2014年9月1日月曜日

約束(146/365)

『歌・こよみ365完全版』の12枚目は「出会い」がテーマのようです。12枚目最後の曲は、夢を追うために海外に行った人を待つ話です。

ラストが

凜々しい女性でいられるように 私も頑張るから

なので、待つのは女性で、おそらく相手は男性でしょう。

「待つ女」は昔からよくあるモチーフですが、この曲が新しいのは、女性が「私も頑張るから」と言っているところです。

ちなみに「昔から」というのは、1950年代後半からスタートする高度成長期以降の話です。大正時代に生まれた「主婦」という概念は、女性が働く必要のない富裕層の象徴だったそうですが(出典の確認は取れませんでした)。

1960年代の学生運動は学生寮の自治化や学長選挙の学生参加(ただし教員と学生の1票の価値は大きく違う)など一定の成果を収めましたが、同時期の女性人権運動はそれほど大きな動きにはならなかったようです。学生運動の中心世代は専業主婦がもっとも多い世代でもあります。

1950年代に生まれた(再興した)歌謡曲は、ビートルズに代表されるバンドの影響を受け「グループサウンズ」が登場します。ただ、同時のグループサウンズは、「ブルーシャトー」の森と泉とか「長い髪の少女」とか「真珠首飾り」とか歌詞にほとんど意味のないものが多かったようです。

1960年代になって、フォークギターとコード奏法により、楽器演奏のハードルが大幅に下がったこともあり、自分の考えを自分の言葉で表現する「フォークソング」が登場します。

ところが、フォークは自己の内面を追求するあまり、「四畳半フォーク」とも揶揄されるような狭い範囲を扱うようになったようです。音楽的にも簡単なコードだけで演奏することに飽きられてきました。

以前、テレビ番組で山本コータローが「最初はボクらに憧れて音楽の道に入るが、すぐに(音楽技術的には簡単なことに気付き)別の方向に進む」と笑いながら話してました。

そこに登場したのが、荒井由美(松任谷由実)に象徴される「ニューミュージック」です。フォークと同じくシンガーソングライターには違いないのですが、音楽的なレベルがずいぶん上がっていますし、歌詞も洗練されてきます。

日本を代表する作曲家で指揮者の団伊玖磨氏が「日本にこんな斬新な曲を作る人がいたのか」と、荒井由美を絶賛していたことは有名です。

多くのフォークシンガーがギターで作曲していたのに対して、荒井由美はピアノで作曲していたから、コード進行にとらわれない斬新なメロディを作れたとされていますが、ピアノにだってコードはあるわけで、ここはやはり荒井由美のセンスなのでしょう。団伊玖磨氏によると、伝統的な音楽には見られないメロディー進行が多用されているそうです。

歌詞の内容も新しく、荒井由美の「ルージュの伝言」(1975年)では男に別れを告げて自ら出ていく女性が描かれます。

やっと戻ってきました。

「私も頑張るから」という女性は、荒井由美以降だと考えていいのではないかと思います。

ところで、松任谷由実と人気を二分する中島みゆきは、ニューミュージックに分類されますが、歌詞は「四畳半フォーク」そのままでした。最近の中島みゆきは、人間賛歌的な曲が増えてきていますが、当初は「うらみます」みたいな暗い曲や、「蕎麦屋」みたいな何でもない日常を描いた歌が多くありました。宮崎奈穂子さんと同じ事務所の有坂ちあきさんは「女々しい曲」と言っていました。

ちなみに、私は歌詞が身近に感じられる中島みゆきの方が好きです。

宮崎奈穂子さんの曲は、松任谷由実のエッセンスを取り入れつつ、中島みゆきから「恨み・つらみ」を抜いたような感じになっていて、聞きやすいと思います。

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