2014年9月30日火曜日

春夏秋冬 ~Wedding Song~(175/365)

「歌・こよみ365完全版」ディスク15は、「前進」がテーマのようです。

「歌・こよみ365完全版」には結婚の歌が9曲ありますが、他の曲に比べると「一緒に進む」ということが強調されているようです。

春が来て 夏を迎え 秋を通り 冬を迎える

どんな時でも、あなたとなら大丈夫と歌います。

メロティーも美しく、結婚式らしく仕上がっています。

結婚式の歌一覧。

  • ずっと ずっと~Wedding Song~
  • ふたり 歩いていこう~Wedding Song~
  • ありがとう~Wedding Song~
  • お父さんとお母さんへ~Wedding Song~
  • 春夏秋冬~Wedding Song~
  • 愛が支えるウエディング~Wedding Song~
  • 一生分の恋~Wedding Song~
  • 誓いの言葉~Wedding Song~
  • 家族~Wedding Song~

2014年9月29日月曜日

人には 戦わなくちゃいけない時がある(174/365)

「歌・こよみ365完全版」ディスク15は、「前進」がテーマのようです。そして、1日の始まりということなのか、朝の歌が多くあります。1曲目に続いて3曲目も朝の歌です。

えらく大げさな歌詞で始まります。

どんなに 温和な人だって
人には 戦わなくちゃ いけないときがある

盛り上げておいて、こう続きます。

その名は 眠気 またの名を 睡魔
お布団が誘惑する もう寝ちゃおうか。

言われてみたら「睡魔」という妖怪がいそうな気がしてきます。夢魔(むま)って妖怪もいますからね。

さて、亡くなった落語家の桂枝雀は、笑いについて「緊張の緩和」理論を提唱していました。緊張が高まった後、それが緩和されるところに笑いが生まれるというものです。

この曲も、「戦わなくちゃいけない」と緊張させておいて「単に眠いだけ」と緩和されることで笑いが生まれます。

明日のテストのため、夢のため、未来のため、負けられない戦いだそうです。学生さんなのでしょうね。

ただ、時にはこういう日もあっていいと思いますが、日常的な睡眠不足は健康に良くないそうです(当たり前ですね)。

漫画家の水木しげるは「人間1日8時間寝ないと駄目だ」と主張し、どんなに忙しいときでもきちんと寝ていたそうです(本当に8時間寝ていたかどうかは分かりませんが)。同時代の漫画家の多くが、1日3時間4時間の睡眠で仕事をしていましたが、皆さん他界されていることを思うと、真偽はともかく説得力があります。

寝ることは、記憶を定着させる作用もあるそうで、勉強した後に一度寝た方が内容をよく覚えているという実験結果もあるそうです(でも、そこで寝る勇気を持っている人は多くないでしょうね)。

徹夜には独特の魅力もあります。昔読んだコラムにこういうフレーズがありました。

さあ、今日は徹夜だ、決心した瞬間、無限の時間が手に入る。
朝までは長い。
きっと、この仕事の山を片付けられるかもしれない。
もちろんそれは錯覚にすぎないのだけれど。

月刊「インターフェース」CQ出版社1985年9月号

このコラム「でも、そこで早く寝て、翌朝すっきりした頭で働けるような人は好きじゃない」と続きます。

仕事を完ぺきにこなし、健康な生活を続けらるのが理想ですが、どこか人間的ではないように思えます。連日の深夜残業も非人間的ですが、常に完ぺきなのもやはり非人間的です。

最後の頑張りで徹夜をすることは、人生のメリハリとなって、人間としての幅となるはずです。小説に登場する魅力的な主人公の多くは、日常生活がどこか抜けているのもそのせいでしょう。

「徹夜を決心した瞬間に無限の時間が手に入る」という錯覚こそ、人間的な感覚です。先に紹介した、徹夜についてのコラムのタイトルは「徹夜は人間だけに与えられた自由である」でした。

2014年9月28日日曜日

東京はこんなに(173/365)

「歌・こよみ365完全版」ディスク15は、「前進」がテーマのようです。2曲目は、東京はこんなにたくさんの人がいるのに、どうしてか人が遠い、でも何とか一歩進もうという歌です。

東京は、人が多い割に人間関係が希薄だと言われますが、いったんつながり始めると、交通の便のいい東京の方が密接な人間関係を作れるように思います。

東京が、疎外感の象徴のように言われ始めたのは、1960年代高度成長期が始まった頃に「集団就職」という制度が出来たあたりではないかと想像しています。

「集団就職」は、中学を卒業してすぐ、地方から東京に就労することです。当時は高校進学率もそれほど高くなく、義務教育終了後の中卒が最も多かったようです。

集団就職は1970年頃まで続いたそうですが、この頃には「コンクリートジャングル」という言葉が使われ「東京は、鉄筋コンクリートのビルが乱立するジャングルのようで、誰も助けてくれない」というネガティブなイメージがありました。

もちろん、これはビルが悪いわけでも東京が悪いわけでもなく、単身上京した人の生活環境の問題です。東京出身者にとってはちょっと嫌な気分だったんじゃないかと思います。

1969年に発表された小説「赤頭巾ちゃん気をつけて」(庄司薫)では、主人公である庄司薫が、ガールフレンドの由美ちゃんと銀座の夜景を見ながら「東京は悪く言われるけど、ほんとにきれいよね」と会話するシーンがあります。

庄司薫は、主人公の名前であるとともに、作者のペンネームでもありますが、いずれにしても生粋の東京人です。世間のネガティブな評価に対する反発が、軽く描かれています。

宮崎奈穂子さんも東京出身だそうで、もしかしたら「東京は冷たい」という言葉に、ちょっと悲しい思いをしているかもしれません。あるいは、東京といっても郊外の住宅地のようなので、銀座や丸ノ内を中心とした「東京」と同じ地域とは思っていないかもしれません。

いずれにしても、東京はほんとに人が多い。地方から尋ねてきた親御さんに「今日はお祭りかい?」と質問されたという話を聞いたのは1人や2人ではありません。

2014年9月27日土曜日

朝の10分が未来を変えるのだ(172/365)

「歌・こよみ365完全版」ディスク15は、「前進」がテーマのようです。そして、1日の始まりということなのか、朝の歌が多くあります。1曲目も朝の歌です。

朝起きるために、目覚まし時計、携帯アラーム、別の目ざまし時計、ラジオと用意しています。携帯電話のアラームは複数設定できるのが普通なので、5分とか10分ごとに鳴らす人も多いようですね。私はそうです。

