要もないはず。そう思っていても、割り切れないものです。

この歌で面白いのは

幸せの形は まるさんかくしかく?

という部分です。本来「幸せの形」というのは、スタイルの意味であって、形状の意味ではありません。それをわざと「○、△、□」と並べることで、視覚的な効果を与え、聞き手に新鮮な印象を与えています。

最後はこうなります。

ありたい自分になるための日々を 貫きたい
顔を上げて笑顔作って 今日も街へ

宮崎奈穂子さんの曲によく出てくる「なりたい自分」ではなく、「ありたい自分」です。通常「なりたい自分」は将来の姿ですが、「ありたい自分」だと現在の姿になります。ただし「なるための日々を貫く」ということなので、現状では十分ではなく、将来に向けての継続的な努力が必要なようです。

現在を肯定し、維持するために努力をする姿勢は、「揺らいでも 揺らいでも (329/365)」で書いた「価値観型」の目標かもしれません。

つまり、

  • なりたい自分 = ビジョン型
  • ありたい自分 = 価値観型

なのかもしれませんね。

2015年3月5日木曜日

今日はさぼっちゃおう。(330/365)

タイトルがこれなんで、今日はさぼっちゃおうかと思いましたが、今日も書きます。

「歌・こよみ365完全版」を出した頃から、宮崎奈穂子さんは「がんばっている人が、ほっと一息付けるような曲」ということをときどきおっしゃっています。

この曲も、普段がんばっていることが前提での「今日はさぼっちゃおう」です。

限界を決めるなって言うけど もう限界かも

それくらいがんばっている人だけが言える「今日はさぼっちゃおう」です。

ときどき入る「ららら」という歌詞が、「よし、今日はさぼろう」と決めたときの気持ちを表していて、とてもいい感じです。

もっとも、本当にがんばっている人は、たまにさぼっても半日もすれば不安になって、仕事をしたりするようです。

さぼるときは、きちんとさぼらないと、さぼった意味がないですね。

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2015年3月4日水曜日

揺らいでも 揺らいでも (329/365)

割り切るつもりなのに (326/365)」では、ビジョン型のキャリアと、価値観型のキャリアを紹介しました。

この曲は、珍しく「価値観型」の歌です。

自分の目標がよく分からず、

周りの人の顔色見たり 自分の心に嘘ついたり
バランス棒の上を 歩き続けるように生きてきた
どこまで続けたら どこにたどり着くんだろう?

と悩みます。

「自分の心に嘘をつく」のは不誠実なようですが、これは「周りとの関係を、自分よりも重視したい」という意志の表れであり、「嘘をつく」というネガティブな意味ではないはずです。

その場その場で状況を判断する「価値観型」は、目標に向かって進む「ビジョン型」に比べて分かりにくいため、自分を卑下する人も多いようですが、そんな必要はありません。

風が吹く度 心は揺れる それでも 歩き続ける
揺らいでも 揺らいでも
見えない何かを信じて 歩き続ける

というように、明確なゴールがないので、休みなく歩き続けることができると考えた方がいいのではないかと思います。

ところで、歌詞の中に「バランス棒の上を歩き続ける」というフレーズがあります。

平均台のようなものでしょうか。「バランス棒」で検索すると、いくつか出てきますが、どれも自分がバランスを取るもので、上を歩くものではないみたいです。

2015年3月3日火曜日

そんな場所になりたい (328/365)

最終電車で

体内電池を使い果たして 座り込む背広の男性
泣きはらした目で携帯を打つ女性

みんな昼間はがんばっているので、気がゆるむようです。

最寄り駅から家までの距離(159/365)」では、電車の中は耐えられたようですが、この曲は電車に乗った時点で駄目だったようです。

社会じゃ通用しないでしょ
そんな甘えはなしでしょ

と言われているみたいですね。

仕事は努力ではなくて、結果だと言いますが、努力も見て欲しいものです。

がんばってること ありがとうって
自分に言える場所 誰かのそんな声が聞こえる場所
私はそんな場所に なりたいと思うのです

誰も認めてくれなくても、自分は努力したことを知っています。せめて自分だけは、自分のことを評価したいものです。そして、同時に他人の努力も認められるような人間になりたいものです。

結果が出ないのは、目標が高すぎるか、やり方が悪いか、努力が足りないかであって、その中のいくらかは自分の責任です。それでも、努力したことには違いないし、その努力を否定することは出来ないと思います。

そんな歌です。

2015年3月2日月曜日

割り切るつもりなのに (326/365)

