2014年10月8日水曜日

今日も 一日が終わる(183/365)

『歌・こよみ365完全版」の15枚目は、「前進」がテーマのようですが、いつも着実に前進するわけではないようです。15枚目の12曲を、文としてつながるように、一部の表現を変えて並べてみました。

  • 朝の10分で未来を買えて
  • 東京の人混みをかき分け
  • 睡魔と戦い
  • 春夏秋冬、1年中
  • どこまでも進んでいき
  • この季節が来たら
  • 今日も考える
  • 「あなたなら大丈夫」と言われ
  • 幸福駅に行って
  • まほろ横町に住み
  • ここまで歩いて
  • 今日も一日が終わる

朝から始まり、四季を過ごし、いろんな土地を回り、1日が終わるようです。

この曲は、1日の終わりに自分が進む方向を自問している様子です。

印象的なのはこのフレーズ

テレビもスマホもパソコンも
答えは教えてくれない
ただ 情報が溢れては 捨てられてく

1970年代、既に情報化社会の兆候がありました。小説家の庄司薫は「このまま情報が溢れても、価値観がしっかりしていれば恐れることはない」と言いましたが、同時に「多様な価値観が登場し、溢れる情報をどう解釈していいか分からなくなる」と予測しました。

検索は確かに便利ですが、解釈は教えてくれません。2008年の「インターネットウィーク」というイベントのテーマは

集い、語り、拓く、インターネットの4日間~検索で明日はみつからない~

でした。

ちなみに、アニメ「あしたのジョー」で、毎回の予告編の最後の決め台詞が「あしたはどっちだ」でした。主題歌のラストにも使われている言葉です。

かつては、解釈の種類も多くなく、全国紙や総合雑誌が「オピニオンリーダー」として位置付けられていました。しかし、今は誰もがブログを書き、Twitterで拡散し、Facebookの「いいね!」をもらう時代です。特定のマスコミが世論を作ることはありません。

幸か不幸か、その結果、どんなに極端な意見でも仲間を見つけることができるようになりました。以前は仲間を見つけることが難しく、広く知られることはなかったのに、今では簡単にみんなで集まって意見表明ができます。

評論家の岡田斗司夫は、1998年の著書「ぼくたちの洗脳社会」で「高度情報化社会とは情報が多いことではなく、情報の解釈が多いことだ」と主張しました。そして、大事なことは誰もが自分の意見を主張し、その意見を広めることに力を尽くすべきだとしました。「意見を広めること」を「洗脳」と呼んだためか、この本はそれほど売れなかったようです。そして、2011年に、骨子はそのままで内容を大きく変えた「評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている」が出ました。こちらは「洗脳社会」ではなく「評価経済社会」と呼び、最近の社会現象の多くを的確に説明しています。

なぜ、がんばっている人を応援したくなるのか、という説明もあります。宮崎奈穂子さんのファンにはぜひ読んで欲しい本です。


評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている

0 件のコメント:

コメントを投稿