一度止めても一定時間後に鳴る「スヌーズ機能」を持ったアラーム(携帯電話含む)は多いのですが、スヌーズ解除が割に簡単な操作なので、つい無意識に止めてしまいます。複数の時刻をセットするのが効果的なようです。

さらに続きます。

できるものなら 二度寝 三度寝 し続けていたいです

二度寝というのは、なかなか気持ちがいいもので、二度寝するために早起きしてもいいんじゃないかと思うくらいです。

しかし、ここから驚きの切り返しです。

だけど この10分をどう過ごすかで未来が 変わるんだ
未来はその瞬間の積み重ねの先にある 先にあるから

かなり大げさになってきます。

ラストはもっと大げさです。

だから この10分を投資するんだ 未来の自分へ
未来はこの瞬間の積み重ねの先にある 先にあるから

何も、2時間も早く起きて活動するわけじゃない、たった10分早起きするくらい、

なりたい自分に1日も早く 会いたいんです

ということです。

ちょっと反省しました。

2014年9月26日金曜日

ゆるっと ふわっと(171/365)

無理をしないといけないときもあるから、今日は「ゆるっと、ふわっと」という歌です。

宮崎奈穂子さんの初期の作品に「おやすみなさい」という曲があります。


▲おやすみなさい

その中に、こんな歌詞があります。

いろいろあるけど 無理だけは しないで

それを聞いたお兄様が「無理しないといけないときもあるんだよ」と言ったそうです。

まだ学生だった宮崎奈穂子さんはちょっと反発したそうですが、「今は分かる」とおっしゃっていました。

それを受けたのか、こんな歌詞が登場します。

「無理しないでね」って 優しい言葉もらう度
心のどこかで 揺らがないように
反発するみたいなんです
描いた未来のため ちょっとくらい無理しなきゃ
いけないときもある 甘えていられないんですって

デビュー当時は「無理しないで」と歌っていたのが、今では反発しています。

もちろん、常に無理をすると、身体も心もこわしてしまうので、時にはゆったりしましょう、という歌です。

この言葉、宮崎奈穂子さんに全力でお返しします。

2014年9月25日木曜日

くしゃみ(170/365)

「宮崎奈穂子には、季節感のある曲が少ない」とよく言われますが、これはまぎれもなく晩秋の歌です。寒くなってきたので、

くしゃみ ひとつ 季節の変わり目

というのがタイトルの由来です。

単なる時候の挨拶みたいにも聞こえますが、そこは『歌・こよみ365』、よく読むとメッセージが隠されています。と、私が思っているだけかもしれませんが。

くしゃみ ひとつ 季節の変わり目
「風邪引かないでね」って 母に電話をかけようか

ため息 ひとつ 渇いた心
風がどんなに吹いても 私は動けずにいる

くしゃみ ひとつ 季節の変わり目
「風邪引いてない?」って 心配してくれる人はいるのかな

別居している母親の所に行ってあげたいけど、何かの事情で行けない(動けない)ようです。

ちょっと不思議なのが「心配してくれる人はいるのかな」という部分。母親のことを心配してくれる人が、母親の近くにいるのだろうか、という意味だと思います。

一般的には、母親の心配をするのは、父親、子供、その他の親戚、近所の人くらいでしょう。どれも、自分にとってそれほど遠い人ではないはずです。

ここで「いるのかな」と自問するということは、心配をしている人がいるかどうか分からないと言うことです。

考えられるのは以下の状況です。

  • 父親は近所にいない(死別か離別か分かりません)
  • 子供たちも近所にいない
  • 近所の人がよく分からない(おそらくは母親が引っ越した)

そうすると、以下の状況が想像できます。

  • 子供が他にいないか、または遠くに住んでいる
  • 父親と離婚して、引っ越した

それは、かなり心配になりますね。新しい出会いでもあればいいのですが。

以上、すべて想像でした。

2014年9月24日水曜日

突き進んでいくんだ(169/365)

人生、いろいろ後悔の繰り返しですが、

どれを取るかは自分次第で
これを取ったのが今の自分

です。

誰に強制されても、選ばざるを得ない状況でも、諦めざるを得ない状況でも、最終的に決断したのは自分自身ですから、自分で責任を取るべきですね。

この考え方を定式化したのが「選択理論」です。基本的な考え方は簡単だと思います。

「ダイエットしたい」と思ったのに、「目の前にポテトチップがあるから食べてしまうんだ」と思うのではなく、以下のようないくつかの選択肢があるのに「食べる」という選択をしてしまったと考えます。

  • ポテトチップを食べない
  • ポテトチップを買わない
  • 食べ残しのポテトチップには水をかけて食べられなくする

最後の選択は、評論家の岡田斗司夫氏がダイエット中に取った行動です。

もっとも、岡田氏は日常的にやっていたわけではありませんし、水をかけることに何とも思わなかったわけではありません。「こういうもったいないことをしなくても済むように頑張ろう」と誓ったそうです。

同僚は、先輩社員にこう言われたそうです。

選ばなかった選択は、存在しないんだよ

選ばなかった選択について、いろいろ考えても仕方ないということです。

「突き進んでいくんだ」の最後もこう締めくくります。

選ばなかった もう一つの未来に
もう思い馳せないで 突き進んでいくんだ

過去の行動に対しての反省は重要ですが、「ああすれば良かった」と後悔するのは意味のないことです。未来を見て生きましょうということですね。

2014年9月23日火曜日

スーパー元気(168/365)

何か、大きな仕事をしている人のようです。

私みたいな フツーの女の子でもできたから
アナタにも絶対できること 伝えたい

そのまま宮崎奈穂子さんの姿とかぶりますが、自分のことを歌うのは例外なので、たぶん別の人でしょう。

この部分、メロディもいいし、地声から裏声に変わる部分も美しいし、歌詞も宮崎奈穂子さんらしくてとても好きです。

「普通」といえば、「大丈夫だよ(121/365)」で紹介したエピソードです。

いや、これだけ毎日路上に立って歌うのは普通じゃないでしょう
いえいえ、ほんとに普通ですから
いやいやいや、普通じゃないです
いえいえいえいえ、ほんとにほんとに普通ですから