自分の信じる道を進むため、割り切ったつもりなのに、もやもやする。

「もやもや」は、「なりたい自分」に並ぶ宮崎奈穂子キーワードじゃないかと思います。その名の通り「もやもや」という曲もあります。

人間の指向には「ビジョン型」と「価値観型」があって、目標型は設定したゴール(ビジョン=見通し)にまっすぐ進んでいくスタイル、価値観型はその場その場で自分の価値観に従って適切な判断をするスタイルだそうです。

「ビジョン型」の典型的な目標は「なりたい自分」です。宮崎奈穂子さんは明らかにビジョン型ですね。

一方、価値観型は、長期的な目標を設定しないため、はっきりした目標がありません。しかし、「やりたいこと」「大事にしたいこと」はたくさんあります。そこに優劣付けられません。そこで短期的な目標をたくさん設定するのがいいそうです。

さて「もやもや」です。

「なりたい自分のために、やるべきこと」を設定したら、「今したいこと」を犠牲にしなければならないこともあります。宮崎奈穂子さんの代表曲「路上から武道館へ」時は「恋も遊びもやめて」というフレーズがあります。

恋はともかく、遊んでいる宮崎さんはなかなか想像できないんですが、そういう歌詞です。

これは想像ですが、長期的なビジョンのために、今は自分の価値観に反することもしなければ鳴らないこともある、そういう葛藤が「もやもや」じゃないかと思います。

たとえば

「武道館でライブをするには15,000人のファンを集めなければならない」

「15,000人集めるには、少しくらい強引でも自分をアピールしなければいけない」

「それは、今、自分がしたいことだろうか」

という「もやもや」です。

シンガーソングライターや画家など、自己表現が仕事の人は少々強引な方がいいと思いますが、「自分を売り込むこと」が目的ではなくて、「自分の作品を多くの人に受け取ってもらえること」が本来の目的なわけで、両者は微妙に違います。

でも、黙っていて売れるわけはなく、ある程度強引な売り込みは絶対に必要なことだと思います。

一方で、だからといって何をしてもいいわけでもないわけで、これからも「もやもや」しながらがんばって欲しいと思います。

2015年3月1日日曜日

お気に入りの色を乗せて (326/365)

ネールサロンの歌です。

きれいになりたい かわいくなりたい 自分へのご褒美
いろんな理由で 女の子達は ここにやってくる

という言葉で始まり、

爪の先に魔法をかける

という言葉で、ネイルサロンだということが分かります。

そして、

爪の先見つめて 可愛くなった 素敵になったって
喜んでくれる笑顔が 私の一番のご褒美

という言葉で、ネイルサロンを歌った曲だということが分かります。

そこで検索してみたら「NYNYマネージャー 小崎昌平Blog」がヒットしました。

2013年9月8日に「路上で詩う…」というタイトルで、宮崎奈穂子さんの著書「拝啓 路上ミュージシャンの宮崎奈穂子です。」が紹介されていました。

「歌・こよみ365」制作時期なので、この方の歌かもしれませんが、違うかもしれません。

2013年12月31日には「2013年の感謝」として、同じ事務所(当時)の伊吹唯さんについても触れられていますので、可能性は高いと思います。

ところで、多くの男性はネイルアートにほとんど興味がありません。「嫌いだ」と思っている女性もいるようですが、単に興味がないだけです。

女性のおしゃれは、基本的に自分のためのだそうですが、気付いたら感想を言ってあげたいものです。かくいう私も、取引先の女性に「爪を見て、何かしてあったら必ずほめろ」と指導されました。皆さんもぜひほめて上げてください。

宮崎奈穂子さんも、それほど派手ではありませんが、爪はきれいにしていらっしゃいます。

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ところが、どういうわけか先日ネイルアートをお休みするという発表がありました。


拝啓 路上ミュージシャンの宮崎奈穂子です

2015年2月19日木曜日

わかってるくせに わかってたくせに (316/365)

「今の自分は、すべて自分が行ってきた選択の結果だ」ということは多くの人が言っています。無自覚な場合もありますが、今の世の中で、本当に強制された生き方をしている人はほとんどいません。

ダイエットに失敗したのは自分がさぼったからですし、運動が続かないのは自分で運動をやめたからです。試験の成績が悪いのは勉強しなかったからだし、勉強しなかったのは、友人の旅行の誘いに乗ったからです。

