少年の頃、あきらめたと思っていた夢への情熱が、実はまだ残っていたという話です。
ところで、彼は
往生際が悪くたっていい 僕の人生だ
と言っていますが、結局どうしたのでしょう。気になります。
ものすごい遠回りをして夢をかなえる人は確かにいます。「ずっと忘れていたけど、これがしたかったんだ」という話もよく聞きます。
英語に
I can't live your life.
ということわざがあるそうです。「私はあなたの人生を生きられない」つまり「自分の人生は自分だけのものなので、私には決める権利がない」ということです。
みんなが好きなことをして、自分で責任を取る(でも社会保障などのセーフティネットはある)という社会が来ればいいと思います。「セーフティネットにただ乗りする人が増える」という意見もありますが、そういう人は少数派だと思います。
「遠回りで夢をかなえる」と言えば、斉藤由貴主演、大森一樹監督の映画「さよならの女たち」の冒頭はこんな形で始まります。
小樽に住んでいた3人家族。父(伊武雅刀)が突然「お父さんは昔、アイドル歌手だったんだ、東京に出てもう一度歌う」、驚く娘(斉藤由貴に)母(浅芽陽子)が平然と言います。「私はイルカの調教師になる」。そして両親は娘に「お前は一人で生きて行きなさい」。
全くわけが分かりません。普通は、娘が夢を追って家を出るものですが、両親が共にそれぞれに夢を追って娘に別れを告げるとは。
斉藤由貴はその後神戸に行って、宝塚歌劇団の月刊誌「歌劇」編集部に入ります。
ちなみに、この映画には裏話があります。
もともと原作は、北海道出身の作家、氷室冴子が担当する予定で、予告編にもそう書いてありました。しかし、公開された映画のクレジットには氷室冴子の名前がありません。
後に、大森一樹がエッセイで「原作者がばっくれたので、仕方なく自分でオリジナル脚本を書く」とぼやいていました。
小樽からスタートしているのに、いきなり神戸に舞台が移るのは、氷室冴子が北海道出身であり、小樽が舞台だと予告していたこと、大森一樹が神戸の出身であることからだと思われます。
さらに、伊武雅刀が劇中で歌う曲は、斉藤由貴のシングル曲にもなるので、男女どちらが歌っても違和感がないようにと注文していたのに、できあがったのは女の子っぽい歌詞。斉藤由貴が書いた歌詞ですが、どこかで話が変わったか伝わっていなかったのでしょう。
仕方なく、伊武雅刀版の歌詞を作ることになったそうです。
結構大変だったようですね。
大森一樹自身は、京都府立医大時代に8mmフィルム映画を撮りはじめ、「オレンジロード急行(エクスプレス)」でデビュー、「ヒポクラテスたち」でメジャーになり(なってない?)、吉川晃司3部作や、斉藤由貴3部作、デビュー当時のSMAP主演「シュート」などを手がけています。一見順調ですが、制約の多かった「ゴジラ対ビオランテ」など、苦労も多いようです。
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