と、普通合戦になってしまいます。そこまで言うなら、もう面倒だから宮崎奈穂子さんは普通ってことにしておきます。

何が普通かっていうのはよく分かりません。

2014年9月22日月曜日

あなたのとなりのオーケストラを目指して(167/365)

私のリクエストで実現しました。

以前、仕事での付き合いがあった西谷亮(にしやりょう)さんが主宰する「ブロッサム フィルハーモニック オーケストラ」の曲です。

西谷さんは、元々IT系のエンジニアだったのですが、退職後、自分の音楽事務所を作り、オーケストラを立ち上げてしまいました。

元々音楽の勉強をされていたようですが「食っていけない」とエンジニアの道を選ばれたみたいです。ところが、勤務先の社員オーケストラの指揮をしたことがきっかけで(かどうかは聞いていないので分からないんですが)、音楽の道をもう一度選ぶことにしたようです。

オーケストラは、どう頑張っても1人では出来ないわけで、よく思い切ったと思います。西谷さんの人徳なのでしょう。

大ホールでの演奏の他、小編成の室内楽や、子供と一緒に聞ける催し、音楽教室なども開催されているようです。

曲中に登場するフレーズ

Blossom your life~心に響く音楽 花ひらく毎日

は、ブロッサム音楽事務所のキャッチコピーのようです。

ちなみに、宮崎奈穂子さんは「ブロッサム フィルハーモニック オーケストラ」との共演を大変期待していらっしゃるようです。私からもプッシュしておきます。

2014年9月21日日曜日

おやすみ(166/365)

1分53秒の短いのですが、歌詞も曲もなかなかいい歌です。

ベッドの中で、今日あったことを振り返りながら寝ている場面です。状況がよく分からないのですが、

ちいさなその手 つないで眠ろう

から考えると、どうやら小さいお子さんのようです。

最初、この部分を聞き落としていて

あなたが 大好き とっても 大好き
今日も 一日 元気でいてくれて ありがとう

の「大好き」に違和感があったのですが、お子さんと考えると納得できます。

ところで、宮崎奈穂子さんには似たようなタイトルの曲があります。

  • おやすみなさい…セカンドシングル、アルバム「Acoustic 1」に収録されています。
  • おやすみ…CD未収録、路上ライブでキーボードの電池が切れたときにアカペラでよく歌われます

おやすみなさい」は、レコーディング直前に「やっぱりこっちの方がいい」と別の曲にむりやり差し替えた結果だそうです。2枚目のシングルで、よくそんな無茶を言ったと述懐されていました。もしかしたら、差し替え前の曲が「おやすみ」なのかもしれません(未確認)。

2014年6月14日(土)に、恵比寿のLiquid Roomで開催されたライブでは、「おやすみなさい」のラスト「ララララ...」を客席と一緒に歌うという演出がありました。客席を巻き込むような演出は、それまで私は見たことがなかったので驚いたことを覚えています。

古い方の「おやすみ」、「おやすみなさい」と並んで、この「おやすみ」も長く歌われる曲になりそうな気がします。

2014年9月20日土曜日

手を放すことだって(165/365)

就職して1年、仕事を辞めようと思っている人の話。

「3年続けるのが当たり前」と言われるのに、1年で辞めるのはどうかという葛藤を歌います。

確かに、1年では仕事の面白さは分からないことが多いので、一般的には転職は勧めません。しかし、歌詞にあるように、何が本当にいいのかは誰にも分かりません。すぐやめた方がいいかもしれない。

目安になるのは「嫌で辞めるのか、他にやりたいことがあるのか」です。

嫌で辞める場合は失敗する確率が高く、他にやりたいことがある場合は成功する確率が高いようです。ただし、これも確率の問題なので、絶対成功するとか絶対失敗するとかいうことはありません。

この曲では、「逃げるのじゃなく、進みたい方向がある」ということなので、成功することを祈っています。

医薬品のインターネット販売会社「ケンコーコム」の創業社長が引退する記事が出ていました。

「会社をもっと大きくするには、自分では力不足だと感じたから」ということです。自分が創業した会社を離れることについて、こんなことをおっしゃっていました。

僕の夢は一貫して「買い物をするならネットだよね」という世界が来ることだった。

その姿さえ、将来自分の目で見られるのであれば、それ以上に望むものを僕は持っていない。

僕は夢以外の何でも捨てられる。

「夢以外のなんでも捨てられる」は、この曲の歌詞「手を放すことだって大きな勇気」に通じるものがあります。

宮崎奈穂子さんが、創業から関わってきたBirthday Eveを離れ、結果としてBirthday Eveは事実上の営業停止になりました。これは、かなり大きな決断だったはずです。創業メンバーとして関わってきたというのは、単にある会社に就職したのとは全く違います。

しかし、そこには「私の夢はなんだろう」という思いがあったのでしょう。

武道館は大きな夢だったでしょうが、本当の夢は「自分の歌で、元気になってくれる人が、1人でも多くいてほしい」じゃないかと思います。


【参考】【独占独白】ケンコーコムの後藤社長、楽天との乖離を語る

2014年9月19日金曜日

優しい丸文字(164/365)

山形県のファンからの手紙。

山形は、海岸沿いの庄内地方(鶴岡市など)と、内陸の村山地方(山形市など)、内陸北部の最上地方(新庄市など)、内陸南部の置賜地方(米沢市など)に分かれます。

各地方はそれぞれ独自の文化を持ちますが、特に庄内地方は北前船を使った交易で、京都との結びつきが深いと言われています。たとえば、京都の有名な料理「芋棒」は、里芋と棒鱈(ボウダラ:タラを干したもの)の煮物ですが、棒鱈は北前船で運ばれ、里芋は山形の名産品です(里芋自体は全国で作られていたので、単なる偶然という可能性もあります)。

山形新幹線は、福島で東北新幹線と分かれ、米沢-山形-新庄と進むのですが、海沿いの庄内は通りません。そのため、東京からはあまり馴染みがありませんが、海はきれいで海水浴にもいいところです。

海水浴場に近い、鶴岡市立加茂水族館は、クラゲの飼育で有名です。なかなか面白かったので、機会があればぜひどうぞ。

2014年9月18日木曜日

熱海の歌(163/365)

