2015年3月14日土曜日

大事なのは未来のあなたが笑ってること (339/365)

就職活動をサポートする場「就トモCafe」の歌です。就トモCafeについては、宮崎奈穂子さんのブログ記事「「路上から武道館へ」が「就トモcafe」テーマソングに!!」をご覧ください。

また、2012年9月28日にはこんなイベントもあったようです。
[イベントレポート]総勢70名以上の学生&社会人が参加したバリスタ主催の初企画!バリスタバー@就トモCafe

就職活動については、いろいろ言いたいことがあるのでいつもと文体を変えてお届けします。


就職活動に頑張っている方の努力には敬服するが、昨今の就職活動は少々異常である。

大学生の本分は学業であり、その集大成が卒業論文である。通常、卒業論文は4年生の4月にテーマを決め、夏から秋にかけてデータの分析や考察を行い、12月から1月にまとめるものである。

ところが、最近の就職活動は3年生の1月頃からスタートし、4年生の春には終わっている。卒業論文のテーマも決まっていないのに、卒業後のスケジュールが決まるわけだ。

これから担当するプロジェクトがスタートしたばかりで、詳細が決まっていない状態の時、その次のプロジェクトの調整に忙しくしているメンバーがいたら、他の人はどう思うだろう。「今の仕事にやる気がない」と思われても仕方がない。今の仕事に全力で打ち込めないような人を、企業は本当に欲しいのだろうか。

私が4年生の頃は、4年生の4月以前に会社にコンタクトをすると「ルールを守れない奴」ということで無条件に落とす会社もあった。しかも、学校の就職課にクレームが入り、最悪の場合は、その年にその学校からは一切採用しない可能性すらあった。

もっとも、当時の就職協定は夏に就職活動解禁だったのに、実際の活動はゴールデンウィーク明けから行われていたわけだし、4月から会社訪問を受け入れている会社もあった。つまり、ルールはルールでも「暗黙のルール」だった。

就職協定は1953年に開始し、廃止と復活を繰り返している。1986年から1996年まで続いた協定は「8月20日会社訪問解禁、11月1日内定解禁」だった。実際には早いところで4月、通常は5月から6月に会社訪問を行い、8月には内々定が出ていた。

「4月にコンタクトしたら失格」としていた企業も夏休みには内々定を出しており、「ルール違反者は不要」という言葉に説得力はない。

こうした実情を見て、経団連が「どうせ守れないルールなのだから、就職協定を廃止する」と言い出した。就職活動が長期化したのはこの頃からである。

さすがに問題が出てきたのか、2016年卒業者からは、経団連の申し合わせで「会社説明会解禁は3年生の3月、選考活動は4年生の8月、内定は10月」となった(採用選考に関する指針)。これは1980年代の実態に近いスケジュールであり、現実的だと思われる。

しかし、本当にこれで落ち着くだろうか。

どんなものでも「行き過ぎて役に立たなくなったら末期の証拠」という説がある。

アンモナイトは、絶滅直前になって殻が異常な巻き方になった。これは「進化末期の奇形」と考えられていた(現在は異説もある)。

江戸末期、武士社会の終盤に登場した「新撰組」の大半は武士階級出身ではなかったが、武士以上に武士にこだわり厳しい規則で縛った。違反者は粛正されることもあり、どのみち自滅したという見方もある(ちょうど1970年代の過激派「連合赤軍」の末期のようなものである)。

厳しい就職活動も、間もなく「新卒で会社に就職する」というスタイルが終了する前兆だと考える人もいる。そもそも、大学を出てすぐに会社に正規雇用されるスタイルは1960年代以降にできたもので、それ以前は違った。多くは指導教授の口利きで入社したり、インターンとして採用されたあと正社員になったりした。全員が4月入社というわけでもなかった。

この曲「大事なのは未来のあなたが笑ってること」では、就職活動で大事なことは就職そのものよりも、就職活動を通して「自分が働くこと」の意味をしっかり理解することが大事だと歌う。

別に、就職活動に異議を唱えるわけでも、社会のあり方を憂うわけでもなく、純粋にそう考えているのだと思うが、必ずしも「就職活動=就職準備」ではないとしているところが面白い。

前述の通り、そもそも「新卒で就職」というスタイル自体が消滅するという説もある。おそらく、今後は「インターン(訓練生)」という形で仕事を始めることになるだろう。

インターンが、「在学中のアルバイト」として行われるのか、卒業後の「就職浪人のアルバイト」になるのかは分からないが、戦前の日本や他国の状況を考えると、両方だろう。年輩の優秀なエンジニアの略歴を見ると、どちらのパターンも同じくらいあることが分かる。

そういうわけで、過去の状況や現在の経済事情を考えると「新卒就職」という道にこだわる必要はないし、コネに頼るのもまったく悪くない。就職活動は、自分を見つめるためにした方がいいが、就職できなくても悲観する必要はまったくないのである。

就職活動については「書評『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』(岡田斗司夫FREEex)」でも取り上げたので、興味のある方はご覧いただければ幸いである。


僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない (PHP新書)

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