2014年12月29日月曜日

続いていきますように (264/365)

満州から引き上げてきて、苦労してきた母親のことを思い、その思いが次の世代に続いていきますようにという歌です。

「満州」は、本来「満洲」と書き、もともとは民族の名前で、「カリフォルニア州」とか「ニューヨーク州」のような地名を示す言葉ではないそうです。

現在の中国では、満洲という言葉は使われず「東北部」と言います。また民族名としての満洲は「満族」と呼びます。これは、旧「満州国」が日本による傀儡(かいらい)政権であり、中国政府が満州国を認めていないからだということです。

実際、日本の植民地としての役割もあり、多くの日本人が移民し、生活していました。

なお、建国理念としては「民族自決の原則に従い、満洲民族、蒙古(モンゴル)民族、漢民族による民族自決の原則に基づき、これに朝鮮人(韓国人)と日本人を加えた「五族共和」をうたっていました。ちなみに、清朝は満洲民族の国家であり、満州国の元首には清朝最後の皇帝である溥儀(フギ)がつきました。

第二次大戦末期、ソ連(当時)が進攻し、多くの日本人兵士がとなり、シベリアなどで過酷な強制労働が課せられ、多くの命が落とされました。

やむを得ず、子供を置いて(預けて)脱出した人も多く、これが「残留孤児」問題になっています。どれだけ生きられるか分からない状況で、幼い子供を連れて行くか、中国人に預けるか、どちらを選ぶにしてもつらかったことだと思います。

無事に日本にたどり着いた人も、多くは日本に生活基盤がなく、終戦直後の混乱の中、大変な苦労をされたようです。

この歌に出てくるお母さんは、こうした引き揚げ者のひとりだったのでしょう。昭和21年8月に引き上げたということですから、昭和20年(1945年)の終戦から1年です。

終戦から翌年の4月まではソ連の軍政下にあったそうです。その後、中華民国に返還されたのですが、共産党軍による対中華民国ゲリラが活発化し1948年に共産党が満州を制圧、1949年に共産党による中華人民共和国が成立します。

満州は、日本の植民地としての側面があったため、裕福な暮らしをしていた人も多かったようですが、もちろんそうでない人もいますし、裕福であっても、終戦で財産を奪われたり、家族を亡くしたりした人も多かったようです。

それは、ソ連が悪いとか、満州族が悪いとか、中華民国の責任とか中華人民共和国の責任とか、そういう話ではなくて、(個々の事件は別として)全体としては戦争の結果ということになるのではないかと思います。

今の日本では、家族が散り散りになって逃げる必要もなく、突然財産を募集される心配もありません。本当に幸せなことです。

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