熱海の歌です。おそらくは、2013年2月5日に熱海の商店街で開催された路上ライブイベントの縁でしょう。商店街の私有地で開催されたようです。

その時の報告が「昨日の熱海路上ライブの感謝。。と、辻真先先生!!」(旧ブログ)。

もともとは、写真家の山岸伸さんの紹介のようです。山岸伸さんは、2012年の武道館ライブの写真撮影にも関わっていらっしゃったということです。

この曲に出てくる熱海の関連キーワードは以下の3つ。

  • FM Chao!
  • 平和通り
  • はちみつソフトクリーム

FM Chao!は、熱海のコミュニティFMです。イベント中継があったのでしょうか。

平和通り商店街は、駅前のアーケード商店街です。路上ライブを実施したのは、おそらくここの広場だと思われます。

はちみつソフトクリームは、おそらく杉養蜂園で売っているものでしょう。ふつう熱海のお菓子といえば温泉饅頭なんですが、わざわざここで出て着るということは、よほど熱海が推しているが、宮崎奈穂子さんが食べたのでしょう。

熱海は、古くから観光地化されており、良くも悪くも昔ながらの温泉街です。観光名所としては、お宮の松が有名ですね。尾崎紅葉の「金色夜叉」に登場する貫一・お宮の名シーンが銅像となっています。

ちなみに「金色夜叉」は未完だそうです。知りませんでした。

金色夜叉は明治時代のベストセラーですが、擬古文であり、原文では(私は)ほぼ読めません。少し後に出た、夏目漱石の「吾輩は猫である」くらいだと、逆にほぼ読めます。

明治期の知識人は、「擬」とは言え、古文を読む教養を持っていたのですね(書き言葉は、ほぼ古文だったので当然かもしれませんが)。

ちなみに、英語の場合はシェークスピアあたり(1600年頃なので江戸時代直前から前期)から「early modern English(初期近代英語)」と呼ばれ、現代人にも「だいたい分かる」そうです。

2014年9月17日水曜日

たんたんと 粛々と(162/365)

淡々と生きようという歌ですが、

  • 人に憧れることも悪くない
  • 今この場所にとどまってるわけにはいかない
  • 今のこの私で満足するわけにはいかない

という言葉が続きます。

「私は私」という言葉も出てきます。「私らしく」「私は私」を、現状維持の言い訳に使う人もいるようですが、この曲は本当に前向きです。

毎日毎日、お客さんがいてもいなくても、淡々と路上ライブをする宮崎奈穂子さんの姿と重なります。

2014年9月16日火曜日

ありがトン(161/365)

株式会社ありがトンの代表取締役社長、澤登和夫さんに贈る歌のようです。ブログ「ありがトンコーチさわとんの「自分への感謝」で人生トントン拍子」に「路上から武道館へ」「うつから武道館へ」といった記事があるので、間違いないでしょう。

「ありがトン」のWebサイトによると、事業内容は以下の通りです。

  • カウンセリング
  • 講演
  • メンタルヘルス研修
  • カフェありがトン
  • 書籍、グッズ制作、販売
  • 各種イベントの企画、運営
  • その他の事業

自身のうつ病体験から、「うつ専門カウンセラー」として活動を始めたそうです。

うつ病というのは、本当に大変な病気のようです。友人がうつになったとき、奥様は「うつ的な状態と、うつ病とは全く違う」と力説していらっしゃいました。

世の中には「うつになりやすい性格」「うつになりやすい生活」などの情報があふれていますが、実際には誰でもなる可能性があるということです。なりやすい/なりにくいというのはあるのかも知れませんが、「なるときはなる」ということで、風邪にたとえられることもあります。

しかし、風邪との最大の違いは、うつ病の致死率が非常に高いということです(自死という形を取ります)。幸い、私の親しい友人は誰も死なず、健康な状態に復帰しましたが、それほど親しくない知人は何人か亡くなっています。

励ますことは厳禁ですが、かといって「そのうち直る」と突き放すのも良くないそうです。
トンネル(145/365)」で紹介したような、「信じている」というメッセージが効果的だということです。

それにしても、誕生日の曲よりも、うつ病の曲の方が多いというのが現代的です。

澤登さんが、うつ病をきっかけに開業するまでの様子は、このブログで読めます。全20回と、結構長いですが、ぜひ読んでみてください。

2014年9月15日月曜日

愛を歌う人(160/365)

路上ライブをしているらしき人の歌。誰のことか、宮崎奈穂子さんに直接聞いたら、同じ事務所のシンガーソングライター「有坂ちあき」さんだそうです。

この方、楽曲毎に名前を使い分けていらっしゃいました。

  • 千晶(ちあき)…アップテンポの、自称「お祭りソング」
  • Chiaki…バラード
  • ちあき…童謡

千晶さんは、後に「御神楽千秋(みかぐらちあき)」に名前を変えます。千昌の前は「詩音.(しおん)」という名前だったそうです。

そして、現在は「有坂ちあき」名義で活動していらっしゃいます。

ややこしいので図にしてみました。たぶん合っていると思います。

Chiaki
▲「有坂ちあき」名前の変遷

丹波篠山(たんばささやま)出身で、ほぼ関西弁の彼女の魅力は、結構美人なのにしゃべるとおばちゃんというキャラクターです。そして歌もうまい。

楽曲的には、「三十路ンジャー(みそジンジャー)」など、ライブで盛り上がる曲から、「永遠に(とわに)」といったバラード曲、そして昭和歌謡風の曲まで、とにかく幅広い。私はバラード曲が好きです。


▲千晶「三十路ンジャー」


▲千晶「永遠に」

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▲2011年12月撮影の千晶さん(現在は、歌唱中の撮影は禁止されています)

2014年9月14日日曜日

最寄り駅から家までの距離(159/365)

最寄り駅から家までの距離」に加筆・修正をしました。


たまに路上ライブでも披露される歌です。

仕事で張り詰めた気持ちが、最寄り駅から家までの間に解放されるという歌です。

それにしても、仕事帰りに深夜のコンビニでチョコを買って、店員さんに「おやすみなさい」と言われるだけで気持ちが緩むというのは、どれだけ張り詰めた生活をしているのかと、心配になります。

宮崎奈穂子さんの歌には、コンビニがしばしば登場します。ローソンのパスタブランド「パスタ屋さん」のイメージソングを歌っていたからということはないでしょうが、コンビニには特別な思いがあるのかもしれません。

