2014年12月17日水曜日

ドライ(253/365)

感情の起伏があって、でもそれを抑えないといけない状況がある。ドライにならざるを得ない環境で、いっそ感情なんかなければいいのにと思ってしまうことはあるでしょう。

この歌では結論は出ておらず

ドライにならざるを得ない この世界で
置いてきた感情 気付かないふり続けたまま

で終わります。

私は、この結論ははっきりしていて、どんな場合でも感情を優先します。理屈は感情を生かすためのツールに使うものであって、感情を殺すことに使ってはいけません。

SF作家の新井素子は「.....絶句」という小説で、人間が文明を発達させたのは感情の力が強かったからだというストーリーを展開します。あまりにも強い感情のために、一度は世界が滅びるのですが、もう一度やり直した姿が現在の人類だという話です。

これはSFですから、あり得ない展開にはなっていますが、感情というのはそれくらい強いものですし、人間の力の源です(小説の内容にはあまり触れていませんが「SF小説『.....絶句』(新井素子)について」)。

感情と感情がぶつかることもあるでしょう。感情をそのままぶつけると喧嘩になるので、いったん感情を論理に置き換えてからぶつけます。そうするとダメージは少ないのではないでしょうか。

でも、あくまでも主役は感情。素手で喧嘩するとお互い痛い思いをしますが、道具を使えば痛さを感じないで喧嘩ができます。論理はそのために使いたいものです。

もっとも、素手で人を傷つけるのは意外に難しいのですが、道具を使うと簡単に傷つけたり殺せたりします。主役は感情であること、必要以上のダメージを与えないこと、それだけは気を付けるようにしています。

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