2014年6月1日日曜日

ほんとは(53/365)

本当は多くの人と関わって生きていきたいのに、うまく表現できなくてひとりでいる人の話。

多かれ少なかれ、こういう気持ちは誰にでもあるのだと思いますが、「みんなそうだ」と言っても意味がありません。第1に、自分の悩みが他人と同じだっていう保証はどこにもありません。第2に、みんなそうだとしても、悩みが解消されるわけではありません。

なんの取り柄もなく、人とうまく付き合うこともできなかった人が、ちょっとした自分の才能に気付いて、大きな役割を果たすようになる、というのはアニメやライトノベルの王道ですが、実は次にもっと大きな問題が待っています。

自分が周囲と関係を持てているのは、自分自身の力ではなく、能力のせいではないのか。

この悩みは結構深刻です。たいていの能力は他の人で置き換えることができます。人間の価値は、何にも変えられない唯一の存在だという点にあるのに、置き換え可能な存在だとすれば、人間としての価値はないことになってしまいます。

これに対する答えは難しいんですが、ひとつの回答がこれです。

そんなことより野球しようぜ
(いや、別に野球じゃなくてもいいんですが)

不特定多数が書き込む掲示板によく登場する言葉で、議論の流れを断ち切るときに使います。

考えてもしょうがないことを考えてしまうときは、とにかく身体を動かしてみるのがいいようです。スポーツをしない人は(私はスポーツをしません)、散歩に出るのもいいようです。本を読んだり音楽を聞くのはさらに考えてしまいそうで、あまりおすすめしません。

だいたい、1人の人間から、人格と能力を分離することは不可能なので、「置き換え可能」と言っても実際に置き換えられるわけじゃありません。

逆のこともあります。

私の歌を聞きに来てくれるのは、私の歌が気に入ったのではなく、
私の頑張っているところを応援したいからじゃないだろうか。

能力(歌)を評価するのではなく、努力する姿(人柄)が評価されているのではないだろうかという話です。

これも意味のない悩みです(と決めつけられると、悩んでいる本人は悲しく思うでしょうが)。

いい曲を歌う人が頑張っているから応援するのであって、頑張っている姿だけを応援しているのでもなければ、歌だけを応援しているのでもありません。

大事なことなのでもう一度書きます。

いい曲を歌う人が頑張っているから応援する

のです。

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▲珍しいポニーテール(横から撮るの忘れました)

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