仕事帰り、深夜のコンビニで雑誌を立ち読みして、甘い物を買って帰るだけでちょっとほっとするということはありますね。

歌詞では、仕事中に付けていた仮面を最寄り駅で外すということになっていますが、もうちょっと気楽に仕事をしてもいいのじゃないかなと思います。

私の古い友人で、自分の会社を経営している女性がいます。新卒で就職したのが、ちょうと男女雇用機会均等法施行の年でした。

昨年、偶然Facebookでつながって、何年かぶりに会いました。彼女のFacebookの書き込みを見ていると、犬や猫など動物のことがたくさん出てきます。

そういう印象はなかったので、「前から、そんなに動物好きやったっけ?」と尋ねたら「昔からだけど、動物好きとか花が好きと言うと、女っぽいと見られそうで嫌だった」と答えてくれました。

30年近く経った今も、やはり女性が、男性になめられず一人前の仕事をするのは大変なことなのでしょうか。

そういえば「宮崎奈穂子さんは、特別な仕事ではなく、ふつうに働く女性を題材にした歌が多い」と言ったら「経営者のことも歌って欲しいわ」と笑ってました。

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▲2012年11月2日宮崎奈穂子武道館ライブ開演前の様子

2014年9月13日土曜日

手紙(158/365)

手紙」に加筆・修正をしました。


名古屋での路上ライブに来たファンからの手紙を、東京に向かう新幹線で読んでいるという話です。

実際の手紙の内容とほとんど同じなのじゃないかと想像します。

エピソード主の女性、東京で何度かお会いしている方だと思います。名前も分かるのですが、CDのクレジットに名前が入っていないので確実ではありません。また、クレジットされていないということは、名前を出したくないのだろうと思うので、具体的には書きません。

熱心なファンの方なんですが、PCもスマートホンもお持ちじゃないので、情報を入手するのに苦労されていたようです。2013年11月23日(祝)の宮崎奈穂子さんライブは撮影が許可されていたので、いいものを何枚か選んで郵送しました。

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▲2013年11月23日(祝)渋谷AX

その後、スマートホンを入手されFacebookにも参加されています。現在、路上ライブの情報はFacebookを中心に告知されているので、良かったと思います。名古屋での路上ライブは少し前にブログでも告知されるのですが、それもスマートホンじゃない携帯(フィーチャーフォン)でも入手可能です。

曲中「あなたの母のような優しさが」というフレーズがあります。やはり、我々男性ファンとはちょっと違った視点で応援されているのだと思います。

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▲名古屋で歌う宮崎奈穂子さん(2011年12月7日)

2014年9月12日金曜日

まっすぐに(157/365)

「努力すれば夢はかなう」は、宮崎奈穂子さんの永遠のテーマですが、実際問題として、かなわない人も多いわけです。

だからといって、最初から「どうせかなわない」と斜に構えるより「まっすぐに」信じてもいいんじゃないかな、という歌です。

この曲のサビの部分のメロディがとてもきれいで、地声から裏声に変わる瞬間は、いつ聞いてもいいものです。文章でこの良さが伝えられないのが残念です。

ところで、この曲に限らず、宮崎奈穂子さんは基本的に「ら」抜き言葉で歌詞を綴ります。年代的に「ら」抜きしか使っていないはずですが、年代の割には言葉に注意する人なので、もしかしたらわざとかもしれません。実際、別のアルバムには「ら」抜きでない歌詞も登場します。

よく知られているように、「れる」をつけて可能動詞に変化させる方法は、五段活用の動詞にしか使えません。

  • ○歌う→歌える
  • ×食べる→食べれる

しかし、もう何十年も替えから「ら」抜きは一般化しており、20歳代以下の人は「ら」抜きを識別することができないようです。

特に、古語文法でいう「上一段活用」、俗にいう「ひいきにみる」、つまり「放る(ひる)」「居る」「着る」「似る」「見る」などは、高年齢者層でも「ら」抜きが一般化しています。

以前、同僚が「しゃべれる」という言葉を報告書に使ったところ、お客様から「ら抜きはやめてください」と指摘されたという笑い話があります。担当者は確か30歳代だったと思います。

「しゃべる(喋る)」は五段活用ですから、可能動詞としての「しゃべれる」は全く問題がありません。おそらく「食べれる」からの類推で、間違っているような印象を受けるのでしょう。

このように、もはや大人世代でも「ら」抜きを正しく認識することはできなくなりました。

日本語の「れる」には可能と受け身の両方の意味がありますが、可能動詞にすることであいまいさがなくなります。

たとえば、以下の文を読んでください。

  • あ、食べられる!

無防備な自分の目前に空腹の猛獣がいるかもしれませんし、繰らず嫌いだった食材を初めて食べた時の言葉かもしれません。

もっとも、目前にいるのが怪獣ツインテールだった場合は、どちらの意味でも正解です。ツインテールは、「帰ってきたウルトラマン」などに登場する怪獣で「肉はエビに似た味で美味」という公式設定があります。

こう書けばどうでしょう

  • あ、食べれる!

これなら間違えません。

国語学者によると、「ら」抜きは日本語の自然な変化であり、乱れではなく進化なのだそうです。

ちなみに、清少納言は「枕草子」でこう書いているそうです。

なに事を言ひても、「そのことさせんとす」「いはんとす」「なにせんとす」といふ「と」文字を失ひて、ただ「いはむずる」「里へいでんずる」など言へば、やがていとわろし。

「言わんとす」と言うべきところ「言わむ(ん)する」と「と」を抜いているのは好ましくないというわけです。「と」抜きというわけです。

しかし、後に「むず(る)」は正式な助動詞として定着するそうです。

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▲清少納言(枕草子絵巻)より

2014年9月11日木曜日

なんでもない日の帰り道(156/365)

夕焼けとか日の出には不思議な力があります。富士山頂で見る御来光に、意味もなく涙した人も多いことでしょう。

何でもない日、夕焼けを見て、ふと自分を振り返るという歌です。

友人の結婚式に仕事でいけないことも、それは自分の選択なのだけど、寂しいこともあります。

自分の可能性を試しきらないと夢を諦めきれない

宮崎奈穂子さんの言葉には、このフレーズがよく出てきます。まるで「諦める言い訳を作るために頑張る」ような所もあります。

事務所の方針で路上ライブを始めたときも

「ここまでやったんだから、もう諦めよう」

そう言いたくて続けていた時期もあったそうです。

最後はこんな言葉で終わります。

久しぶりに自分の気持ちとちゃんと向き合えた
そんななんでもない日の帰り道

そういえば、宮崎奈穂子さんのデビュー曲『優しい青』は、「青空を見ていると泣きそうになる」という歌でした。他に「オレンジ」という夕方の歌もあります。

空が好きなようですね。

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2014年9月10日水曜日

すべては未来のために(155/365)

すべては未来のために(株式会社Nexyz近藤太香巳社長に贈る歌)」の再掲です。


まずは、宮崎奈穂子さんのブログでの紹介から。

【歌・こよみ3/365】ネクシィーズ近藤太香巳社長の楽曲です!!