こうした考え方は「選択理論」として整備され、「より良い人生を過ごすための考え方」として有効な手法になりました。

一般には、「他人の強制ではなく、自分で選んだ結果だ」と思った方が、ハッピーであるとされています。

とは言え、常に満足できて、いつでもハッピーかというと、なかなかそういうわけにもいきません。

  • 旅行の誘いを断って勉強して、資格は取れたけど、旅行にも行きたかった
  • 勉強せずに旅行に行って、楽しかったけど、試験には落ちて、目標が遠のいた

そういうことは誰でもあるでしょう。

答えはどこにもありません。

ゆらゆら 揺らぐのはどうして?
どこかに向かってるの こっちで合ってるの
答え場出ないまま 歩き続けていく

2015年2月9日月曜日

もういいかい まあだだよ (306/365)

前曲に続いて、これも童謡風です。ですが、これも全曲同様、内容は自分の内面を考える歌です。

もういいかい まあだだよ

のあとは

私の夢 諦めついた?

あるいは

あなたの人生 どうするつもり?

ちょっと厳しい言葉もあります

何かを守るため 失ったものも
この夢追いかけるために 手放したもの

健康食品や医薬品のネットショップを運営する「ケンコーコム」創業者の後藤玄利氏は、インタビューで「僕は夢以外の何でも捨てられる」と語っています(【独占独白】ケンコーコムの後藤社長、楽天との乖離を語る)。

この曲自体は、依頼曲じゃないかと思いますが、宮崎奈穂子さんも大きな舞台に立ったり、次のステップを踏み出したりする時に、不本意なことがあったのではないかと想像します。

曲の最後はこう締められます。

私の夢 諦めついた?
まだまだ まあだだよ

まだまだ、まだまだ夢の途中のようです。

2015年2月8日日曜日

あまのじゃく (305/365)

「歌・こよみ365完全版」オリジナルの曲は、意外に歌われていないのですが、この曲はときどき聞きます。少し童謡風です。

本当は欲しいのにわざと目を背けてみたり、つらいのに大したことないと言ってみたり、そういう歌です。

オタク界ではこれを「ツンデレ」と呼びます。本当は好きなのに、気のないふりをしてみたものの、やっぱり好き、そんな感じです。

「あまのじゃく(天の邪鬼)」は、その名の通り鬼の一種、つまり妖怪です。

人の心を読み取って反対に悪戯をしかけるのですが、あまり大きな力は持っていないようです。今では「人の心を読み取る」という部分は重視されず、「してほしいことと反対のことをする」意味で使われます(Wikipedia「天邪鬼」)。

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▲この曲を初めて聞いたのと同じ場所

2015年1月16日金曜日

「人間臭くて好きだ」 (282/365)

あまりにつらくて、思わずこぼした愚痴を「人間臭くて好きだ」と言ってもらい、ちょっと楽になったという歌です。

毎日愚痴を言うような人は、一緒にいたいとは思わないのですが、普段愚痴を言わない人が発するのは効果ありますね。

気の置けない人に対して、たまに言う愚痴は、それこそ人間臭くていいものだと思います。

じゃあ、何日に1回だったらいいのかということは言えませんが、効果的に愚痴を使うには、普段はなるべく口にしかいこと、たまに言うときも特定の人に対してだけ言うことが大事です。

Twitterで愚痴を書くのは、効果がないばかりかその人の人間性まで落としてしまいますので、なるべく避けたいものです。私の感覚では、1年に1回くらいに留めたいものです。

宮崎奈穂子さんが愚痴を言うところは、本当に見たことがありません。まれに、路上ライブで特定の話題に対して顔色と口調が変わるくらいです。

著書によると、どうも昔はいろいろ愚痴を言っていたような気配を感じるのですが(明記されていはいません)、いろいろ苦労してものの見方も変わったようです。

でも、たまには宮崎奈穂子さんの愚痴も聞いてみたい気がしますね。それこそ「人間臭くて」いいと思います。たまにだったら。

2015年1月12日月曜日

楽になろうよ (278/365)

複雑な気持ちを歌った曲ですが、このフレーズが一番上手く表しています。

もっと楽になりたいよ なら 楽になろうよ

なかなか思うようにならない世の中ですが、思うようにならないと思っているのは自分だけということもしばしばあります。

もうちょっと長く引用すると、こんな感じです。

やりたいことだけやればいい?
そういうわけにいかないんだよ なんて
もっと楽になりたいよ なら 楽になろうよ

「やりたいことだけやっていればいい」というわけにはいきませんが、かといって全く間違いでもないと思います。

たとえば、会社勤めの人は自分のやりたい仕事がしたければ、上司を説得する必要があります。これは別にやりたい仕事じゃありませんが、上司を説得することで、市場を説得する力がつきます。それは自分のしたい仕事を継続する力になります。「やりたいことをするために必要なこと」は、「やりたいこと」に入るんじゃないでしょうか。

