2014年10月23日木曜日

ほんとは ほんとは(198/365)

強いとか弱いとか(74/365)」は、「君は/私は強いから」「私は/君は弱いから」って簡単に言えるものじゃないよ、っていう歌でした。

この曲は「あなたは強い」って言われるけど、本当は逃げ出しそうな自分を必死で引き留めているという歌です。

ちょっと分からないのは途中にある

人の心の痛みが分かるには
自分が痛みを経験することだと
昔から言われるこの言葉もきっと
腑に落ちるには経験しかないんだ

です。

あなたは私のことを「強いね」って言うけど、
あなたは経験していないから、私の気持ちは分からないでしょう

という意味なのか、あるいは

あなたは私のことを「強い」と思うことで、自分の弱さを知って傷つく
そのことを私は気付かなかった

という意味の、どちらでしょう。

もっとも、どちらであっても生き方は大して変わりません。

小説家の庄司薫が、長編評論『狼なんか怖くない』でこんなことを書いています。

美人ちゃんは、美人というだけで人を傷つける

美人かどうかは持って生まれた要素が強く、本人の責任ではありません(美人の素質を生かすかどうかは本人の努力ですが)。けれども、他の人から見ると「あの人は美人だから」とねたみの対象になり、「それに引き換え私は」と(勝手に)傷ついてしまうという話です。

じゃあ、生きていても人を傷つけるだけだから、自殺しようと思っても、「他人を傷つけるのを恐れて自殺する」ということ自体が美談になり、結果として他の人を傷つける。しかも、死んでしまった以上、償うことすらできないという事態になってしまいます。

庄司薫の結論はこうです。

成長の過程で他者を傷つけたとしても、成長の結果で恩返しをすれば良い。
すれば良い、というより、それしか方法が無い。

人の痛みが分からず、人を傷つけてしまった場合、その傷を癒やせるくらい大物になって恩返しをするということです。

だからといって、積極的に他者を傷つけていいというわけではありませんが、確かに他に方法はないと思います。

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