近藤社長は、2012年11月2日の武道館ライブを強力にサポートしていただいたようで、ファンとしても感謝しています。

武道館当日は、ライブの途中で、同様にサポートしていただいた経営者の方々とともにトークコーナーがありました。

この様子は、武道館のライブDVDに別トラックとして収められています。ただし、私は当日見たので、改めて見返してはいません。このブログを書くために、改めて見てみようかと思います。

肝心の曲は、個人というより会社向けのせいか、まあ、いい歌詞なんですけど、良くも悪くもあまり心に引っかからない。近藤社長は魅力的な人なので、もっと個人的な部分を前面に出せば、もっと違った印象だったかもしれません。

「歌・こよみ365」には、企業向けの曲や、企業の創業者に向けた曲がたくさんありますが、だいたいにおいて、無難な歌詞が多いようです。会社相手だと、広報がうるさいのかもしれませんね。ネクシィーズも東証一部上場企業ですから、社長の勝手にはできませんからね。

ところで「歌・こよみ365」でシングルCDとして発売された作品はそれほど多くありません。手元のCDを見ると、最初の「Passion Mission Action」は12月23日に購入しています。これはおそらく吉田沙保里さんの人気に期待したのでしょう。

『すべては未来のために』は、3曲目ですが、確か2枚目のシングルで、こちらも手元のCDを見ると1月21日に購入しています。おそらくは、近藤社長かネクシィーズか、どちらかがまとめて買い取る契約だったのでしょう。

「まとめて買うから出版して」というのは、書籍でもよくある話です。こうした活動のおかげで、我々は、良質だけど大量には売れない作品を入手できるわけです。
武道館に引き続き、ありがとうございました。

2014年9月9日火曜日

笑って生きたい(154/365)

最初はいい加減な感じで始まります。

笑って生きたい 夢は今のところ ない
とりあえず確かなこと 僕は一生笑って生きたい

でも、その後でちょっと変わります。

さらに最近思うことは
ひとりで笑ってもつまらないってこと

そして、「夢はない」と言いながら、「夢」を語ります。

だから 大好きな人とたちと 笑って生きていきたい
この心の中にある たったひとつ揺るぎない気持ち

曲調も、このフレーズで大きく変わります。

「毎日笑って生きたい」と思う気持ちは本当に大事なことだと思います。SNSの発達で、立場の違う人たちとも簡単につながれるようになりました。こうして「大好きな人」が増えることで、違う立場を(たとえ理解できなくても)認められるようになり、それが世界平和につながるのではないでしょうか。

ガイナックス初代社長で、アニメなど「オタク文化」に詳しい評論家の岡田斗司夫氏は、こういうことを言っています(唐沢俊一検証blog)。

岡田 もう一つは、エリートの戦闘機パイロットが、「日本とアメリカが戦争になっても、東京は爆撃できない」と言うんです。練馬にはアニメスタジオがある。東京のどこかには氷川神社がある。そんな国を大統領の命令とは言え破壊できない。もちろん自分はアメリカという国に絶対の忠誠を誓っているし、何よりもアメリカ人の男でありたいと子どもの頃から思っていたんだけど、日本を爆撃することはできない。

(唐沢俊一は自分をオタクだと思っていない。)

氷川神社は各地にありますが、ここで指摘しているのは麻布にある氷川神社を指します。なぜそんなに大事かというと、麻布の氷川神社は「美少女戦士セーラームーン」の登場人物の1人「火野レイ」こと「セーラーマーズ」が住んでいる家だからです(セーラームーンでは「火川神社」)。

映画「ローマの休日」でも、ドタバタ劇を繰り広げたあと、オードリー・ヘプバーン演じるアン王女は言います。

有名な台詞は、外遊中に一番気に入った国を聞かれたシーンでしょう。

(返事をためらうアン王女に、側近がささやいた通りの台詞)
「どの国々も、それぞれに素晴らしく...」

(ここでちょっとためらって)
「ローマです。何といってもローマです」

でも、私が好きなのはその前の台詞です(私の母も、ここで泣いたと言ってました)。

(国同士の)友情を信じます、人々の友情を信じるように。

直接的には、グレゴリー・ペック演じる新聞記者が、アン王女の「休日」を報道しないことを「信じます」という意味ですが、私は「個人の友情の積み重ねが、国際関係の安定につながる」と受け取りました。母もそう受け取ったと言ってました。

ところで、「ローマの休日」の見所は、アン王女が公務に戻ったあとの演技です。それまで世間知らずのお嬢様だったのが、「休暇は終わった」とプロの王女に戻って采配をふるう姿に仕事の厳しさを感じました。

ちなみに「真実の口」のシーンは、監督とグレゴリー・ペックによるアドリブで、新人女優だったオードリー・ヘプバーンは本当に驚いたという話が伝わっています。

Audrey_Hepburn_and_Gregory_Peck_at_the_Mouth_of_Truth_Roman_Holiday_trailer
▲「ローマの休日」は著作権が切れており、パブリックドメイン状態にあります。

2014年9月8日月曜日

「できない」っ、てほんと?(153/365)

「(顧客の要求を)できないって言うな、どうやったら実現できるかを考えろ」とよく言います。

この歌でも

「できない」じゃなくて「やりたくない」だけ
私の心が無理って 決めてるだけじゃない?