そんな簡単な話じゃないですかね。

2015年1月11日日曜日

好きで愚痴ってるわけじゃない (277/365)

好きで愚痴ってるわけじゃないけど、いつも理想論を語るわけにもいかないし、現実を見なきゃいけないという歌です。

まあ、そうなんですけど、あんまり愚痴は言わない方がいいですね。特にネットでは。

たまに言う分にはいいんですけど、続くと愚痴を言ってる人の人間性まで疑われるので。

愚痴は「ダイエット中のケーキ」くらいに思っておけばいいんじゃないでしょうか。

いくらダイエットしてても、ケーキを食べたいときはあります。そこで無理に我慢するとダイエットそのものが続かないので、たまには食べてもいいでしょう。でも、その後は食事を減らすとか、運動量を増やすとか、なにがしかの対応が必要です。

たまに愚痴を言うのは悪いことじゃないですが、言ってしまったら愚痴を帳消しにするような「いいこと」をした方がいいと思います。

2015年1月9日金曜日

それでも僕らは救われる (275/365)

自分が決めたことであっても、苦しいことや悲しいことはあります。そういうとき、一番の救いになるのは、自分の仕事から生まれた誰かの笑顔じゃないかと思います。

笑顔を作れる人でありたい(209/365)」でも書いたとおり、

「良い仕事」とは、お客様を笑顔にする仕事のことだ

だと思いますし、誰かの笑顔を見れば、また次も頑張ろうと思います。

もっとも、その笑顔のために無理をしすぎてしまうということはあるので、どこかで休む必要はあるんですが。

だから、仕事でも何でも、誰かに何かしてもらったら、笑顔でお礼を言いたいものです。仕事の場合は別に対価を払っているわけですが、ちょっとした笑顔があれば次も頑張れます。

フリーランスで仕事をしている人が言ってました。

(最低ラインは超えているものの)雑な仕事をする人に多くの客がついていたり、丁寧な仕事をするのに客がついていなかったりするのはなぜだろう。

仕事をもらえるかもらえないかは、意外に単純で

  • 明るく挨拶ができる
  • 笑顔でお礼を言う
  • 仕事上の愚痴は言わない
  • できない理由から説明しない

このあたりで決まるのではないかと思っています。やるだけのことはやってくれたとしても、愚痴の多い人と一緒に仕事をするのは嫌ですからね。

2015年1月8日木曜日

笑い飛ばしてくれるあなた (274/365)

本当は格好良くしたいのに、思ったように行かないことは良くあります。失敗したとき、責められるのはもちろん嫌ですが、全く触れないのも逆に大きなプレッシャーになります。

気の置けない人が、笑い飛ばしてくれることで、実は大した失敗じゃないんだな思えます。

それが私にとって 大きな救いになる

という歌詞も入っています。

もちろん、反省は必要ですし、間違いを指摘してもらうことも必要ですが、たいていの場合、それが「失敗」だということは自分で分かっているので、もう一度他人から「失敗した」と指摘されたくはありません。

誰が「笑い飛ばす」のかも重要です。

仕事で大きな失敗をして、誰かに迷惑をかけたとき、上司が笑い飛ばすのは不適切です。怒ることはありませんが、失敗の原因を分析し、個人の問題ならそれを指摘し、組織の問題なら改善案を提案する必要があります。

同僚が笑い飛ばすのも、ちょっと問題があります。同じ部署の場合は自分の問題として再発防止を考える必要がありますし、別の部署でも会社としての体制を考え直す必要があります。

ここは、あまり利害関係のない友人が一番いいでしょうね。

2015年1月7日水曜日

人の感情ほど (273/365)

感情については「ドライ(253/365)」でも書きました。感情には大きなパワーがあって制御するのは難しいものです。

この曲では、

人の感情ほど あてにならなくて
パワーがあるもの 他に知らない

と始まります。

そう言えば、一般に力のあるものはある程度継続して存在し、あてにすることができます。たとえば「お金」、日本を含む「先進国」ではお金の価値が急に半分になったり2倍になったりはしません。1割変われば大問題です。あるいは「権力」、社長が急に解任されたり、首相がある日突然変わったりはしますが、それは例外的なことであり、会社の事業を継続するため、あるいは行政を円滑に進めるため、実際に変化するには一定の時間がかかります。

それに対して、感情はとても大きな力を持っているのに、突然変わることがあり、全く当てにできません。

まあ、しかし、それが人間の良さかもしれません。

曲はこう終わります。

人の感情ほど 面倒くさくて
あったかいもの 他に知らない