と歌われます。

それはその通りだと思います。たいていの場合「できない」は、「やりたくない」か「やる必要がない」ことです。

やりたくないことで、やる必要がなければ、それは放置すればいいでしょう。

やりたくないことでも、やる必要があれば、最終結果をイメージしつつやりましょう。たとえば、多くの場合、練習はやりたくありませんが、技術を習得するには練習が必要です。

ただし、「できないことはできない」と認識することも重要です。

この間、面白いビデオを見つけました(英語ですが字幕も出ます)。「顧客の要求にNOと言うな」は世界共通の認識のようです。

このビデオでは、顧客が

7本の赤い線を、緑と透明のインクで描く

という無茶なことを要求します。相手企業はもちろん、自社の営業も味方にはなってくれず、エンジニアが孤軍奮闘します(もちろん勝てません)。

さらに、色に加えて線の交わり方を指定します(もちろん不可能な図形で)。

面白いので、ぜひ見てください。

2014年9月7日日曜日

立ち止まって(152/365)

本当にこれでいいのかな、と思うことはよくあると思います。

ラストはこう。

ふと 立ち止まって 見つめ直して
変わりたいなら この足で歩き出さなきゃ
私が歩いたところが 道になっていくから
大丈夫 大丈夫 言い聞かせて

「私が歩いたところが道になっていく」は、高村光太郎の有名な「道程」モチーフにしているのだと思います。

冒頭はこう始まります。

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る

この詩には、実はもっとずっと長い原型があったそうで、そちらには「道のない所を選ばざるを得なかった自分」というのが出ているそうです。

そう思うとちょっと印象も変わります。

「立ち止まって」のラスト「大丈夫 大丈夫 言い聞かせて」も、自分で選んだ道だけど、他に選びようがなかったという感じが出ていると思います。

2014年9月6日土曜日

支えたい(151/365)

どうやら、不登校児のためのボランティアの歌のような感じがします(「不登校」とは書いていません)。

ボランティアに関わる人の多くは、最初から目的意識があったわけではありません。なんとなく初めてみたら、そのうちに自分の意識が変わり、一所懸命やるようになった、ということをよく聞きます。

この歌も、最初は「人のために生きたい」とは思わなかったようですが、どうやら勝つ亜どうしているうちに意識が変わったようです。

学校の目的は大きく2つあります。1つは生活に困らない学力を付けることで、もう1つは社会性を身に付けること。

学力に関して言えば、学校は必要ありません。教師の中には、「生活に困らないだけの学力」を身に付けていない人もたくさんいます。「水に優しい言葉をかけたら腐らない:みたいなデタラメを生徒に話している人もいるそうですし、血液型による性格分析を信じている人も多いようです。科学的に考える力があれば、あり得ないことはすぐ分かるはずです。

逆に、オンライン教材の発達で、その気になれば独力で十分学べる環境が整ってきました。下手な教師に習うよりも効率的かもしれません。

ただ、社会性を独力で身に付けることはできません。オンラインコミュニケーションは、現時点では人間関係を作るのに十分ではありません。オンラインは、リアルなコミュニケーション以上の力を発揮することもありますが決して「万能」ではないのです。

そこで、フリースクールを含めたコミュニティは非常に大事だと思います。閉鎖的な環境にいると「いじめ」みたいなものも出てくるので、フリースクール同士の交流があればもっといいですね。リアルを補完するためのオンラインコミュニケーションもいいと思います。

こうしたボランティア活動を通して、一番成長できるのは自分自身かもしれません。

若い頃の悩みが、本当の意味で解決するのは「同じ悩みを持った次の世代の相談に乗ったときだ」という言葉もあります。

学校教育に頼らない、さまざまな試みが広がることを願っています。

2014年9月5日金曜日

ふたつの私と手をつなごう(150/365)

人間には、多かれ少なかれ、ポジティブな部分とネガティブな部分があります。ネガティブな部分を捨てて、ポジティブな部分を出して行こうと思っている人も多いでしょうが、実際にはなかなかうまくいきません。

プラスの気持ち マイナスの気持ち
どっちも私 大切な私

で始まるこの歌は、ポジティブな部分とネガティブな部分の両方をまとめて「私」で切り離せないから、両方大事にしようと言っています。

人間の性格は、長所と短所が表裏一体です。ポジティブに見れば「慎重」、ネガティブに見れば「優柔不断」などの「言い換え辞典」もあるくらいです。

「歌・こよみ365」には「なりたい自分」というフレーズがよく出てきますが、長所も短所もあわせて「自分」だということを忘れると嫌になってしまいます。

ポジティブとネガティブ、ふたつの私と手をつないでいきたいものです。

2014年9月4日木曜日

いらない(149/365)

人生のいらないものリスト

  • 大きな宝石
  • 大きなお家
  • 豪華なディナー
  • 誰かに自慢するための人生

語呂の問題もあるのでしょうが、「小さな宝石」「小さなお家」「楽しいディナー」は欲しいところですね。

アクセサリーは心を豊かにしてくれるでしょうし、気の置けない人とのディナーは生活の糧でしょう。そして、何より「自分に自慢できる人生」が大事です。

このあと、歌詞は

ああ 望むのは「ありたい自分」になること

と続きます。メロディーも変化し、美しいファルセットで歌われます。この曲のクライマックスですね。

ところで、「歌・こよみ365」には、「なりたい自分」「ありたい自分」とおいう言葉が多く登場します。一度数えてみたいくらいです。

2012年までのアルバムには「なりたい自分」よりも「存在意義」の方が多かったように思います。他の人の作詞曲を含めるかどうかは難しいところですが、カバーではなく提供曲なので、一緒に考えてもいいでしょう。

存在意義」は、言葉として硬いというのもあるでしょうが、私は2012年以前と2013年以降の考え方が出ているように思います。

通常「存在意義」というのは、他者に必要とされることを意味します。一方「ありたい自分」の主体はあくまでも自分であり、他者を必要としません。

もちろん、実際には「ありたい自分」の要素として「他の人に役に立ちたい」という欲求は含まれるでしょうが、主体は自分自身です。

人の目を気にせず、自分の良心に従って行動すれば、結果として世の中の役に立つということでしょうか。

ちなみに、中国の古典「論語」には

五十にして天命を知る
六十にして耳順(耳にしたがう)
七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず(のりをこえず)

とあります。

「耳従」は、「素直に人の言うことに従う」こと、「矩を踰えず 」は「規範を逸脱しない」ことだそうです。

宮崎奈穂子さん、21歳にして路上ライブを通して歌を届けるという天命を知り、26歳にしてさまざまな忠告や苦情があっても耳にしたがい、27歳にして矩を踰えない境地に達したようです。

 

【追記】

そういえばデビュー曲「優しい青」には「なりたい自分になるまで」という歌詞がありました。

2014年9月3日水曜日

無駄なことなんて(148/365)

「人生に無駄なことなんてない」と言いますが、なかなかそうは思えないもの。

この曲では冒頭から問いかけられます。

「無駄だったのかな」帰り道つぶやいた
今日頑張ったことも 感じた悔しさも

そこに友人がなぐさめてくれます。

やってみなきゃわからない

前を走っていうる人たちは 最短距離で走ってきたと思う?

いい友人です。

私の好きな映画に、三谷幸喜監督「ラヂオの時間」があります。さまざまな事情でシナリオが改ざんされていくために、作家が耐えられず逃げ出そうとするところで、ラジオ番組のプロデューサが言います。

あなたは、私たちが常にベストの番組を作っていると思っているんですか。
満足できるものができなくても、番組を送り出す責任があるんだ。

失敗した番組を見る方は困りますが、プロでもそういうことはあります。過ぎてしまった時間は取り返せないので、こういうときは、もっといい作品を作って恩返しするしかないのでしょうね。

人生に無駄はありませんが、反省は必要です。そして、仕事の失敗は、仕事で返すしかありません。たとえ迷惑をかけた人に返すことはできなくても、他のもっと多くの人に満足してもらえるように努力することしかできないんですよね。

2014年9月2日火曜日

不安で不安でしょうがない(147/365)

不安不安でしょうがない、という時間を過ごした人は多いかもしれません。

不安不安でしょうがなくて
もやもやもやもや心で渦を巻く
でもちょっと待って
私なんでこんなに不安なんだっけ?

悩んでいるうちに、悩むこと自体が自分を悩ませるようになります。

評論家の岡田斗司夫氏によると「悩みとは複数の問題がこんがらがった状態」だそうです。

ひとつひとつは単に「困ったこと」に過ぎないのに、多くがこんがらがることで「悩みになる」。

米国の鋼鉄王アンドリュー・カーネギーは、ある日、悩みのあまり自殺しようとしたそうですが、ふと思い立って

自分がどれだけ多くのことに悩んでいるか書き出してみよう
きっと1000個くらいあって、書き出すのに一晩かかるだろう

とペンを取ったそうです。

ところが実際には70くらいしかなかった。そこで、項目をいくつかに分類して、今すぐ対応しなければならないことはゼロ、明日解決すればいいことが10個くらいしかなく「なんだ」と思って自殺を思いとどまったそうです。

この曲の歌詞には

マジックと紙を片手に
心の中の気持ち 全部絞り出す

とありますが、とても大事なことです。

【参考】岡田斗司夫なう

2014年9月1日月曜日

約束(146/365)

『歌・こよみ365完全版』の12枚目は「出会い」がテーマのようです。12枚目最後の曲は、夢を追うために海外に行った人を待つ話です。

ラストが

凜々しい女性でいられるように 私も頑張るから

なので、待つのは女性で、おそらく相手は男性でしょう。

「待つ女」は昔からよくあるモチーフですが、この曲が新しいのは、女性が「私も頑張るから」と言っているところです。

ちなみに「昔から」というのは、1950年代後半からスタートする高度成長期以降の話です。大正時代に生まれた「主婦」という概念は、女性が働く必要のない富裕層の象徴だったそうですが(出典の確認は取れませんでした)。

1960年代の学生運動は学生寮の自治化や学長選挙の学生参加(ただし教員と学生の1票の価値は大きく違う)など一定の成果を収めましたが、同時期の女性人権運動はそれほど大きな動きにはならなかったようです。学生運動の中心世代は専業主婦がもっとも多い世代でもあります。

1950年代に生まれた(再興した)歌謡曲は、ビートルズに代表されるバンドの影響を受け「グループサウンズ」が登場します。ただ、同時のグループサウンズは、「ブルーシャトー」の森と泉とか「長い髪の少女」とか「真珠首飾り」とか歌詞にほとんど意味のないものが多かったようです。

1960年代になって、フォークギターとコード奏法により、楽器演奏のハードルが大幅に下がったこともあり、自分の考えを自分の言葉で表現する「フォークソング」が登場します。

ところが、フォークは自己の内面を追求するあまり、「四畳半フォーク」とも揶揄されるような狭い範囲を扱うようになったようです。音楽的にも簡単なコードだけで演奏することに飽きられてきました。

以前、テレビ番組で山本コータローが「最初はボクらに憧れて音楽の道に入るが、すぐに(音楽技術的には簡単なことに気付き)別の方向に進む」と笑いながら話してました。

そこに登場したのが、荒井由美(松任谷由実)に象徴される「ニューミュージック」です。フォークと同じくシンガーソングライターには違いないのですが、音楽的なレベルがずいぶん上がっていますし、歌詞も洗練されてきます。

日本を代表する作曲家で指揮者の団伊玖磨氏が「日本にこんな斬新な曲を作る人がいたのか」と、荒井由美を絶賛していたことは有名です。

多くのフォークシンガーがギターで作曲していたのに対して、荒井由美はピアノで作曲していたから、コード進行にとらわれない斬新なメロディを作れたとされていますが、ピアノにだってコードはあるわけで、ここはやはり荒井由美のセンスなのでしょう。団伊玖磨氏によると、伝統的な音楽には見られないメロディー進行が多用されているそうです。

歌詞の内容も新しく、荒井由美の「ルージュの伝言」(1975年)では男に別れを告げて自ら出ていく女性が描かれます。

やっと戻ってきました。

「私も頑張るから」という女性は、荒井由美以降だと考えていいのではないかと思います。

ところで、松任谷由実と人気を二分する中島みゆきは、ニューミュージックに分類されますが、歌詞は「四畳半フォーク」そのままでした。最近の中島みゆきは、人間賛歌的な曲が増えてきていますが、当初は「うらみます」みたいな暗い曲や、「蕎麦屋」みたいな何でもない日常を描いた歌が多くありました。宮崎奈穂子さんと同じ事務所の有坂ちあきさんは「女々しい曲」と言っていました。

ちなみに、私は歌詞が身近に感じられる中島みゆきの方が好きです。

宮崎奈穂子さんの曲は、松任谷由実のエッセンスを取り入れつつ、中島みゆきから「恨み・つらみ」を抜いたような感じになっていて、聞きやすいと思います。